岡山から山口への旅 〜列車・バス利用〜 

期間: 2024年(令和6年) 11月13日(水) 〜 11月15日(金) 

(2泊3日の列車・路線バスの旅)

第3日目: 2024年(令和6年) 11月15日(金) 

山口の 萩から出雲の予定が・・・

前へ 

     
 日   程   表    2024年11月15日(金)
11月 15日
(金)
●萩から出雲大社 へ (予定だった)
萩からJR東萩駅へ (バス)
起床・朝食 06:30 ホテル 高大(たかだい)
・朝食は自分で用意
萩バス・センター 発 07:45 (約15分) ¥200
JR東秋駅 着  08:00
 *予定していた出雲大社への山陰本線が斜面に亀裂があるので、11月5日から当分の間、三保三隅駅から益田駅間で不通の知らせ。

 知らなかった! 
 事前にした時刻表の確認が、11月3日だった。
◎参考までに、以下は、予定の内容
JR東萩駅 発 08:40 JR山陰本線 (74分) ¥5,970
JR益田駅 着 09:54 
JR益田駅 発 10:37 特急スーパーおき2号 (103分)
JR出雲市駅 着 12:20
JR雲市駅前 発 13:00 一畑バス (27分) ¥470
電鉄大社駅 着 13:27 
出雲大社散策 約120分
出雲大社前駅 発 16:20 一畑電車 (11分) ¥500
川跡駅 着 16:31 
川跡駅 発 16:36 一畑電車 (9分)
電鉄出雲市駅 着 16:45
JR出雲市駅 発 17:28 JR特急やくも28号 (3時間1分) ¥6,890
JR岡山駅 着 20:29
   
◎予定を変更して東萩駅の近くにある松陰神社をみて萩駅から列車で岡山に戻ることにする
東萩から松陰神社へ 08:25 徒歩 (約15分) 
松陰神社 着 08:40
松陰神社 散策 08:40〜09:20 松陰神社内 散策 (約40分)
松下村塾
吉田松陰幽閉の家
伊藤博文別邸
松陰神社前 発 09:43 コミュニティバス (約32分) ¥100

 岡山に戻るのは萩駅の方が、東萩駅より近いので情報があると思って萩駅へ行く
JR萩駅前 着 10:15 
 しかし、次の列車は、13時までない。萩の明倫館から、JR新山口駅までのバスが出ているとの情報で、明倫館へ戻る 
JR萩前 発 10:57 (約33分) ¥100
明倫館バス・センター 着 11:30  
昼食 *昼食

  明倫館内のレストランで
明倫館バス・センター 発 13:12 JRバス (約1時間23分) ¥1,600
JR新山口駅前 着 14:35
JR新山口駅 発 15:11 JR:新幹線 のぞみ38号 東京行 (1時間8分) ¥8,500
JR岡山駅 着 16:19 終り

訪  問  地 詳    細
ホテル 高大
06:30頃

*起床 ホテル 高大(たかだい)

 昨夜(2024年11月14日)から泊っている「ホテル 高大(たかだい)」の最上階 4階にある406号室での起床です。

 *ホテル 高大 基本情報
  〒758-0044 山口県萩市唐樋町80番
  電話:0838-22-0065
  FAX:0838-25-6411
  メール:takadai@takadai.co.jp


 夕食・朝食なしで、 ¥8,800 でした。

   406号室からの眺めです。
     

朝食 朝食 

 この宿では、朝飯が付いていませんから、昨晩、近くにある「スーパー・サンリブ」で、朝食用にパンやお茶を買っています。

 
萩バス・センター 07:45 *萩バス・センター 発

 泊まっていた「ホテル 高大」は、萩バス・センターのすぐそばにありますから、バスの出発時刻に遅れることはありません。
 
 今朝の天気は、小雨です。昨日と違って少しばかり寒い。


JR東萩駅 08:00 *JR東萩駅 着

 萩バスセンターから約15分ほどで、JRの東萩駅に着きます。 今日も乗客は、私一人です。

 東萩駅の建物は、古風な感じです。
JR東萩駅     *時刻表の確認 〜何と、山陰本線が不通に!

