オーストリア、スロバキア、ハンガリー、チェコ そして ドイツ   10日間の旅行記

第8日目: 2012年(平成24年)  5月10日(土)  

チェコのチェスキー・クルムロフ、オーストリアのザルツブルグ

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チェコのプラハからチェスキー・クルムホフ へ、そしてオーストリアのザルツブルグ へ

 

◎ 本 日 の ス ケ ジ ュ ール
 場 所  概 要
起床 06:00 プラハのホテル:パノラマ・ホテル・プラハ
朝食 06:30 New
ホテル:パノラマ・ホテル・プラハのビュッフェ
ホテル 発 08:00 チェコのチェスキー・クルムロフ へ
チェスキー・クルムロフ 着  11:00
昼食 11:30 New
コロッケとチキン料理
チェスキー・クルムロフ観光 12:00~ 【世界遺産】 
 チェスキー・クルムロフ城
 旧市街
チェスキー・クルムロフ発 14:10~ オーストリアのザルツブルグ へ
ザルツブルグ着 18:00
ザルツブルグ観光 18:00~ 【世界遺産】
 ミラベル庭園
 マカルト小橋の鍵
 モーツアルトの生家
 祝祭劇場
 大聖堂
ザルツブルグ発 19:25 ザンクト・ヴォルフガング へ
ザンクト・ヴォルフガング着 20:30
夕食 20:50 New
ビーフ料理
宿泊   New
ホテル:スカラリア・イベント・リゾート

 

訪  問  地 詳    細
ホテル:パノラマ・ホテル・プラハ 06:00

*起床
  
  5月17日(木)の夕方にチェック・インした、プラハのホテル:パノラマ・ホテル・プラハ 820号室とも今日でお別れです。

 朝の4時頃からもうかなり明るくなっています。6時には日が出ています。
今日もいい天気で、暖かいようです。


ホテル:パノラマ・ホテル・プラハ 06:30
*朝食

 パノラマ・ホテル・プラハの1Fにあるレストランで、今朝もビュッフェ・スタイルの食事をとります。

 今日の予定は、チェコの南にあるチェスキー・クルムロフまで、約180Kmのバスの旅で、チェスキー・クルムロフの城などを観た後、国境を越えて、オーストリアに入り、ザルツブルグの観光です。
 チェスキー・クルムロフからザルツブルグまでは、約220Kmあります。

 1日で、移動距離合計約400Kmという長旅に備えて(朝から、食欲があるという言い訳ではありませんよ)、本当に、今日も朝から、オムレツ、ソーセージ、ゆで卵2個などをしっかりと食べます。
チェスキー・クルムロフ

08:00 *チェスキー・クルムロフに向けて出発

 乗っているバスは、今回のツアーでヨーロッパに到着した初日の5月13日のドイツのミュンヘンから同じバスで、運転手さんもそれ以来変わらず優しいハンガリーの男性です。


チェスキー・クルムロフ

  *菜の花が満開

 プラハからチェスキー・クルムロフ への道の左右も菜の花が咲いています。

*途中のトイレ休憩は、高速道路を降りていますので、サービス・エリアがなく、道端にあるスーパーのトイレをお借りしました。
チェスキー・クルムロフ 11:00 *チェスキー・クルムロフ (Český Krumlov)着 【世界遺産】
 
 プラハから、チェスキー・クルムロフまで約180Kmの距離を、3時間でやってきました。

●チェスキー・クルムロフのウンチク
 ヴルタヴァ(モルダウ)川が大きき湾曲する場所にあり、16世紀には、交易も盛んで、城や建物も多く建築された。しかしその後、領主の財政状態が悪くなり、街は衰退し、荒れた状況にあったが、1960年後半から財産価値が見直されて徐々に補修がなされ、1992年に世界遺産に登録された。

 なお、チェスキー(Český)とは、チェコ語でボヘミアを意味します。チェコには、クルムロフの地名としてモラヴスキー・クルムロフもあるので、こちらは、チェスキー・クルムロフといいます。クルムロフは「川の湾曲部の湿地帯」を意味します。
チェスキー・クルムロフ 11:03 *チェスキー・クルムロフ (Český Krumlov)

