オーストリア、スロバキア、ハンガリー、チェコ そして ドイツ   10日間の旅行記

第5日目: 2012年(平成24年)  5月16日(水)  

ハンガリーの首都:ブダペストの1日 散策 

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ブダペスト 観光図

 

◎ 本 日 の ス ケ ジ ュ ール
 場 所  概 要
起床 06:30 ブダペストのホテル:メルキュール プダペスト ブダ
朝食 07:00 New
ホテル:メルキュール プダペスト ブダのビュッフェ
ホテル 発 08:30 ハンガリーの首都:ブダペスト観光へ
ブダペスト観光  08:45~ 【世界遺産】 プダペスト観光
 漁夫の砦
 マーチャーシュ教会
 市内観光
 地下鉄乗車
 中央市場
昼食 12:20 New
ホテルの近くのレストランでパプリカ・チキン料理
ブダペスト自由行動 13:35~ 【世界遺産】 プダペスト散策
 王宮
 エルジェーベト(エリザベート)橋
 ヴァーツィ通り(繁華街)
 聖イシュトヴァーン聖堂
 国会議事堂
 くさり橋
夕食 18:30 New
ホテル:メルキュール プダペスト ブダ内1階レストランでポーク料理 
ドナウ川ナイトクルーズ 20:20

21:30
 元はオプション(¥7,000-)が、旅行会社のホテルの変更などのトラブルで無料になり参加
宿泊 21:45  New
ブダペストのホテル:メルキュール プダペスト ブダ。連泊。

 

訪  問  地 詳    細
ホテル:メルキュール プダペスト ブダ    
06:30

*起床
  
  昨日(5月15日(火))の夕方にチェック・インした、ドナウ川に面したブダペストの王宮の丘があるブダ側にあるホテル:メルキュール プダペスト ブダ 134号室での目覚めです。
 これから行く、王宮の丘が眺められます。

*朝の4時頃、けたたましいバイクの騒音で目覚めました。
 それから、度々うとうとしても、外から騒音がします。
 どうして、そんなにバイクがスピードを上げるのかと思って窓の外を見てたら、けたたましい騒音の元は、路面電車と線路の摩擦音でした。
  

ホテル:メルキュール プダペスト ブダ 07:00 *朝食New
 
 ホテル:メルキュール プダペスト ブダ 1階にあるレストランでのビュッフェ形式での朝食です。

 ウィーンで泊まっていた、ホテル:アイロ・タワーでの朝食よりも、かなりメニューが豊富です。

 ジュースもオレンジやピーチもあり、コーヒーも通常のブラックの他にエスプレッソもあります。
 ハムや果物やパンも種類が多く出ています。
 
 でもいくら取り放題でも、ゆで卵2個は、朝から食べすぎですね。
ホテル:メルキュール プダペスト ブダ   *ホテル内の売店

 人形や陶磁器、ネックレスなどを売っていました。
●価格
 因みに、写真のブルーの飾りで外側の物は、11,500フォリント(約4、300円)です。
 
   
●今日の天気
  やや曇りで、風もあります。少し寒そうなので、長袖です。
ブダペストの基本情報
 ハンガリー語表示:Budapest。英語表示:Budapest。人口:約173万人(ウィーンと同じ程度の人口)。
 ハンガリーの首都であり、ハンガリー最大の都市。

 ハンガリーの中央に位置し、地名はドナウ川を挟んだ丘のある西側のブダと平坦な東側のペストと、もともとあった古いオーブタの3つの町を1873年に合併してから使用されている。
 16世紀中頃には、イスラム教のオスマン帝国に支配されていたが、1718年にキリスト教徒が奪回し、ハンガリー王国の首都となる。1867年から第1次世界大戦の終わる1918年まで(オーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊するまで)は、オーストリアのハプスブルグ家の支配が及んだ。オーストリア・ハンガリー二重帝国の時代には、オーストリアの首都:ウィーンと並んでハンガリー王国の首都として、国の行政・文化の中心地として栄えた。第2次世界大戦では、全ての橋がドイツ軍により破壊された。第2次世界大戦後の1949年に共産主義のハンガリー人民共和国として独立した当初は、ブダ城などは支配者のシンボルとして破壊されたが、1960年から1980年後半にかけて、ブダ城や橋は再建された。

●温泉が出ている。
  ゲッレールトの丘でも説明しましたが、ゲッレールトの丘の麓には温泉が湧き出していて、豪華なゲッレールト温泉ホテルや室内温泉など、ブダペストには100以上の温泉施設があるそうです。浴場としてだけではなく、医療施設としても利用されいます。