 今日の予定は、08:40 東萩駅発の山陰本線で益田駅まで行き、益田駅から 10:37発 の米子行の「特急スーパーおき2号」に乗って、出雲大社へ行くつもりです。

◎ 何!! 益田駅〜三保三隅駅間が不通で、「特急スーパーおき2号」も当分の間運休だ!!

 東萩駅に着いて時刻表を確認していたら、変な看板が出ています。
 そこには、「益田駅〜石見津田駅間の沿線斜面に亀裂を発見した事象を受けて、当面の間、山陰本線「益田駅〜三保三隅駅」は終日運転を取り止め、この区間又は益田駅〜浜田駅間はバス等による代行輸送を行います。
 11月5日〜当面の間、運休の特急列車は、益田〜
  スーパーおき2号、スーパーおき4号、スーパーおき6号 ・・・」
 とあります。

 何と、11月5日から山陰本線は、大雨のため不通になっていたのです。
 私が山口への旅を考え、最後に時刻表を確認したのは、11月3日ですから、私は、不通を知りませんでした。また、岡山ではそんなローカルのニュースはありませんでした。

   
JR東萩駅   *JR東萩駅には駅員がいない!

 さあ、山陰本線が不通では困りました。予定の出雲大社には当然いけません。

 そこで、駅員にどうしたらいいのか聞こうと思いましたが、駅の窓口の受付開始は、08:50 とあります。

 東萩駅から岡山に戻るには、長門駅経由で山陽本線で戻ることになります。

 次の長門行は、09:05 で、その次は 13:05 発です。 まだ、1時間以上待つことになります。

*予定を変えた!
 1時間もあるなら、東萩駅に近い「松陰神社」へ行くことができます。

 松陰神社へ寄って、岡山に帰りましょう。
JR東萩駅から松陰神社へ   08:25 *JR東萩駅から松陰神社へ@

 そうと決めたら、すぐに地図を片手に歩きましょう。

 JRの東萩駅から松陰神社まで、歩いても 15分程度です。 
JR東萩駅から松陰神社へ     *JR東萩駅から松陰神社へA

 さっきまでは小雨が降っていましたが、今は止んで空は曇っています。

 気温は寒くはないです。

 かなり広い松本川の側を歩いています。
JR東萩駅から松陰神社へ   *JR東萩駅から松陰神社へB

 萩駅方面から電車が来ました。 多分 東萩駅 09:05 発 長門行きの電車でしょう。
 
 道には、「松下村塾」と大きな案内板も出ていますから、東萩駅から歩いてきても問題はありません。

 なお、吉田松陰の塾:松下村塾は、松陰神社内にあります。

 
松陰神社 08:40 *松陰神社 着
  別に道に迷うこともなく、松陰神社の入口に着きました。入口は、かなりの観光バスも停まれる広さです。

 JRの東萩駅から歩いて15分程度でした。

    
吉田松陰(よしだ しょういん)について:

吉田松陰(別称:寅二郎または寅次郎):天保元年(1830年)〜安政6年(1859年)。江戸時代後期の武士であり、思想家。尊王攘夷・倒幕を唱えて、幕府に捕まり安政6年(1859年)江戸・伝馬町の牢で死刑になる。享年29歳だった。

 松陰は、長州・萩藩士:杉 百合之助(すぎ ゆりのすけ) の次男として生まれました。5歳の時に、藩の兵学師範を代々つとめていた吉田家の仮養子となりましたが、6歳のときに養父が急逝。
 そこで、松陰は吉田家を継ぎ、山鹿流兵学師範となるべく、叔父である玉木文之進が松本村に開いた私塾:松下村塾で厳しい教育をうけ19歳で藩校:明倫館の兵学師範となり、江戸や東北を巡り、ベリー来航等で考えを纏め、安政4年(1857年)に同塾を引継ぎ明倫館から移り塾頭となる。身分の低い者でも入れるこの塾には、僅かな期間の教えであったが、倒幕で活躍した久坂玄瑞(くさか げんずい)、吉田稔麿(よしだ としまろ)、入江九一(いりえ くいち)、寺島忠三郎等、また藩論を倒幕にまとめ、奇兵隊を組織し、幕府軍を破った高杉晋作がいる。他にも伊藤博文、山形有朋、品川弥二郎などもいる。
松陰神社  松陰神社:吉田松陰を主祭神とし、伊藤博文や野村靖など神社の創建に携わった偉人や末社松門神社にて53柱の命をお祀りしている。