 どうやら、バスは、城の裏側に停まったようです。

 これから、城の方に向かいます。
チェスキー・クルムロフ 11:18 *チェスキー・クルムロフ (Český Krumlov)

 通りはこのように、かなり狭くて、防御用に曲がっています。
 
チェスキー・クルムロフ 11:22 *チェスキー・クルムロフ (Český Krumlov)

 チェスキー・クルムロフの案内図にあるように、この街はヴルタヴァ(モルダウ)川が大きく曲がった場所にありました。

●チェスキー・クルムロフ城から見下ろす、川の出っ張りの部分に市街があります。

 この市街の部分には、市庁舎や、画家のエゴン・シーレが住んでいたので、エゴン・シーレ文化センターや、プラハの城にもありましたがヴィートを偲ぶ聖ヴィート教会もあります。
チェスキー・クルムロフ 11:30 *昼食

 チェスキー・クルムロフの街の観光の前に、昼食です。

 昼食をとったレストランは、街の広場にあり、この写真の「Infocentrum」の右に入口があるレストランです。
チェスキー・クルムロフ   *昼食

 レストランは、通りに面した入口を入ると下りの坂道に小さな中庭があって、建物の中は岩をくりぬいた洞窟でした。
チェスキー・クルムロフ   *昼食

 まずは、スープです。

 玉ねぎが入っていて、かなり脂っこくて美味しい。
チェスキー・クルムロフ   *昼食

 メインは、小さなボール状のコロッケと鶏肉のスープです。

 このボール状のコロッケは、潰して、スープの味付けで食べます。

●味は?
  いつものことですが、まあまあです。

 上の写真でお分かりのように、このレストランでは、天井に灯りがありません。
 各テーブルの蝋燭の灯りが頼りです。

 いくらビールで有名なチェコにきているとはいえ、いつも昼からアルコールを飲む習慣もないので、今日はコーヒーも飲みました。

 コーヒーの代金は、2.5ユーロ(250円)でした。

●今回旅していますヨーロッパのチェコとハンガリーでは、通貨としては、ユーロが公式には使えませんが、ほとんどのレストランでは、旅行者に対してユーロが使えます。お釣りも、ユーロでかえってきます。
 
チェスキー・クルムロフ 12:00~ *チェスキー・クルムロフの観光へ

 チェスキー・クルムロフの街での特徴が、この外壁です。
 写真では、煉瓦を積み合わせているように見えますが、これが全部、絵です。

 いわゆる、「だまし絵」です。
 写真をクローズ・アップすると下のようになります。
    
チェスキー・クルムロフ   チェスキー・クルムロフ

 街には、こんな人形や、下のような顔出しもあります。


*下の写真は、ホテルの看板です。
チェスキー・クルムロフ   チェスキー・クルムロフ

 よく観光写真で使われている写真です。
*ヴルタヴァ(モルダウ)川はきれいで、ここらはかなり急流になっていて、この付近でカヌーを漕いでいる人はいつも多いようです。
チェスキー・クルムロフ チェスキー・クルムロフ城 (Hrad a Zámek Český Krumlov) 

●最初の城は、13世紀に建てられ、その後、追加されて、東西に長い建物になっています。

 このチェスキー・クルムロフ城の塔の部分はもっとも古い建物で、塔は上まで登ることができます。(有料ですが。)

 これから、塔の右下にある赤い門から城に入り、5つある中庭を抜けて、市街が展望できる小庭まで歩きます。

チェスキー・クルムロフ   *トゥルデルニーク (Trdelnik )