●ドナウの真珠/ドナウのばら
  ブダペストを流れるドナウ川の両岸にあるブダ城や国会議事堂など、20世紀にかけて復元された建物は、19世紀の面影を残しその美しさから「ドナウの真珠」とか「ドナウのばら」などに例えられている。

●世界遺産:ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り
  1987年にハンガリーで最初の世界遺産となったのはブダ側の王宮の丘にあるブダ城、漁夫の砦、マーチャーシュ教会。またゲッレールトの丘とその周辺 。ドナウ川にかかるマルギット橋・セーチェーニくさり橋・エルジェーベト橋。ペスト側の国会議事堂・科学アカデミーやエルジェーベト橋のペスト側の袂にあるのが、旧市街聖堂。そして、2002年に拡大申請で国立オペラ座が建っていてヨーロッパ大陸最初の地下鉄1号線が走っている英雄広場につながるアンドラーシ通りが認定された。
漁夫の砦 08:30 発 *ブダペスト観光へ


*使用しているバスと運転手は、ドイツのミュンヘン空港から同じです。

 今日は、観光ガイドとして別の男性も乗り込んでいます。
漁夫の砦 08:45 着  漁夫の砦 (Halászbástya【世界遺産】 

 泊っている、ホテル:メルキュール プダペスト ブダから見える王宮の丘(Varhegy)の南側にあるトンネルを通って、先ずは、「漁夫の砦」に着きました。

●漁夫の砦のいわれ
  ドナウ川で漁をしていた漁夫の組合(ギルド)がここを守っていたからとか、魚市場があったからとか言われています。

 19世紀末から20世紀初頭にかけて建築された「ネオロマネスク様式」の建物です。砦となっていますが、ご覧のようにそんなに厳つい建物ではありません。

 なお、写真中央のモザイクの屋根の建物は、「漁夫の砦」ではなく、これから行く「マーチャーシュ教会」です。

  「漁夫の砦」は写真手前の白い先端のある塔と回廊部分です。
漁夫の砦    漁夫の砦

  この写真の左側の白い塔(全部で7つある)を結んでいる壁を上がれば、ドナウ川が展望できるのですが、お金を取られるので、ドナウ川はなしに、広場からの眺めです。

*この広場にある騎馬にまたがる像は、ハンガリーの初代国王「イシュトヴァーン」(在位997年~1038年)です。イシュトヴァーン王はキリスト教の聖人ともなっています。

 イシュトヴァーン王が手に持っている、二重の十字架は、イシュトヴァーン王がキリスト教を導入し、またハンガリーの大司教を決める権利をもっていることを意味しているらしい。

 この二重の十字架は、英雄広場にある大天使ガブリエルの像でも見られる。


マーチャーシュ教会 08:52  マーチャーシュ教会 (Mátyás templom) 【世界遺産】

 漁夫の砦の側にある教会がマーチャーシュ教会(Mátyás templom)です。正式名は、聖母マリア聖堂とも。

 もともとは、1015年に建造されたのですが、1479年に第34代マーチャーシュ国王(在位1458年~1490年)が改築したので、マーチャーシュ教会と呼ばれています。しかし、オスマン帝国の支配下にあった1541年から1686年には、教会はイスラム教のモスクとして改造され壁のフレスコ画は塗りつぶされて備品も持ち去られました。

 オスマン帝国を駆逐してから、修復を試み、19世紀になって、フランツ・ヨーゼフの命で建築家:シュレクにより柱や壁などが本格的に修復がなされ、また第2次世界大戦でも損傷を受けましたが、1960年代に修復されました。

●屋根のモザイクがきれいです。
マーチャーシュ教会    マーチャーシュ教会 

 マーチャーシュ教会では、ハンガリーの歴代国王の戴冠式が執り行われ、1867年には、オーストリア・ハンガリー二重帝国で、ハンガリーの王も兼ねることになった、オーストリアのハプスブルグ家のフランツ・ヨーゼフ1世と皇妃:エリザベートの戴冠式も行われています。

 正面のゴシック調の塔の高さは、80m。

 内部のステンド・グラスや黄金に輝く主祭壇、壁や天井の絵など見どころはあるようですが、教会なのに、入場料(大人:990フォリント=約360円)をとるので、ツアーとしては内部観光は入ってはいません。


*現地の子供たちも勉強に来ています。
三位一体広場    マーチャーシュ教会前の広場

  マーチャーシュ教会前の広場は、三位一体広場(セントハーロムシャーグ広場 Szentharomsag ter)と呼ばれ、中央には18世紀に流行ったペスト(黒死病)除けの塔もあり、また付近には、記念碑や像もあります。



お土産屋 09:20 *お土産屋

 三位一体広場から宿泊代がかなり高そうなヒルトン・ホテルの前を通って、恒例のお土産屋さんです。

 ハンガリーのお土産として有名な、レースの飾りや、ハンガリー・ワイン、焼き物が所狭しと言った感じで置かれていました。
   


*因みに、この写真のきれいなレースは、かなり大きな図柄で、値段は表示されていませんでした。


 人形は、7,000フォリント(約2,600円)、絵皿は、2,800フォリント(約1,000円)程度です。
お土産屋   *店の看板が可愛い!