 創建は、明治40年(1907年)。松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、吉田松陰を祀っていた土蔵造りのほこらから、本殿を造った。

 現社殿は昭和30年(1955年)に竣功しました。
 
松陰神社 松陰神社内 〜M「薩長土連合密議之処」石碑〜

 上の案内図の順番では、Mになっていますが、以下の説明は、私が歩いて行った神社入口から行います。
 
 「薩長土連合密議之処」石碑は、松陰神社敷地内に入って直ぐの境内入口の左奥にあり、明治100年記念の昭和43年(1968年)に建立された石碑です。

 揮毫(きごう)は岸信介元首相によるものです。

 安政6年(1859年)10月、幕府の大老・井伊直弼が行った安政の大獄によって捕まえられた松陰は刑死します。
 その後の文久2年(1862年)、土佐藩の坂本龍馬が吉田松陰の妹婿で尊王攘夷を唱える久坂玄瑞(くさか げんずい)を訪ねて萩のこのあたりにあった鈴木勘蔵の宿屋を訪れ、薩摩藩の田上藤七(田中藤八とも)とともに、薩摩・長州:土佐の三藩が日本の将来をどうするか語り合った場所です。
 後の薩長土連合の元になったとされる会談場です。
松陰神社 N厚東常吉(ことう/こうとう つねきち)翁之像

 幕末の志士たちではないけど、松陰神社に貢献した厚東常吉(ことう/こうとう つねきち)の胸像も、「薩長土連合密議之処」石碑のそばにあった。 

 厚東常吉翁(ことう/こうとう つねきち、明治17年(1884年) -昭和43年( 1968年)は、衆議院議員・萩商工会議所会頭などを歴任し、郷土の発展に力を尽くされました。松陰神社の境内整備や御造営には改築奉賛会長として力を注ぎ、昭和30年(1955年)に遷座した現在の御社殿造営に中心的な役割を果たし、昭和34年(1959年)の松陰先生百年祭では奉賛会長として盛大な百年祭事業を行いました。
松陰神社 大鳥居 
 
 鳥居の向かって右側には「松陰神社」と彫られた石柱が建っています。この少し右上がりになっているのが特徴のこの文字は、吉田松陰自筆の文字(松陰の書簡等から文字を抜き出したもの)です。
 また、鳥居中央にある扁額(へんがく)「松陰神社」の文字は、岸信介元首相により揮毫(きごう)されたものです。
 
松陰神社 H石碑「明治維新胎動之地」

 大鳥居をくぐると、左側にちょっとばかり汚れていて文字が読みにくいのですが「明治維新胎動之地」の石碑があります。

 昭和43年(1968年)、明治維新100年を記念して建立されました。

 揮毫(きごう)は故佐藤栄作元首相です。
松陰神社 G吉田松陰 歌碑「親思ふ〜」

 この石碑には、「安政の大獄」とよばれる井伊直弼の弾圧により江戸で捕えられた松陰が処刑される1週間前の安政6年(1859年)10月20日付けで家族に宛てた遺書の中で詠われた有名な和歌が彫られています。

 碑文は「親思ふ こころにまさる 親ごごろ けふの音づれ 何ときくらん 寅二郎」です。
 意味は「子供が親を慕う気持ちよりも、親がわが子を愛する気持ちの方が勝っている 死んでいく私の便り(おとづれ)を知って、両親はどんなに悲しむことだろう」
 「寅二郎」は、吉田松陰の別名です。