 チェコでは確かに、お菓子のトゥルデルニークは有名で、あちら、こちらで売られています。

 ここでも、芳ばしい香りが、鼻をくすぐります。
 
チェスキー・クルムロフ   *店の看板も面白い。




チェスキー・クルムロフ城 13:20 チェスキー・クルムロフ城

 狭い急な坂道を登り、チェスキー・クルムロフ城の中庭に出ました。

 この塔の下の方に描かれている柱もだまし絵です。

チェスキー・クルムロフ城   チェスキー・クルムロフ城

 *チェスキー・クルムロフ城の次の中庭です。

 観光客が一杯います。ここには、公衆トイレがあるので。

*入口のアーチも絵です。
チェスキー・クルムロフ城   チェスキー・クルムロフ城

 次の中庭です。

*出窓も絵でした。
チェスキー・クルムロフ城   チェスキー・クルムロフ城

 窓から、市街にある聖ヴィート教会も眺められます。
チェスキー・クルムロフ城 チェスキー・クルムロフ城

 *チェスキー・クルムロフ城の塔のある東から西へと中庭を歩きこの展望テラスで一応、我々のコースは終わりです。
チェスキー・クルムロフ城 14:06 チェスキー・クルムロフ城

 チェスキー・クルムロフ城には、まだ、この西側に広い「城の庭園」がありますが、私たちは、こここで、坂道を下りバスの待つ場所に帰ります。
ザルツブルグ
 へ
14:10 *バス発

 チェスキー・クルムロフでの約3時間の観光を終えて、バスは、これから、チェコを出て、再びオーストリアに戻り、ドイツに近い街:ザルツブルグに行きます。

 チェスキー・クルムロフからザルツブルグまでは、約220Km、4時間ほどの旅です。
ザルツブルグ
 へ
15:11 *ザルツブルグ へ

  バスは、チェコの国境をいつの間にか超えて、オーストリアに入っています。
  道の左右には、小麦の畑が続いています。

●オーストリアの基本情報は、この旅行記 2日目の5月13日 にありますので、そちらを見てください。
ザルツブルグ
 へ
16:15 *トイレ休憩

  バスは、高速道に入り、オーストリアのリンツ(Linz)を過ぎました。

  ここで、オーストリアでは、ハルシュタットからウィーンに向かった 5月13日 にも利用したことのある、LandZeit というレストランや土産物も売っている店で休憩です。

ザルツブルグ
 へ
  *トイレ休憩

 この休憩時間に、添乗員さんが、なんとパイとイチゴの豪華な盛り合わせを頼んで食べた!

 少しばかり、休憩時間があったようで、勝手知ったる添乗員さんは、こんなヴォリュームのあるものを焼いてもらっていました。

 私は、オレンジ・ジュースだけを飲んでいました。(私も食べたかった!)
ザルツブルグ
 へ
17:22
*ザルツブルグ へ

 5月13日に、ドイツのミュンヘンから、オーストリアのハルシュタットへ向かった時に見たようなアルプスの光景を、今度は、進行方向を逆にして見ています。
ザルツブルグ 18:00 *ザルツブルグ着

 チェコのチェスキー・クルムロフから、約220Kmの距離を、途中でのトイレ休憩を含めて、4時間弱のバスの旅でした。

 どうやら、ザルツブルグの街に到着しましたが、ザルツブルグは、今「ドッグ・ショー」が開かれていて、車で街の道々が大渋滞です。
 回り道をして、どうにか観光の開始です。
ザルツブルグの基本情報
 ドイツ語表示:Salzburg。 人口:約15万人。
 ザルツブルグ州の州都。

 オーストリアでは、ドイツ国境に近い西側に位置している。街の中央には、南から北に流れるザルツァッハ(Salzach)川があり、川の東側は新市街で、ミラベル宮殿やモーツアルトの住居などがあり、マカルト小橋かシュターツ橋でザルツァッハ川を渡ると、西側は、旧市街(ツェントルム)で、こちら側には、ザルツブルグを支配していた大司教の住居(レジデンツ)があり、モーツアルトが生まれたのも、旧市街である。
 旧市街には、2つの塔を持つ大聖堂(ドーム)や、音楽祭が催される祝祭大劇場もある。また旧市街の高台には、ホーエンザルツブルク城があり、ケーブル・カーで登ることもできる。

 ザルツ(Salz)とは、「塩」を意味し、ブルグ(Burg)とは、「城」や「砦」を意味する。
 古代より近くでとれる岩塩を、ザルツァッハ川から、ヨーロッパ各地に送る取引で栄えた町で、13世紀頃から、代々キリスト教の大司教が領主も兼ねており通行税をとり町を治め、また金も産出されたので豊かな財政をもとに、1620年代に建てられた大聖堂(ドーム)など歴史的な建築物が多くある。