 日本のように、お土産屋であっても、ケバケバシイ看板は出ていません。
ハリネズミの看板だけです。他の店の看板もすっきりしていました。
    
市内観光へ 10:16 *ブダペスト市内観光へ

 王宮の丘の漁夫の砦を降りて、くさり橋を渡り、今度は、ドナウ川の向こう岸、ペスト側へ行きます。
くさり橋 10:27 *くさり橋のライオン

 ドナウ川にかかる、セーチェーニくさり橋(Széchenyi Lánchíd)の両方のたもとには、1852年に設置された合計4頭のいかめしいライオンの像があります。

 このライオン像は舌がないので、人々からからかわれた彫刻家は、悲観してドナウ川に投身自殺したという話があります。
ペスト側へ
  *ブダ側からペスト側へ

 ブダ側から、ドナウ川にかかる「くさり橋」を渡って、ペスト側のアンドラーシ通りの北側にある市民公園の地下鉄の駅へ向かいます。

●アンドラーシ通り【世界遺産】
 ペスト側にある、エリジェーベト広場と市民公園をむすぶ2.5kmのアンドラーシ通りも世界遺産で、1884年に完成したオペラ座や、リスト音楽院などがあり、その通りの下を、ヨーロッパ大陸最初の地下鉄が走っています。

●アンドラーシ通りは、造られた1872年に当時の首相:デューラ・アンドラーシに因んで名づけられたが、その後、スターリン通りなどとも呼び名が変更され、また、もとのアンドラーシ通りになっている。
 
英雄広場 10:38 *英雄広場 (Hősök tere【世界遺産】
 バスに乗っているので、世界遺産となっているアンドラーシ通りでは、周りの写真を撮る間もなく、通りの北側の市民公園内にある、英雄広場に着きました。

●英雄広場
  ハンガリー建国(896年)1000年祭に合わせて、1896年に造られた。完成は1929年。
  
  英雄広場は、市民公園内にありますが、【世界遺産】となっているのは、この英雄広場と両脇にある現代美術館と国立西洋美術館までで、市民公園そのものは、【世界遺産】に入っていません。
英雄広場   *英雄広場 

 この写真の中央にある高さ36mの柱は、キリスト教では神の言葉を告げるとされる天使「ガブリエル」が初代ハンガリーの国王となったイシュトヴァーンの王冠と大主教十字(二重の十字架)を握っています。
 これは、ガブリエルが、イシュトヴァーンこそハンガリーの国王になる人物でキリスト教を信じている人物だということを示しているようです。

 この柱の下には、柱を取り囲んで左右に7つの像があります。建設の当初は、イシュトヴァーン国王や他のハンガリーの9部族の英雄達と、オーストリア=ハンガリー二重帝国での影響で、マリア・テレージアやフランツ・ヨーゼフ1世など5つのハプスブルグ家の人たちの像でしたが、第2次世界大戦で、像が被害を受け、再建後は、5つのハプスブルグ家の像はなくなり、地元の英雄達だけの像に置き換わっています。

  この近辺には、他にもセーチェニ温泉とか動物園などもあると説明があるのですが、ツアーでは、ただ通り過ぎているだけで、写真は撮れません。(本当に、ここは、駆け足で過ぎた。)
地下鉄 10:44 *地下鉄に乗る 【世界遺産】

  ブダペストには、ヨーロッパ大陸では一番開業が古い(1896年5月)電気式の地下鉄があります。
 それが、アンドラーシ通りの地下を走る地下鉄1号線 です。
 
 この地下鉄1号線も、ハンガリー建国1000年祭に合わせて完成しました。
区間は、この英雄広場の先にあるメキシコ通り(Mexikói út)駅から、繁華街のヴェレシュマルティ広場 (Vörösmarty tér)駅を結んでいます。
 この英雄広場(ヘーシェク テレ=Hősök tere)駅を通って、終点のヴェレシュマルティ広場 ( Vörösmarty tér)駅まで行ってみましょう。