 松陰の両親に先立つ不孝を詫びている気持ちが込められています。
 碑文は、松陰の句を模写したものです。

 昭和37年(1962年)、萩国際ライオンズクラブの承認を記念して奉納、建立されました。
松陰神社 A松下村塾(しょうかそんじゅく) 〜世界文化遺産〜
 吉田松陰が安政4年(1857年)に叔父:玉木文之進が松本村に開いた私塾を引き継いで主宰した私塾。この建物は移築ではなく、当時からこの位置に建っていました。吉田松陰が処刑されたのが安政6年(1859年)ですから、彼が教えたのは実質1年あまりと考えられますが、この塾から、明治維新を成し遂げた、数多くの人材が育ちました。 
 
 家屋は、木造瓦ぶき平屋、50uで、8畳の講義室(写真左側)と控えの間(写真右側)と全体で2部屋という余り広くない造りです。控えの間には、久坂玄瑞(くさか げんずい)、高杉晋作、伊藤博文など塾生たちの写真が飾られています。

 平成27年(2015年)7月5日、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

松陰神社 E宝物殿・至誠館

 小さな松下村塾の建物の右側にあります。

 松陰の著述や物品を永久保存。展示を通じ て松陰の思いを現代に伝えます。無料展示ゾーンにはミュージアムショップを併設しています。 


    
松陰神社 C吉田松陰幽囚ノ旧宅 〜世界文化遺産〜

 松陰の実家、杉家の旧宅で、当時よりここに建っていました。天保年間に建てられたといわれ、杉百合之介の友人だった瀬能吉次郎の持家を借りて住んでいました。安政2年(1955年)12月、ペリー艦隊の船に無断で乗り込もうとした松陰は幕府に捕まり国許幽閉の身となり萩城下の武士用の牢獄:野山獄に繋がれていましたが、杉家での幽閉となりこの邸内の3畳半の1室に幽囚されます。ここで家族や近隣の子供などに対して講義が行われ、これがやがて庭先に造った松下村塾の教育に発展して行きます。
平成27年(2015年)7月5日、松下村塾と共にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
松陰神社 @松陰神社本殿
  明治40年(1907年)創建。
  現社殿は昭和30年(1955年)に竣功しました。
    
松陰神社 B末社 松門神社

 現社殿の昭和30年(1955年)の竣功に伴い、それまであった松陰神社社殿を移築し、松陰の塾生・門下生を御祭神として昭和31年(1956年)に創建されました。

 末社とは、本殿以外の社殿の呼び方です。
松陰神社 F学びの道
 松陰の顕彰碑を起点に松門神社へと続く散策道。その両側には松陰が遺した言葉を記 した25基の句碑があります。(明治維新150年記念建立)

  この碑文は「体(たい)は私なり 心は公(おおやけ)なり 私を役(えき=つかうこと)にして公に殉(したが)う者を大人(たいじん)と為し 公を役して 私に殉ふ者を小人(しょうじん)と為す」 

 松陰神社内には、他にもD花月楼(江戸時代の茶室。松下村塾出身の品川弥二郎が、これを建設した萩藩第7代藩主毛利重就の遺徳を偲び、自邸内に保存していたのを、昭和34年(1959年)、神社境内に移築したもの) や、I吉田松陰歴史館(松陰の生涯を、70体以上のろう人形で再現した珍しい展示施設)、J立志殿(松陰の諸業績・思想・実行力を世界に発信していく拠点として平成28年(2016年)10月に竣功。)もありますが省略です。
  09:10 *松陰神社からJR萩駅へ

 08:40ぐらいから見て回った松陰神社と松下村塾も、だいたい30分ほどあれば見学できます。

 次は、山陰本線が益田あたりで不通になっているので、JR萩駅へ行って長門から山陽本線で岡山に戻る積りです。

 交通手段としては萩の市中を巡回している「萩循環まぁ−るバス」を利用しますが、松陰神社前から次の発車時刻は、 09:43 でまだ、30分ほど時間があるので、この松陰神社の側にある伊藤博文(いとうひろぶみ)の別邸と旧宅へでも行ってみますか。
  