【世界遺産】:ザルツブルグ市街の歴史地区として、ザルツァッハ川岸の旧市街の大聖堂やレジデンツ、ホーエンザルツブルグ城、、新市街のミラベル宮殿、人形劇場と州立劇場などの歴史的建築物が1996年に世界遺産として登録された。

●街の有名人:音楽家としては、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756年生)が生まれ育っている。また、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年生)も、ザルツブルグで生まれている。
  音の「ドップラー効果」で有名な、クリスティアーン(クリスチャン)・ドップラー(1803年生)もここの出身である。

●映画:「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年製作)のロケ地でもある。
ザルツブルグ 18:08~ ザルツブルグ観光へ。【世界遺産】

  バスは、ザルツブルグの新市街の方に停まったようです。
  
 ザルツブルグでは、「ドレミの歌」などで有名な、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケが行われていて、映画に因んだ、「ミラベル庭園」や「レジデンツ」だけでなく、郊外のザルツカンマートを巡るツアーもあります。
ミラベル宮殿 ミラベル宮殿 (Schloss Mirabell)

●1606年に大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人ザロメ・アルトと子供たちのために建てたとされる。
  その後、改装されましたが、火事で焼失し、現在の建物は再建されたものです。
 今は、ザルツブルク市長公邸となっています。

 ミラベルとは、「美しい眺め」という意味です。
ミラベル庭園   ミラベル庭園 (Mirabellgarten)

  ミラベル宮殿にあるミラベル庭園もきれいに手入れされていて有名です。
 このミラベル庭園内で、映画「サウンド・オブ・ミュージック」でトラップ家の子供たちと「トレミの歌」を、マリア役のジュリー・アンドリュースが歌っています。

  写真の中央に見えるのは、旧市街の丘にある「ホーエンザルツブルグ城」です。

 *このミラベル宮殿の側に、マリオネット劇場や州立劇場もありますが、細かくは見ていません。

 
ミラベル庭園    ミラベル庭園 (Mirabellgarten)

*ドッグ・ショーでやたら犬を連れた人が多い。
   
ミラベル庭園 18:19~ *ミラベル宮殿からモーツアルトの住居へ

 
モーツアルトの住居   *モーツアルトの住居

 モーツアルトは、ザルツァッハ川向こうの旧市街で生まれましたが、新市街のマカルト広場に面したこの場所に1773年から1780年まで住んでいて、ここから、パリやロンドン、ミュンヘンやウィーンへ馬車で演奏の旅へ出ていたのです。
 モーツアルトの姉:ナンネルも結婚するまでここに住んでいて、父親レオポルトは死ぬまで住んでいました。

 この建物も1944年の空襲で破壊されたのを、その後、1994年に再建しています。
モーツアルトの住居の近く   *モーツアルトの住居の近く

 モーツアルトの住居の近くには、音楽界の帝王:ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年生)や、音の「ドップラー効果」で有名な、クリスティアーン(クリスチャン)・ドップラー(1803年生)の家もありました。
    
マカルト小橋 18:26~ *マカルト小橋 (Makartsteg)

 モーツアルトの住居からすぐ側にある、ザルツァッハ(Salzach)川にかかる歩行者専用のマカルト小橋を渡ると、旧市街に入ります。

 もう夜の6時を回ったというのに、明るくて、またかなりの数の観光客がいます。
*そして、「ドッグ・ショー」で犬を連れた人も多い。
 
マカルト小橋   *マカルト小橋の鍵

 このマカルト小橋の手すりの金網には、鍵が一杯引掛けられています。

 映画かテレビの恋愛ドラマで、鍵を橋の金網にかけると、そのカップルは幸せになるという話があったようで、最近、はやっているようです。
*こんな、母親と子供たちもいました。
マカルト小橋   *マカルト小橋から旧市街をのぞむ。