*地下鉄1号線のハンガリー語の名称はMillenniumi Földalatti Vasút(ミレニアム地下鉄道)です。
現在、ブダペストに地下鉄は、3路線があり、路線と駅は色分けされています。地下鉄1号線は、黄色です。
地下鉄1号線
地下鉄1号線   *地下鉄1号線に乗る。

 このブダペストでも、日本のような改札はありません。

 旅行会社が事前に購入してくれた、乗車券を、左の写真にある赤い改札機に入れると、切符が切られ、これで時刻が示されます。


*改札された切符です。(これは、10枚つづりの回数券の1枚です。)

 10枚で、2,800フォリント(約1,000円)

 切符の裏側にも、ハンガリー語で一杯文章があります。

●改札口がないけど、検札は厳しい!
 ブダペストの電車、バス、地下鉄などの切符は1日有効(24時間乗車券)とか、3日有効(72時間乗車券)とか、地下鉄の乗り継ぎができるとか各種あって、システムを知らない旅行者にはすぐ、検札がきて、罰金(6,000フィリント?=約2,200円)をとるとか。
 
地下鉄1号線 10:47 *地下鉄1号線に乗る。

 地下鉄1号線は、開業が、1896年と古いため、路線は地上から掘削してできているので、各駅も深くはありません。エスカレーターはなく、階段で駅のホームまで歩きます。

 
 地下鉄1号線の統一カラーの黄色い3両編成の電車が、ほとんど待つ間隔はなく、来ました。
地下鉄1号線   *地下鉄1号線の車内

  天井からは、まさに、昔懐かしい「つり革」がぶら下がっていました。(電車も、昔のスタイルで残しているとか。)


 
ヴェレシュマルティ広場駅 10:58 *ヴェレシュマルティ広場 (Vörösmarty tér)駅 構内

 地下鉄1号線の終点、ヴェレシュマルティ広場 (Vörösmarty tér)駅 に着きました。
 
 乗った英雄広場駅から、このヴェレシュマルティ広場駅まで、途中には、オペラ座駅など8駅ありますが、そんなに距離はなく、10分程度で着きました。

 ヴェレシュマルティ広場駅は、繁華街のヴァーツィ通りにあり、くさり橋にも歩いて行ける距離です。
ヴェレシュマルティ広場駅   *ヴェレシュマルティ広場駅 (Vörösmarty tér)駅



*出入り口は、こんな感じです。

 あまり、地下鉄出入り口の案内板が目立って出ていませんから、利用の際には注意してください。


●ヴェレシュマルティとは、19世紀の詩人です。
11:02 *通り

  地下鉄1号線のヴェレシュマルティ広場駅 (Vörösmarty tér)駅を出て、北のくさり橋に向かいます。

  ブダペストの街並みには珍しい、電飾を使ったケバケバシイ看板だと思ったら、カジノの看板でした。
くさり橋のたもと 11:04 *くさり橋のたもとから、王宮をのぞむ。

  ドナウ川には、豪華な観光船も停まっています。

  船上レストランやジャズの演奏をする船もあります。
くさり橋のたもと *路面電車の運転手は女性でした。

 (運転しながら、パンを食べていましたが。)



 *天井のない観光バスもあります。
国会議事堂 11:06 *中央市場へ

  バスに乗って、くさり橋のたもとを北上し、ドナウ川のペスト側にある「国会議事堂」などを観ながら、また南に戻り、下流の自由橋のたもとにある、中央市場へ行きます。
中央市場 11:34 中央市場 (Vásárcsarnok

  自由橋のペスト側のすぐそばに、広い中央市場があります。

  屋根も高く、かなり大きな建物で、吹き抜け構造で、2階建てです。

*1階は、野菜や肉などの食品売り場で、2階は、衣料品やお土産品と軽食コーナーです。

 ここでは、日本人には、フォアグラがよく買われているようです。

●1階の肉類は、ちゃんとケースに入れられていますので、東南アジアの市場のように、臭くはありません。
中央市場   
中央市場   


*日本語の看板や、ロシア的な人形もあった。
中央市場  
 


*レースは、ハンガリーの特産品です。
昼食 12:25 *昼食 New

 大体、これで、ブダ側とペスト側にある主な観光スポットは見たようなので、くさり橋を渡り、ブダ側に戻り、泊ったホテル:メルキュール ブダペスト ブダ からあまり遠くないところにある、レストランで昼食です。
  