 萩市内を回るには、「萩循環まぁ−るバス」が便利です。 全線 ¥100 でJR東萩から萩バス・センターまたJR萩駅など主な観光場所に連れてってくれます。
伊藤博文の像    伊藤博文(いとうひろぶみ)の像

 明治18年(1885年)に初代内閣総理大臣になった伊藤博文(いとうひろぶみ)の別邸と旧宅が、「松陰神社」のそば、右裏手にあります。
 松陰神社から歩いて3,4分の距離です。

 博文は、安政4年(1857年)に木戸孝允((きど たかよし)/桂 小五郎(かつら こごろう))の義弟・栗原良蔵の紹介で松下村塾に入り「なかなか周旋家(仲をうまく取り纏める人)になりそうな」と吉田松陰の評価を得ました。
 
 東京の品川の御殿山の英国公使館焼き打ちをはじめ、尊攘運動に参加。文久3年(1863年)5月には、後に長州ファイブ(伊藤博文・山尾庸三・井上馨・井上勝・遠藤謹助)とよばれる一人として井上聞多(馨)らと英国に密航留学しました。
 
 明治新政府では参与、兵庫県令などを歴任。明治4年(1871年)幕府が結んだ不平等な通商条約改正のため、岩倉使節団の一員として欧米各国を歴訪。帰朝後、参議、工部卿などの要職を経て明治18年(1885年)初代内閣総理大臣となりました(計4回内閣を組閣)
 
 日露戦争後、初代韓国総監となり、明治42年(1909年)10月26日、枢密院議長として満州を訪問の途上、ハルビン駅頭で日韓併合に反対する朝鮮人の安重根に狙撃され、69歳でこの世を去りました。

 木造茅葺き平屋建ての旧宅のそばには、萩焼でつくられたほぼ等身大の伊藤博文の陶像が建っています。また、隣接して東京より移築した伊藤博文別邸があります。
伊藤博文   伊藤博文(いとうひろぶみ)別邸と旧宅

 
 別邸の隣にあるこの旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家。もとは萩藩の中間 伊藤直右衛門の居宅でしたが、安政元年(1854年)に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家をあげて伊藤家に入家。その後、博文が明治元年(1868年)に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家です。

 屋根瓦葺きの別邸は、東京より移設したものです。
松陰神社〜JR萩駅へ
09:43 *松陰神社前 発 JR萩駅へ

 山陰本線が益田駅付近で不通となっているので、岡山に戻るために、萩市役所経由の「萩循環まぁ−るバス」バスに乗ってJR萩駅までいきます。

 利用したルートは「東回り」です。松陰神社から明倫学舎の向かい側にある萩市役所へ(7分ほどかかる)。そこで、10分ほど待って同じバスで橋本川を渡り、萩藩主・毛利家の偶数台の藩主と夫人たちの墓がある大照院(だいしょういん)などを巡り15分ほどでJR萩駅前に着きます。

 小型のマイクロ・バスで料金は、全線 ¥100 です。
JR萩駅前  10:15 *JR萩駅前 着

 萩市役所での待ち時間:10分程を入れて、出発した松陰神社前から、JR萩駅前まで、32分程で着きます。
JR萩駅     *JR萩駅

 古めかしい駅舎ですが、JR東萩駅と同様に、こちらにも駅員が居ません。改札口も無人です。
JR萩駅   *JR萩駅内 〜昔の鉄道機器などの展示場になっている〜

   
JR萩駅前 10:30 *列車の他に、JR新山口駅までの高速バスがある?!