  写真の右側が、南でザルツァッハ川の上流になります。

  中央の高台にあるのが、ホーエンザルツブルグ城で、川の側にある集合住宅の奥に、大司教の住居(レジデンツ)があり、右側の丸い塔が、大聖堂(Dom)です。

 これから、マカルト小橋を渡って、旧市街の繁華街:ゲトライデガッセ通りへ行きます。
ゲトライデガッセ通り 18:36~ ゲトライデガッセ通り (Getreidegasse)

  ゲトライデガッセ(ゲトライデ)通り (Getreidegasse)は、ザルツブルグの旧市街で一番の繁華街です。

  こんなに狭い道幅ですが、ここに多くの有名店があります。

 この通りでは、鉄製の看板が有名です。ZARAや、ハンバーグのマクドナルドもこんな感じです。
  
ゲトライデガッセ通り      *5月なのに、クリスマスの人形が?(このデスプレイは、1年中、変わっていないようです。)
ゲトライデガッセ通り 18:39~ ゲトライデガッセ通り (Getreidegasse)

 ゲトライデガッセ通り (Getreidegasse)には、後で紹介しますが、モーツアルトの生まれた家もありますが、ツアーはここから、古い建物の中庭を通り、左の祝祭劇場の方に曲がります。

*古い建物がある。

  この写真の建物に書かれている、「1258 Anno Domini 1986」とは、元々建てられたのは、西暦1258年で改築したのが、1986年ということです。
  
祝祭劇場 18:52 祝祭劇場 (Festspielhaus)
 
  岩山の下に、祝祭劇場 (Festspielhaus)があります。

●祝祭劇場のウンチク
  毎年7月下旬から8月上旬に開催されるザルツブルグ音楽祭のメイン会場で、元は大司教の騎馬学校があった場所で、フェルゼンライトシューレ、大ホール、小ホールの3つの劇場がある。

 大ホールは土地がないので、岩山をくり抜いて、1960年に完成した。ここザルツブルグ出身の偉大なる指揮者:ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮でリヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」が開場曲。

レジデンツ 18:55 レジデンツ (Residenz)

 祝祭劇場のすぐ左側には、ザルツブルグの統治者であり教会の大司教の住居:レジデンツ (Residenz)があります。

 大司教は、丘の上にあるホーエンザルツブルグ城には通常住まず、丘の下にあるレジデンツで執務していました。

 1600年代から、宮殿として増改築され、今は、ギャラリーや博物館になっています。
 ここは、周りを見ずに、我々のツアーは、ドンドン先に歩いています。


 
レジデンツ   レジデンツ (Residenz) 

  ここでも、ドッグ・ショーに来ている人に会いました。

 この犬(どちらの犬かは分かりませんが)は、賞を取ったとのことで、カップをみせてくれました。
大聖堂  18:58 大聖堂 (Dom)

 レジデントを奥に行くと、大聖堂(ドーム)(Dom)があります。

●大聖堂のウンチク
  元は、774年に建てられたものを、途中火災などの被害を受け、現在の建物は1628年に改築されたが、1944年の空襲で天井も被害を受け、1959年改修されました。
 中には、1万人が入れます。
  ここで、モールアルトが洗礼を受け、モーツアルトは、この教会のオルガン奏者でもあった。
 また、ヘルベルト・フォン・カラヤンの葬儀が行われた。

 ドーム博物館には、かなりの宝物が展示されているようです。

 
大聖堂  大聖堂 (Dom)

  この大聖堂の広場にある像とバックの大聖堂の入口にある黄金の冠との距離をうまく合わせると、このようにまるで、像が冠を戴いているように、写真が撮れます。

ザルツブルグ旧市街 19:00 *モーツアルトの生家へ

 大聖堂から、ザルツァッハ川の方に向かい、また、モーツアルトの生家があるゲトライデガッセ通りに戻ります。

途中では、魚を焼いていたり、音楽会が開かれていたりと、賑やかですが、私たちのツアーはドンドン進みます。
  
カフェ・トマッセリ 19:03 カフェ・トマッセリ (Cafe Tomaselli)

 ザルツブルグでは、このカフェ・トマッセリは、モーツアルトも愛用したとかで、1703年創業とかの老舗で有名です。

 ゆっくりと、カフェ気分を味わう人たちで、外まで一杯です。
*子供も、ドッグ・ショーに参加です?(ぬいぐるみですが。)
モーツアルトの生家 19:07 モーツアルトの生家 (Mozarts Geburtshaus)

