ヨーロッパ旅行 (その2)

スペイン・ポルトガル編
スペイン国旗
ポルトガル国旗

2008年(平成20年)

 第7日目 5月14日(水) No.2 続き
(ポルトガルの部)


スペイン・ポルトガルの旅

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◎ 本 日 の 予 定
 場 所  概 要
 ボルムホフ 朝食 ホテル:ベルティーチェ アルハラフェ のビュッフェ
セビージャへ移動 セビージャまで約11Km(約20分)
 セビージャ 観光 (約1時間30分) 【世界遺産】アルカサール、カテドラル
 サンタクルス地区、ムリーリョ公園
 スペイン広場
ポルトガルのエヴォラへ移動 エヴォラまで約330Km(約4時間)
 ◎ これよりポルトガル
 エヴォラ 昼食 レストランでポークの煮込み料理
観光(約1時間30分) 【世界遺産】エヴォラ歴史地区、ディアナ神殿
 カテドラル、サンフランシスコ教会
リスボンへ移動 リスボンまで約125Km(約2時間)
 リスボン 夕食、ファド・ショウ 哀愁のファド・ディナーショウ(食事つき)
宿泊ホテル  ホテル:コリンシア リスボア

 



   
ポ ル ト ガ ル  基 本 情 報
正式名称 ポルトガル共和国 República Portuguesa
首都 リスボン
面積 92,082K㎡(日本の約1/4)
人口 約1、053万人
通貨 ユーロ(1ユーロ=¥166)
時差 日本よりマイナス8時間
(サマータイム中 3月から10月)
公用語 ポルトガル語
宗教 ローマカトリックが97%を占める
主なスポーツ スペインと同様にサッカーが最も盛ん。
気候 本土は北大西洋に面しているが、北部は夏は涼しく、冬は雪が降る。南部は地中海性気候で、夏は雨量が少ない。
ポルトガルの世界遺産 今回訪れる各地のを含め、全部で12ヶ所ある。
特産品 オリーブ、ワイン、コルク
 
訪 問 地 詳 細
◎5月14日は、スペインからポルトガルのエヴォラへ向かいます。ここからは、ポルトガル編です。 
エヴォラへ 12:30
*EU圏内では、国境もなく検問もない。
  スペインもポルトガルもEUに加盟しています。前回のヨーロッパ旅行でも書きましたが、EUに入っていると、もう国境はありません。

 以前は国境の町で検問所もあった場所が、今は時々市場がたつだけで、バスはノンストップで通過していきます。

 一般道を西に向かって走ります。
     *ポルトガル領土へ入って来ました。
  しかし、相変わらずオリーブの畑は道の左右に続いています。

  少し違うのは、何の畑かはわかりませんが、ところどころに、畑もあることです。

エヴォラ    14:30
着 
 *エヴォラ(Évora)

*また、時差がマイナス1時間。
  スペインとポルトガルでは、時差がマイナス1時間あります。
  14:30到着は、マイナスしていません。

  セビージャから4時間のバスの旅でした。

*気温は、20度前後。風が強く、少し涼しい。
     *それでは、昼食を。

  ポークとジャガイモです。

*4時間もバスに乗っていると、少しばかり乗り物酔いの気分があり、味もはっきり覚えていません。
  ポークの煮込みはポルトガルの名物料理らしい。
◎エヴォラ(Évora) 豆知識 -観光の前に- 

エヴォラ (Évora) はポルトガル南東部アレンテージョ地方にある町です。人口は、約56,000人。スペイン国境に近い町です。

旧市街は1986年に、UNESCOの世界遺産に「エヴォラ歴史地区」の名で登録されました。ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として栄え、ルネッサンスの時代には、大学もおかれた学芸の都でもあります。1584年9月には、リスボンからローマに向かう伊東マンショらの天正遣欧少年使節が立ち寄った街です。