 今の時刻は、10:30。 時刻表を見ると、次のJR萩駅発 長門行きは 13:11 です。なんと2時間以上もこの駅で待つことになります。
 
 そこで、駅のそばをウロチョロしていたら、JRから委託を受けた叔父さんに出会い、その叔父さんから、萩の明倫センター(萩市役所の道路を挟んだ向かい側)から、 12:27 発でJR新山口駅まで 約60分の高速バスが出ているとのバスの時刻表を貰いました。 

 それなら、長門駅経由で岡山に戻るよりは、時間が短縮できると思い、また、10:57 JR萩駅前発 11:30 萩市役所着 の「萩循環まぁ−るバス」西回りルートに乗りました。

 この「萩循環まぁ−るバス」の料金は、 全線 ¥100 です。
萩・明倫センター 11:30 *萩市役所着 〜バスの時刻表が変更になっていた! 〜

 萩市役所に着いたので、早速、通りの向かい側にある萩・明倫センターまで歩きそこにある観光センターで、JR新山口駅まで行くバスの時刻表を確認します。



◎萩・明倫センター 12:27 発は無くなっていた!
 確かに、ここ萩・明倫センターからJRの新山口駅までのバスは出ていますが、バスの時刻表に変更があり、JR萩駅で貰ったバスの時刻表にある、私が乗る予定だった萩・明倫センター 発 12:27 は無くなっていました。

 2024年の4月1日付で変更になったとのことです。
 次の高速バスの新山口駅行の 萩・明倫センター発は、 13:17 とのことです。 私が貰った高速バスの時刻表は、古かったのです。JR萩駅で出会った叔父さんも、バスの時刻表が変わったことは知らなかったのでしょう。

 
 
昼食 11:50  昼食 〜萩・明倫学舎内のレストラン:萩暦〜

 新山口駅行のバスの発車時刻は、 13:17 でまた充分に時間がありますから、萩・明倫センターの隣にある萩・明倫学舎内のレストラン・萩暦で昼食です。

 料理は、「魚と肉と野菜のミニ3丼セット」 ¥1,980 に 折角、山口に来たのですから、「ふぐの唐揚げ」 ¥580 も頼みました。

 ・魚(刺身とイクラ)・・・新鮮でいい
 ・肉(ぶた)・・・美味い
 ・野菜天丼・・・まあまあ
 ●ふぐのから揚げ・・・骨ばかりでだめ
萩・明倫センター〜 JR新山口駅へ   13:17  *萩・明倫センター 〜 JR新山口駅へ

 小雨が降ってきた。 少し寒い。 JRバスは定刻通りに来た。ここ、萩・明倫センターから乗る人は、7,8人いた。 料金は、 ¥1,600 。


 この便(スーパーはぎ号)は、ここ萩・明倫センターを出発すると、後はノン・ストップで、終点のJRの新山口駅まで行く。

 JR新山口駅着は、14:20 の予定。約1時間の旅だ。
萩・明倫センター〜 JR新山口駅  *萩からJR新山口駅までのバスのルートは、秋芳洞から萩へ来た時と、ほぼ同じルートだった。

 あまり、山口県内の道には詳しくないが、バスに乗っていたら、昨日(11月14日)の午後、秋芳洞から萩へと乗ってきた路線バスでも見たことがある「角力場」なんて表示があったので、路線図を調べてたら、 この東萩駅前から出ているバスの路線は、秋芳洞から萩へ来た路線とほぼ同じルートを戻っていた。 


 注:私が利用した高速「スーパーはぎ号」は、萩・明倫センターを出発すると、後はノン・ストップで、終点のJRの新山口駅まで行きます。

 途中には停まりません。
萩・明倫センター〜 JR新山口駅   *雨が降ってきた。


 茶色の島根の名産の石州瓦(せきしゅうかわら)の家が多い。
JR新山口駅 14:35 *JR新山口駅 着

 萩・明倫センターを 13:17 に出発した高速バス「スーパーはぎ号」が、予定の 14:20 より少し遅れて 14:35 にJR新山口駅に着きました。 1時間18分の旅でした。

 料金は、¥1,600 です。 これから、山陽新幹線で、岡山に帰ります。
JR新山口駅〜JR岡山駅へ  15時頃 *JR新山口駅〜JR岡山駅へ

 新幹線利用で、新山口駅から岡山駅まで行くには、各駅停車の「こだま」がすぐ発車ですが、この「こだま」は、途中で「のぞみ」に抜かれるので 15:11 発の「のぞみ」に乗ります。
JR新山口駅〜JR岡山駅     *切符を買う