 ゲトライデガッセ通りへ戻って来ました。

  このゲトライデガッセ9番地に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart)が生まれた家があります。

 この写真の家の4階で、ヴォルフガングは、1756年1月27日にレオポルト・モーツァルト一家の7番目の末っ子として生まれました。
 ここには、その後、1773年まで住んでいて、それ以降は、ザルツァッハ川向こうに、引っ越ししています。



  

この建物の2、3階にはショップがあり、4階には、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルの愛用していた楽器や手紙が展示されているそうです。(入るのは、有料です。)
ザルツァッハ川付近 19:13 *ザルツァッハ川付近

 

 
ザルツァッハ川付近
ザンクト・ヴァルフガング へ
ザンクト・ヴァルフガング へ 19:25~ *ザンクト・ヴォルフガング へ

 ザルツブルグの観光を終え、これから、今夜の宿がある、ザルツブルグから東へ50Kmほどの距離にあるザンクト・ヴォルフガング へ向かいます。

●ザンクト・ヴォルフガング (Sankt Wolfgang)
  ザルツブルグの東にある2000mクラスの山々と70以上の湖がある一帯は、ザルツカンマーグート(塩の宝庫)(Salzkammergut)と呼ばれ、古くから岩塩を産出して、ハプスブルグ家の財政を支え、また温泉も出るので、風光明媚な保養地としても有名な地域です。

 そのザルツカンマーグート地域において、ヴォルフガング湖畔にある町が、ザンクト・ヴォルフガング ((Sankt Wolfgang)です。地名の由来は、ヴォルフガング司教が建てたとされる巡礼で有名な教区教会があることによるようです。
    
スカラリア・イベント・リゾート 20:30 *ホテル着

 高い山の麓や大小の湖の側を通って、今夜の宿がある、ザンクト・ヴォルフガングのホテル:スカラリア・イベント・リゾートに到着しました。

  ザルツブルグから、約50Kmを1時間程度でやって来ました。

  時間は、夜の8時過ぎで、山に囲まれているせいもあり、さすがに、暗くなっています。
夕食 20:50~ *夕食 New

  もう夜も遅いので、ホテルの部屋に入る前に、ホテル:スカラリア・イベント・リゾートから歩いて、2、3分の所にある眺めのいいレストランで夕食です。
夕食   *夕食 New

  前菜はサラダです。

  今夜で、5月13日のミュンヘン到着から始まった「中欧5ヵ国の旅」も終わりです。

  そこで、小さいけれど、ビール(3ユーロ=300円)も飲みました。

 
夕食   *夕食 New

 メインは、ビーフと小麦粉をまぶしたジャガイモでした。

  ビーフの味は、そこそこです。

 

*デザートは、甘いケーキです。
夕食   *レストランのウエイター

 チロルの民族衣装とひげで、名物的な存在のようです。

 でも、おじさんは、ウエイトレスとの写真を撮る方が好きですが。

 

夕食 22:12 *レストラン前で

 ツアー仲間の皆さんとも顔なじみになり、またヨーロッパでの最後の夜ということで、大いに夕食の席は盛り上がりました。

  そして、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の話になり、テーブルでは、「サウンド・オブ・ミュージック」で歌われた「エーデルワイス」の合唱となりました。

 (時間も、10時近くなり、レストランにも、他の客はほとんどいなかったので、迷惑はかけていません?)