ポルトガル国王はエヴォラに滞在することが多く、邸宅や記念碑、宗教的建築物が建設されています。
特に、アヴィシュ王朝時代、とりわけマヌエル1世やジョアン3世が統治した15世紀後半から16世紀の前半にかけて、エヴォラはルネッサンスの中心となり、フランス人彫刻家のニコラ・シャントレーヌ(en:Nicolau Chanterene)やポルトガルの戯曲の父であるジル・ヴィセンテ(en:Gil Vicente)といった芸術家が集まっています。
1559年には、イエズス会によってエヴォラ大学が創設され、イエズス会の影響の下、エヴォラは対抗改革の中心となり、スペインのクエンカで生まれたルイス・モリーナ(en:Luis Molina)などが、ここで宗教教育を受けました。
1759年、ポンバル侯爵がイエズス会をポルトガルから追放し大学が閉鎖されると、エヴォラは徐々に衰退していきました。(なお、エヴォラ大学は1973年に再建されています。)
たくさんの建物がエヴォラの地に建設されています。現存する建築物の様式は多様性に富んでおり、ロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築、バロック建築と様々です。
エヴォラ       *ポルトガルのシンボル鳥はオスの鶏だそうです。
  陶磁の鍋敷きに色鮮やかに描かれています。
    【世界遺産】エヴォラ歴史地区見物へ

  エヴォラは、古い街で、石畳の坂道が今も残されています。

  (なお、ポルトガルのエヴォラとアフリカを中心としてはやったエボラ熱とは関係がありません。)


  この坂道を登って、頂上にいきます。
     *ディアナ神殿(Templo de Diana 、(Roman Temple))
  街の頂上にあるのが、ディアナ神殿です。

  ローマ時代に建てられたってことですが、ローマ時代は幅が広い(紀元前から西暦450年ぐらいまである)。

  紀元2世紀ぐらいの建造物ってことですが、しっかりとしています。
  また、ここまで古代ローマの支配が及んだという証拠でもあります。
     *丘の上からの眺望はいい。

  向こうの方に、古い送水路がある。
     *こんなところにも、活躍する日本人がいた!

  観光のパンフレットにもないので、まったく予備知識もなく、ガイドさんからこの彫刻が日本人の作品と紹介されて驚きました。
  キスをしているような作品が、日本人の北川晶那氏の彫刻です。

  見晴らしのいいところにありました。(でも、北川晶那氏の詳細は、ネットにはないようです。)
     *当然、カテドラル(Sé Catedral de Évora、(Cathedral of Évora))があり、この前は、広場で、カフェ・テラスになっています。

  (このカテドラルの中には入っていません。右側にはドイツからきた若者が強引に写真に入っています。)


*エヴォラのカテドラルでは、リスボンからローマに向かう天正の遣欧少年使節団が立ち寄っています。(1584年)
そして、なんとその少年がここでパイブ・オルガンを弾いたとのことです。初めて目にし、触れたパイプ・オルガンの勉強は、少年たちが長い船旅での間に紙に書いた鍵盤図でしたようです。
     *お土産に、よさそうなものがたくさんあります。

 ユニークなのは、ポルトガル名産のコルクでできたバッグです。
 ガイドさんにきいたら、軽くてそんなに弱くなく使えるとのことでした。
     *ポルトガルのポストです。

 スペインでは、黄色でしたが、ここポルトガルでは、右の普通郵便用が日本のように「赤」で左の「青色(Azul)」のは速達用です。
     *ついでに、公衆電話。

  日本では携帯電話の普及で、数が少なくなった公衆電話です。
     *サン・フランシスコ教会(Igreja de São Francisco (Church of St. Francis) )の人骨堂 (Capela dos Ossos)

  この教会は、どうってことがないのですが、入口の右側には、有料(1.5ユーロ)の見学施設があります。

  そこには...人の骨がたくさん集められ、頭蓋骨や体の骨が壁一面を埋めています。そして、「あなたのお骨をお待ちしております」の文章があるそうです。(骨に興味のある方は、どうぞ。私は入っていません。)
     *ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)