昼食   *昼食はパプリカ・チキン New

 *揚げたブロッコリーの前菜に続いて、ハンガリーの名物料理の「パブリカ・チキン」です。

 煮込んだ鶏肉にバプリカのソースが、かかっています。

 ●味は?
   小麦とジャガイモがパサパサしていて、喉が渇きます。うまくない。

 
自由行動
王宮へ 13:35 *自由行動へ

 阪急旅行会社では、オプショナル・ツアーとして「ドナウベントの美しい街観光」 ¥9,000-がありますが、私は、自由行動をとり、集合時間の18:00まで、王宮の丘に登り、エルジェーベト橋を渡り、ペスト側のヴァーツィ通りから、聖イシュトヴァーン教会へ行き、国会議事堂を観て、くさり橋を渡って、ホテル:メルキュール ブダペスト ブダ に戻ってくる計画です。

 昼食をとったブダ側にあるレストランから、王宮の丘の下を通るトンネル(くさり橋へ通じています)の脇の階段を登って王宮へ行きます。

王宮の丘 13:54 王宮の丘から西側をのぞむ。【世界遺産】

 かなり急な階段を登って王宮の丘に来ました。

 この王宮の丘の西側には、また丘があります。

王宮の丘   *王宮の丘 【世界遺産】

 午前中に観たマーチャーシュ教会や漁夫の砦は、この写真の左側のかなり先にあります。これから、写真の右側(南側)の王宮へ行きます。

 同じ王宮の丘でも、裏側から来ましたので、人通りも少ない。

●王宮の丘
  高さ約70m、長さ約1.5Km。北側にマーチャーシュ教会、南側に王宮がある。 
王宮の丘 13:59 *衛兵の交代

 丁度、午後2時前で、衛兵の交代時間に会いました。
王宮の丘  
王宮 14:05 *王宮 (Budavári Palota ) 【世界遺産】

 王宮は、現在は、国立美術館として使用されています。

 14世紀頃から、この丘にハンガリーの王宮が建てられていましたが、オスマン帝国軍によって壊されたり、18世紀には、マリア・テレジアによって再建されましたが、19世紀の火災で焼け落ちたり、2回の世界大戦で被害を受けたりして、どうにか、1950年に現在の建物が完成しました。

 建物が大きすぎて、近くからの写真では、全体が入りません。この程度で我慢してください。

 王宮の全景は、このあと、夜景も含めて撮っていますので、堪能してください。

●ユージン・サヴォイ王子 (Eugene of Savoy)の像
  ドームの前にある騎馬像はユージン・サヴォイ王子(サヴォイのオイゲン公とも)で、1720年代にオスマン帝国軍を破った人です。
王宮   *王宮入口とトゥルル(Turul )像

 写真の右側にある鳥は、ハンガリーの建国に貢献したアルバートを、この地へ導いたとか、アルバートを産んだとかされる伝説の鳥:トゥルルです。
王宮 14:13 *王宮から、ドナウ川、くさり橋、国会議事堂をのぞむ。

 ドナウ川の上流(写真左側)には、中洲にマルギット島があり、対岸のペスト側には、これから行く、国会議事堂があり、くさり橋も見えています。
  
王宮   *王宮から、ドナウ川の下流、エルジェーベト橋、ゲッレールトの丘をのぞむ。

  ドナウ川の下流です。
  
  白い橋が、エルジェーベト(エリザベート)橋で、その右側に、昨日の夕方登ったゲッレールトの丘で、自由の女神が見えています。
王宮を下る 14:21 *王宮を下り、ドナウ川岸へ

 
*モデルを使って、写真を撮っていました。

    
王宮を下る 14:29 *曲りくねり、ところどころに見張り台や警備用の塔がある石畳の道もかなり下まできました。

王宮へのロープウエイ駅 14:33 *王宮へのロープウエイ駅 (Sikló

 くさり橋の側から、王宮の丘へは、坂道を登らずに、このロープウエイで簡単に上がれます。

 かなり急な勾配の複線式で、1台が下の駅にきたら、1台が上の駅に行きます。乗車時間は、数分のようです。


*くさり橋から王宮の丘の下のトンネルの入り口です。
 ロープウエイ駅は、このトンネルのすぐ左側にあります。
 
くさり橋 14:40 くさり橋 (Széchenyi Lánchíd) 【世界遺産】

 午前中の、くさり橋の写真は車中から撮ったのですが、今度は、ゆっくりと撮っています。

●くさり橋のウンチク
  昔は、ドナウ川を挟んだブダ側とペスト側は船で往来していましたが、冬には川が凍ったりして、往来が出来ず、大変に不便だったので、ハンガリーの英雄だった、セーチェニ・イシュトヴァーン伯爵の提唱と支援で、1849年に完成したので、正式には、「セーチェニのくさり橋(Széchenyi Lánchíd)」と呼ばれます。
  長さ375m、幅16mで、ブダペストのドナウ川に最初に架けられた橋です。しかし、第2次世界大戦ではドイツ軍により破壊され、戦後の1949年に復旧されました。
  そして、1956年のハンガリー動乱では、第2次世界大戦では、ドイツからハンガリーを解放したソ連の戦車が、この橋を渡って、市民を制圧しました。