 新山口駅〜岡山駅 の乗車券は、¥5,170
 新幹線 (特急料金) 自由席   ¥3,400
------------------------------------------
   合計                ¥8,570 です。
JR新山口駅〜JR岡山駅     *変わった列車が停まっている! 〜キティちゃん列車だ〜
 新山口駅の新幹線の下りホームに、こんなピンクの車両が停まっていました。

 サンリオの人形「キティちゃん」をデザインしていました。
 
JR新山口駅〜JR岡山駅   15:11 〜

16:19
*JR新山口駅 発 
 のぞみ38号 は定刻 15:11 に発車です。

 そして、定刻の 16:19 JR岡山駅に無事到着しました。 68分 ¥8,570 でした。

 2024年11月13日(水)から11月15日(金)まで、2泊3日の 山口の
  ・錦帯橋
  ・瑠璃光寺
  ・湯田温泉
  :秋芳洞
  :萩
 を巡る旅は、予定していた「出雲大社」へは、山陰本線が不通となりいけませんでしたが、これで全部終わりました。
◎ 2024年11月15日(金)は終わりです。

  この旅行記が、読者の旅行での参考になれば幸いです。

  ご意見、ご感想またお気づきの点などがありましたら、お気軽に、私のブログ  までお寄せください。
◎和室の不便さ
  最近の旅行では、ほとんどビジネス・ホテルに泊まるので寝る時には、自宅と同じベッドとなっていた。
  
 それが久し振りに萩では和室・12畳の部屋でフトンで寝ることになった。そこで、気づいた。

 ◎畳に布団は起き上がるのが大変だ!
 左足の膝が痛いせいもあり、平らな布団から起き上がるのが一苦労だった。

 ◎電気のコンセントが少ない!
 スマホの充電をしようとしたが、コンセントがない。
 コンセントの増設コードがある訳がわかった。

 ◎リモコンが無い!
  自宅では、照明用のリモコンで寝たままライトを消しているが、電気を点けたり消したりするのに、いちいち起き上がって、コードを引っ張るのは面倒だった。

◎山陰本線が不通とは 焦る
  
参った。
  当初予定していた東萩駅から出雲大社へ行くつもりが、益田付近で雨のため山陰本線が不通になったのを、知らなかった。
  当然、計画を立てる際に、バスや列車の時刻表や料金は調べている。
  その最終確認を11月3日にしている。
  都会暮らしの感覚では、列車が不通になる時には、大きなニュースとして報道されるから見落とすことはない。

  しかし、山陰本線の一部不通では、私のアンテナには届かない程度の扱いしかされないとは、そんなものなのか。

◎JRの駅には、JRの駅員がいない不便さ!
 都会の駅には列車が運行されている時間なら駅員はいるものだ。
 しかし、田舎の多くの駅にはJRの駅員がいないということを知った。
 JRの東萩駅に朝行っても、誰もいないし、同じくJRの萩駅でも駅員は居なくて、情報を得られなかった。
 ローカル線では採算がとれないので、駅の業務を地方自治体に委託しているのが現状だ。

 しかし、これでは、今回の山陰本線の一部不通などで、乗客はどうすればいいのか、対応に苦労する訳だけど。


◎明治維新の人たちを調べるとキリがない。
 山陰本線が不通になったので、出雲大社へ行く予定を変更して、吉田松陰が主宰した「松下村塾」を見物したので、吉田松陰だけでなく、その塾生、高杉晋作、伊藤博文などだけでなく、明治維新に関係する坂本龍馬、西郷隆盛などに関する事項もNETで調べた。