 ヨーロッパからアフリカを経てインドへ航海した、ポルトガルの航海者、バスコ・ダ・ガマもエヴォラに住んでいたそうです。


リスボンへ     16:15
エヴォラ
 *2時間ほど、エヴォラで昼食と、観光をし、こんどは、ポルトガルの首都リスボンへ向けて、約2時間(約125Km)のバスの旅です。

  スペインの風景と違う点は、ポルトガル名産のコルクの木がオリーブの木とともにあることぐらいでした。

*リスボンまでは、高速道路で行きます。普通自動車の最高速度は、スペインもポルトガルも120Km/時です。
   18時
 *リスボンへの高速道路の出口近くに、巨大なキリスト像があります。

 スペインでは、クエンカのそばを流れていたタホ川(Rio Tajo)と呼ばれ、ここポルトガルではテージョ川(Rio Tejo)と呼ばれる川の近くに立っています。

 このデザインは、どこかで見たことはありませんか?
 ブラジルはリオデジャネイロの巨大キリスト像と同じように手を広げています。

 (参考までに、ブラジルはリオ・デジャネイロの巨大キリスト像です。)

 *ウンチク:この像はクリスト・レイ(Cristo Rei)とよばれブラジルのリオ・デジャネイロのキリスト像をまねして、1959年に完成しました。高さは110mです。
 台座の塔にはエレベーターがあり、キリストの足元まで上がれます。
◎リスボン 豆知識 

リスボン(ポルトガル語:Lisboa 、英語:Lisbon )はポルトガルの首都です。そして、ポルトガル最大の都市です。
面積は、84.6K㎡、人口は、約56万人。リスボン圏の人口は、ポルトガルの人口の約25%に相当します。
日本語では「リスボン」と表記されることが多いのですが、これは英語名をカタカナ表記したもので、ポルトガル語では「リジュボア」といいます。

ポルトガルの政治、経済、文化、教育の中心です。また、リスボン港はポルトガル最大の海港です。そして、リスボン大学を始めとする高等教育機関の所在地でもあります。
大西洋に流入するテージョ川(Rio Tejo)の河口に位置する港湾都市です。テージョ川沿いのすぐ近くまで丘が迫っており、市街地の多くはその丘の上に作られています。坂の多い街であり、別名「7つの丘の街」とも呼ばれます。これらの坂を上り下りする市電とケーブルが名物です。市街地はテージョ川沿いの旧市街とその北の高台に広がる新市街からなる。

15世紀はじめには大航海時代の幕開けとともに、世界貿易の中心都市となって35万人の人口を有し、当時の世界最大級の都市となりました。しかし1531年にはリスボン地震で被害を受け、また1569年にはペストにより6万人の死者を出しています。
また、1755年11月にも大地震がリスボンを襲い、倒壊した建物も多く、津波も発生し、死者も6万人に達しています。

リスボン       *リスボンは港湾都市
  テージョ川(Rio Tejo、スペインでは タホ川(Rio Tajo))が大西洋にそそぐ丘の上に街があります。

  テージョ川も広い。
     *多くの丘に囲まれた街で、ケーブルカーもかなり利用されています。
ホテル     19:30
 *リスボンにあるホテル:コリンシア リスボア (Corinthia Lisboa)に到着しました。

 日本なら、もう夜の7時過ぎで暗くなっていますが、北緯の高いリスボンでは、まだ日がさしています。

 このホテルは、今まで泊まったホテルの中でも、一番大きく、設備もよくて、また立地もいいところにあります。
ファド・ショーへ     20時
出発
 *この旅行の中での、ただ一つのオプショナルとなっている、「哀愁のファド・ディナー・ショー」に参加しました。
  (別途代金 ¥8,000ー)

  市内は、東京と同じような交通量です。
     *ケーブルカーの終点です。

 ファド・ショーへ行く途中です。道路脇に小さなケーブルカーの駅がありました。
     *確かに坂の多い街だ。

  この路地のとあるレストランでファド・ショーが開かれています。
  狭い軒先。
  なんとなく、東京の新宿の飲食街、または池袋の裏通りって感じの雰囲気とにおいがする界隈です。
  (なんて、別に怪しげなショーを見るわけではないのですが。)
ファド・ショー     21:30
 *レストランに着きました。
     *食事と飲み物(勿論、ポルトガルのワインはポートワインです)がついています。