 *夜には、他の橋や沿岸の歴史的な建物と共にライトアップされて、その美しさは、まさに「ドナウの真珠」の輝きを示します。
くさり橋   *王宮から見たくさり橋全景。

 *橋にある紋章
くさり橋   *ライオンの舌はある!

 朝のくさり橋の説明で、くさり橋の両端に2頭ずついる、合計4頭のライオンの彫刻家は、市民からライオンの舌がないとからかわれ、悲観して、ドナウ川に身を投げたといいましたが、舌は口の奥の方にちゃんとありました。下からは見えなかっただけです。

 ライオンの彫刻家が自殺したというのは、冗談だったようです。


 くさり橋から、ドナウ川の流れに沿って川の右側を、エルジェーベト橋の方に歩いていきましょう。
エルジェーベト橋へ 14:43 *エルジェーベト橋へ

 ドナウ川沿いの近くの道は、自動車用道路で、その右を歩行者と自転車用道路があります。
 
 ヨーロッパでは、自転車用の道が本当に整備されています。

 ドナウ川には、長い客船が停まっています。

エルジェーベト橋へ
エルジェーベト橋へ 15:04 *くさり橋のたもとから、大体20分ぐらい歩きました。

 もう、エルジェーベト橋の近くに来ています。

 そこで、こんな日本語での「哲学の庭」なんて道路標識を見つけました。
 なんで、こんなところにあるのでしょうか?

 
ゲッレールトの像 15:08 *聖ゲッレールトの像  (Szent Gellért-szobor)

 昨日(5月15日)夕方に登ったゲッレールトの丘の中腹に、ドナウ川をのぞんで、聖ゲッレールトの像はあります。

●ゲッレールト(ゲレルト)(Gellért)は、ハンガリーの初代国王のイシュトヴァーン1世により、イタリアから招かれたキリスト教の伝道師です。

 しかし、1046年に、キリスト教に反対する人たちによって、ワインの樽に詰められてドナウ川に流されたとか、ここゲッレールトの丘から突き落とされたとか、また手押し車に張り付けられて落とされたとか、とにかく、ここで、殺されたキリスト教の聖人です。

 この像は、1904年にヤンコヴィッチ・ジェラが建てました。

 上の像のところに行く途中には、小さな滝もあり、ちょっと登ってみようかと思ったのですが、ここからだと、15,6分はかかりそうなので、登るのはやめました。
エルジェーベト橋 15:09 エルジェーベト橋 (Erzsébet híd )【世界遺産】

 
この白い橋が、エルジェーベト(エリザベート)橋 (Erzsébet híd )です。

 ドナウ川にかかる他のマルギット橋、くさり橋と並んで3つの【世界遺産】の橋の1つです。

●元の橋は、20世紀初頭に、つり橋で造られたのですが、くさり橋等と同様に、第2次世界大戦時に、ドイツ軍により破壊され、1964年に再建されました。
 エルジェーベト橋の名前の由来は、オーストリア=ハンガリー二重帝国の時代、オーストリア帝国の皇帝とハンガリー国王であったフランツ・ヨーゼフ一世の后:エリザベート(ハンガリー読みで、エルジェーベト)に因んだものです。
  美貌で有名なエリザベートは、かた苦しいオーストリアのウィーンでの生活よりハンガリーへの旅行が大好きだったようで、度々、訪れていて、ハンガリー語もマスターしました。また、ハンガリーの人々も、エリザベートを慕っていたので、橋が再建されても、エルジェーベト橋の名が残っています。
 
 因みに、この橋の下流には、もとは、ハンガリー国王であったフランツ・ヨーゼフ一世に因んだ、フェレンツヨージェフ橋もあったのですが、再建された橋の名は、今は「自由橋」となっていますから、エリザベートの人気の高さが分かります。


 橋だけでなく、アンドラーシ通りには、エルジェーベト広場もあります。

●参考までに;ミュージカル「エリザベート」、また、3日目(5月14日)のウィーンも。

 
エルジェーベト橋    エルジェーベト橋

 エルジェーベト橋はこんなつり橋構造でシンプルなものですから、くさり橋ほど、特に写真の対象になる彫刻などがありませんので、私の写真でカバーしています?