  

 
ホテル:スカラリア・イベント・リゾート 22:37 New
 お休み。

  5月19日の宿泊は、ザンクト・ヴォルフガングにあるホテル:スカラリア・イベント・リゾートです。

  英語での表示は、 Scalaria Eventresort
              A-5360 St.Wolgang Austria です。

  今夜は、もう暗くて、外が分からなかったのですが、全部の部屋にベランダがあり、各室からヴォルフガング湖をのぞむことができる、広くてきれいなリゾート・ホテルでした。

  泊った部屋は、5705号室ですが、ホテルはつぎ足しで建てたような構造で、8階にあります。
 部屋のキーは、カード式です。

 青リンゴのサービスもあり、スリッパやバス・ローブも付いています。バス・タブも深くて、足も伸ばせます。

 コーヒー・ポットもありました。
ホテル:スカラリア・イベント・リゾート   *ホテル:スカラリア・イベント・リゾート

   
◎ 2012年 5月19日(土)は終わりです。(作成:2012年11月 4日 ~ 11月16日 )
★第8日目は、チェコのプラハを後にして、南のチェスキー・クルムロフを観て、国境を越えて、オーストリアに入り、ザルツブルグへ寄り、ザンクト・ヴォルフガングに泊ります。
 
●料理の味付けは、日本に叶わない。
  この旅行では、朝・昼・晩と三食が全行程中についていて、阪急交通社もそこそこのレストランを選んでいるようですが、私が食した感想としては、ヨーロッパ各国でも、アジアでも、これは「美味い」と思った味付けにはまだ出会っていません。
  特に、私が日本料理がすきとか、食通ではありませんが、日本の味付けは、単純でなく、本当に奥深くて、世界に誇れます。 


●ザルツブルグとなると、映画「サウンド・オブ・ミュージック」は欠かせない。
 
  ミュージカル映画の「サウンド・オブ・ミュージック」は、私も青春時代に、デートで彼女と一緒に観た映画です。
  映画の記憶としては、日本では「ド、レ、ミの歌」で「シ」となっているのが、英語では「ティ」と発音されていたことでした。
  「ドレミ」は外来語ですから、「シ」も当然英語でも「シ」と発音されるとものと思っていたのに、違っているとは、すごく驚きました。

  それと、どうして、若い娘のマリアが、7人の子供もいる中年の男性に惹かれるのか、若い男として、身分があり金持ちに対する対抗心からでしょうか、若い娘は、若い男性と付き合うべきだと、随分と憤慨して、一緒に観た彼女と話したのを思い出します。


●モーツアルトと教会の大司教の関係がやっとわかった。
  余りクラシックに関心がないので、モーツアルトを扱った映画「アマデスス」を観ても、サリエりの退屈な話にあき、日本の舞台で演じられたミューカル「モーツアルト」も、どうもいい出来でないので評論がし辛かったのですが、その話の中で、どうして教会のコロレド(コルレド)大司教が音楽家のモーツアルトに執拗に絡むのかの関係が分かり難かった。

  しかし、今回の旅行記を書いていて、モーツアルトが生まれ育ったザルツブルグが教会の大司教が領主を兼ねていた街であることが、明確に分かり、教会の大司教であっても、領主としての立場から宮廷での音楽家のパトロンになっていたから、ここまでモーツアルトの生活に干渉できたとやっと納得できた。




●ザルツブルグの観光は、大忙しだった!
  後で写真を見ながら、地図を参考にして旅行記を作成しているのですが、ザルツブルグでは、一体どこの風景の写真か自分でも分からないシーンがかなりあります。
  その原因は、市中の曲がりくねった道を、とにかく訪れたというだけで、急いでドンドン歩いた、(いや、歩かされた)からのようです。

●ザンクト・ヴォルフガングのホテル:スカラリア・イベント・リゾートは最高!
  今回の旅行のパンフレットでは、ザルツブルグでは、市中のホテルに泊る予定でしたが、ザルツブルグでこの時期に生憎「ドッグ・ショー」が開催されていたために、ホテルが取れず、急遽、近くのリゾート地:ザンクト・ヴォルフガングにあるホテル:スカラリア・イベント・リゾートに泊ったわけですが、このホテル;スカラリア・イベント・リゾートは、ヴォルフガング湖畔にあり、ホテルの設備といい、景色も含めて、この旅行の中で最高によかったホテルです。


●ザルツブルグ「塩の砦」とハルシュタット「塩の町」
  5月13日に訪れたハルシュタットも岩塩で栄え、それ以上にザルツブルグも塩と川で繁栄した街です。
  人間にとってなくてはならない塩は日本では、海から簡単に取れますが、陸ばかりが続く地帯では、本当に「白い黄金」だったのですね。 

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