  ワイン(赤白とも)は飲み放題ってことですが、ワイン通でない私にも、あまり高級ではないことはわかりました。
 (飲み放題で、いいワインを期待するのは、無茶な話ですが。)
     *ファド・ショーは3部構成です。
     *1部は、ポルトガルの民族的なフォークダンスです。

  男女が民族衣装を着て、元気な踊りをします。
     *2部に、ファドがあります。

  なお、ファド(Fado)とは、ポルトガルの民族歌謡です。日本では演歌に相当すると考えるといいかも知れません。
  フランスといえば「シャンソン」、イタリアといえば「カンツォーネ」の概念に当たります。

  
     *二人の女性歌手が、ギターを伴奏に堂々と歌ってました。

  ファドというと、有名なアマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」から、全体的に哀愁を帯びた歌の感じを持っていましたが、明るい歌もありました。

*一人で2,3曲を歌います。
 バックのギターを弾いている2名の男性だけの演奏もあります。
     *二人とも、CDを出しているそうで、お店でも売っていました。


*歌の感想は?
  日本の八代亜紀の歌唱力を再認識しました。

*こういったお店での歌手は、若い女性歌手がいない?
  そういえば、イタリアのお店でも、体格のいい女性でしたね。
   22:30
終わり
 *締めくくりは、また踊りでした。
    23時頃   *ホテル:コリンシア リスボア (Corinthia Lisboa)に戻って来ました。


  長かった、スペインからポルトガルの1日が終わりました。
  風呂につかり、バタン・キュっとお休みです。
      テレビでは、日本のアニメ「ドラえもん」も放映されていました。
 2008年 5月14日は終わりです。 
◎とうとう、ポルトガルまでやってきた
  5月14日は、スペインのセビージャに始まり、ポルトガルに入りエヴォラ観光、そして、首都リスボンまでやってきた。
  バスにも6時間以上乗っていて移動距離が長いだけでなく、リスボンでは夜に「ファド・ショー」も付いていたので、1日が長く感じる。
  実際、スペインとポルトガルでは時差がマイナス1時間ってことは、1日が25時間だったわけだ。

◎スペインとポルトガルの違いは?
  バスからみる風景にはあまり差は感じられない。
  オリーブが中心の風景だった。
  言葉も基本的な違いはなく、スペイン語でもポルトガル語でも互いに通じているようだった。

◎ポルトガルの鶏の逸話
  ポルトガルでどうして、オンドリのお土産が多いのかというと、これは「バルセロスの雄鶏の話」があるそうです。

  その概要は、
   ある男が巡礼の途中バルセロスに立ち寄ったところ窃盗犯に間違えられ、絞首刑にかけられることになりました。
  しかし、その男は無実であることを証明するために裁判官の食卓に出ているロースト・チキンが鳴くと言ったのです。
  そして、その男が処刑されようとしたとき、テーブルにあったロースト・チキンが突如立ち上がり「コケコッコォー」鳴いたのです。
  刑は取り下げられ、男は無事巡礼の旅を続け、神に感謝の日々を送りました、とさ。メデタシ、メデタシ。

  (注:ポルトガルのニワトリも日本のように「コケコッコォー」と鳴くのかまだ確認していません。)

◎ファド
  「哀愁のファド・ショー」って名づけられているけど、「哀愁」は、日本で有名な(高齢の人に)アマリア・ロドリゲスの「暗いハシケ」からきているだけだ。
  ほかのファドの曲は全然知らない。シャンソンやカンツォーネなら歌手も曲名も随分と知っているけど。
  若い人が歌っている店もあるようだ。

◎日本製のテレビ・アニメ
  ヨーロッパに限らないけど、日本製のアニメは「ドラえもん」だけでなく、いろいろな番組が吹き替えられてテレビから流れています。
  日本人の顔をした子供が、現地の言葉を話すのは、それなりに面白いものです。


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