エルジェーベト橋から   
ペスト側 15:21 *ペスト側へ

 ブダ側からエルジェーベト橋を渡り、ペスト側の小さな公園から、エルジェーベト橋を撮りました。

 写真左の丘が、ゲッレールトの丘で、丘の上に、かすかに、自由の女神像が見えています。
旧市街聖堂   *旧市街聖堂 (Belvárosi Plébánia templom) 【世界遺産】

 エルジェーベト橋を渡るとペスト側ですぐに眼につくのが、この旧市街聖堂 (Belvárosi Plébánia templom)です。

 15世紀頃に建てられた教会で、ブダペストにある教会の中でも、一番古い建物です。

 
ヴァーツィ通り 15:31 *ヴァーツィ通り (Váci utca)

 これから、ブダペストの繁華街:ヴァーツィ通りから、北にある「聖イシュトヴァーン大聖堂」まで歩きます。
 
●ハンガリーの民族衣装を着た売り子です。
 
ヴァーツィ通り
 
ヴァーツィ通り
くさり橋 16:14 *くさり橋から聖イシュトヴァーン大聖堂へ

 ヴァーツィ通りから北に歩き、くさり橋のペスト側にある、ルーズヴェルト広場まで来ました。

 写真の左側が王宮で、伝説の鳥:トゥルルが見えています。

 くさり橋の左にロープウエィも見えています。

 これで、ドナウ川をブダ側からグルッと回ってきたわけです。
聖イシュトヴァーン大聖堂へ   *聖イシュトヴァーン大聖堂へ

 聖イシュトヴァーン大聖堂へ向かう通りの左右には、カフェやオフイスビルがあり、人通りもかなりあります。

●お巡りさん?が優しそうな目で、子供を見ていました。


聖イシュトヴァーン大聖堂 16:21 聖イシュトヴァーン大聖堂 (Szent István-bazilika

  王宮の丘やゲッレールトの丘からもペスト側の写真を撮ると、くさり橋と共に目立つ大きな教会が、聖イシュトヴァーン大聖堂 (Szent István-bazilika)です。

イシュトヴァーンは、度々出てきますように、ハンガリーの初代国王で、キリスト教を国教としました。そこで、1083年に「聖人」となりました。
 教会の建設は、1851年から始まったのですが、工事の不備でドームが壊れたりして、どうにか、54年後の1905年に完成しました。

 高さは、96m。幅、55m、奥行き、87.4m。収容人員は、8,500人。左右の鐘塔も見事です。

*エレベーターまたは階段(364段とか)で上に上がれます。 

聖イシュトヴァーン大聖堂   聖イシュトヴァーン大聖堂

 折角、ここまで来たのですから、聖イシュトヴァーン大聖堂に入ってみましょう。
しかし、中に入るには...。 なんと 入口に僧侶がいて、2ユーロを寄付として払えと言っています。
しかたなく、5ユーロ札しかなくて、お釣りをくれと言ったのですが、寄付なので、
お釣りはないといって、5ユーロで泣く泣く中に入りました。

 
●祭壇の中心には、イシュトヴァーンが祭られています。
 教会なら、祭壇には、キリストや聖母マリアがあるのかと思っていたら、ここでは、イシュトヴァーンが祭られています。
聖イシュトヴァーン大聖堂   聖イシュトヴァーン大聖堂

 天井やステンドグラスも見事でした。
   
聖イシュトヴァーン大聖堂 聖イシュトヴァーン大聖堂  聖なる右手の礼拝堂 (Szent Jobb Kápolna

 聖イシュトヴァーン大聖堂の奥に、子供たちが入って行くので付いて行ったら、小さな礼拝堂(Szent Jobb Kápolna)がありました。

 これが、聖イシュトヴァーンの右手のミイラをいれた場所でした。

 イシュトヴァーンの遺体から、オスマン軍によって切り取られて、見世物として各地を転々としていたのを、1771年にマリア・テレジアが取り戻して、ここに祭ったとのことです。

●硬貨を入れると、ライト・アップされるとか。(この色は、子どたちがコインを入れたので、少し明るいのかも。)
聖イシュトヴァーン大聖堂 16:46 聖イシュトヴァーン大聖堂から国会議事堂へ