 ・どうして、「松本村(まつもとむら)」にあるのに「松下村塾(しょうかそんじゅく)」にしたのか?
  松下村塾と名付けたいわれが、「松本村」にあったので、「松下村塾」としたとある。
  しかし、私としては、「松村(まつもとむら)」にあったなら「松村塾(しょうかそんじゅく)」でなくて「松本村塾(まつもとむらじゅく)」になると思うが、多くの解説を読んでもそこを指摘していないのは、みんな他の人の受け売りなのか、ハッキリしない。
  「下(した)」は、「本(もと)」とも読めるので、「本」と同じ「下」にしたと考えればいいのか。

 ・どうして、吉田松陰は、僅かな間に勤王の志士たちを扇動できたのか。
  吉田松陰が「松下村塾」で教えていたのは、1857年から処刑される1859年という僅かな2年間でしかない。
  この2年の間に、塾生だけでなく多くの尊王攘夷・討幕の同士を得ることができたのか。
  歴史は、簡単に纏めるが、当時の下級武士・農家の人たちの間には、時の体制に対して鬱積した不満があったのだろう。
  いつの世にも、体制に不満を持つ若者たちはいる。
  その、若者たちの気持ちを利用したアジテター(扇動者)として、吉田松陰がいたのか。

 ・藩校では教えられないことがある。小人数教育の利点
  アジテーターとしての吉田松陰をみると、彼は藩校の「明倫館」でも教えていたわけだけど、そこでは、他の先生もいて、松陰の意見に反対論もある。
  そこで、小人数での教育ができる「松下村塾」に移ったと考えると分かりやすいか。

  旅行記に、長州の人たちに関するおまけの情報も付け加えたので、ホーム・ページ作成に時間がかかった。
 
◎循環バスは安くて便利。¥100
 萩市内を循環しているマイクロ・バス「萩循環まぁールバス」は、45分間隔で1日15便もあり、しかも、 ¥100 という料金だ。
 今回も、2,3度利用したが、足の弱い方は、このバスの利用をお勧めする。

◎萩市内は、殆ど歩いた!
 昨日(11月14日)は、萩市の中心の萩バスセンターから始まり、明倫館、旧城下町、菊ガ浜と萩市の西を歩き回り、今日(11月15日)は、萩市の東にある「松陰神社」を巡り、また、萩駅近辺まで行っている。
 この旅行記を読めば、萩市のほぼ全体が分かるかも?


 車の利用でなく、全部列車と路線バス利用の旅 について

  最近は流行らないかも知れないが、観光バスも利用せず、車を持たない私としては、旅を計画するのは大変な作業だ。

  NETを駆使して、各観光地での所要時間と料金でスケジュールを立てたわけだけど、今回の山陰本線の不通などが突発すると計画の全てが狂ってしまう。
 こんな時に、身近にあるスマートホンは本当に便利だ。

 簡単に、変更に対応したルートや料金を教えてくれる。スマートホン。有難う!


岡山から山口の旅 費用の纏め
 
 2024年11月13日から15日の2泊3日の岡山から山口の旅でかかった金額は、以下の通りです。
 
費目  金額 
交通費 JR分 ¥19,230 
交通費 バス代 ¥6,470 
宿泊、食費 ¥28,818 
 合計  ¥54,518


     

前へ



海外旅行編なら

イギリス、ドイツ、スイス、フランス、イタリア編はこちら

スペインとポルトガル編はこちら

オーストリア、スロバキア、ハンガリー、チェコ そして ドイツ編はこちら

ヴェトナムとアンコール・ワット編はこちら

スリランカとインド編はこちら

ロシア編はこちら

掲示板へ

映画・演劇 評論へ



更新記録

2025年 2月2日:一応終り
2024年12月27日から作成

*映画・演劇評論へ*写真集へ*目指せ!マンション管理士・管理業務主任者へ*「超解説 区分所有法」へ*「要約 建築基準法」へ、 *ヨーロッパ旅行記へ*ヴェトナム、アンコール・ワット旅行記へ*スリランカとインド旅行記へ、 *ロシア旅行記へ *「讃岐 広島へ帰る」へ 、*金町団地の建替闘争の記録へ ★「マンション管理士 香川事務所」へ