 聖イシュトヴァーン大聖堂も細かなところまで見ると時間がかかりますので、ここらで、外に出て、北の国会議事堂へ向かいます。



 
国会議事堂  17:05 *国会議事堂 (Országház) 【世界遺産】

 聖イシュトヴァーン大聖堂から、北に向かって歩いて、20分ぐらいで、世界で一番美しい国会議事堂とされる、ハンガリーの国会議事堂(Országház
)に来ました。
 ここまでの途中には、写真を撮るようなたいしたものはありませんでした。

●国会議事堂
 1880年のハンガリー国民議会の決議により、1885年から建設が始まり、ハンガリー建国1000年祭の1896年の完成を目指していましたが、間に合わず、1902年に完成しました。

 ドナウ川に面し、左右対称形で、建物の幅、123m、建物の長さは、268m。部屋数、691室。中央のドームの高さは、聖イシュトヴァーン大聖堂と同じ96m。4,000万個の煉瓦でできている。
 内部は、歴代の統治者の像や、ハンガリー王国の王冠、宝石などが展示され、見学ができる。

 ハンガリー語では「国の家」を意味するオルサーグハース (Országház) と呼ばれています。
国会議事堂    *国会議事堂の南側

 国会議事堂といいながら、建物の周りは、背の低い花壇しかないので、入口まで近づいてみようと思い花壇の内側に入ると、すぐに警備の警官が来て、花壇の外側に出されました。

国会議事堂 17:12 *国会議事堂の正面の右側

  ここに、見学用の受付があるようで、まだかなりの人が並んでいます。

国会議事堂周辺   *国会議事堂周辺

 国会議事堂の前には、民族博物館や、ハンガリー独立時の政治家:コシュット・ラヨシュ (Kssuth Lajos )の像や、新しいコヴァチ・ベラ(Kovacs Bela)等の像もあります。
 

国会議事堂からくさり橋へ 17:19 *国会議事堂からくさり橋へ

 自由時間も残り少なくなり、集合時間の18:00に、ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダまで戻らなければなりませんから、国会議事堂を後にし、ドナウ川に沿ってくさり橋へ向かいます。

 対岸には、朝行った、マーチャーシュ教会や漁夫の砦が見えます。
くさり橋 17:25 くさり橋 (Széchenyi Lánchíd) 【世界遺産】

 昼食後は、ブダ側の王宮からくさり橋を撮りましたが、まだ渡ってはいませんでしたので、これから、ペスト側から歩いて渡ります。

●ウンチクなどは、上の説明を参照してください。
くさり橋   *くさり橋
 ライトアップ用に橋をつる部分に、電球が付けられています。

くさり橋   *くさり橋



くさり橋 17:35 *くさり橋からホテルへ

 時間も夜5時過ぎとなり、少し暗くなってきました。
 くさり橋も渡り切り、王宮の丘のふもとに戻ってきました。

 これから、写真の右側にあるトンネルを通って、集合場所のホテル:メルキュール プダペスト ブダ に戻ります。
王宮の丘のトンネル内 17:38 *王宮の丘の下のトンネル内

 王宮の丘の下を通るこのトンネルは、古くからあったようで、そんなに広くありません。

 片側1車線で、歩道も狭く、自転車がくると、避けるのが大変です。

 このトンネルで、今日の13:35から始めたブダペストでの自由時間も終わります。

夕食 18:30 *夕食New

 集合場所のホテル:メルキュール プダペスト ブダに、集合時間の18:00までに帰って来ました。

 今日の夕食は、泊っている、ホテル:メルキュール プダペスト ブダの1階にあるレストランで、夕食です。

*前菜としては、サラダです。

 今日は、気分が良いし、ハンガリーではワインも有名ですので、ついワインも注文しました。

  赤ワインは、4ユーロ(約400円)でした。

●サラダがうまい!

夕食   *夕食New

 今夜のメイン料理は、ポークです。

●味付けも量もいい!
  久しぶりに、腹一杯という気持ちでした。

*デザートの果物も美味しかった。
ドナウ川ナイト・クルーズへ 20:00 *ドナウ川ナイト・クルーズへ

 このドナウ川ナイト・クルーズは、元は阪急交通社でもオプショナルとして、
¥7,000-とられるツアーでしたが、今回は、宿の手配のミスなどから、無料となったので、それなら、参加しますということで、行きます。

●バスは、今まで使用していたのとは違った、バスが来ていました。
ドナウ川ナイト・クルーズ 20:20 *ドナウ川ナイト・クルーズ

 船はドナウ川の上流にあるマルギット橋のペスト側を少し北に登ったところにある桟橋から出ます。

 時間は、夜の8時過ぎです。ようやく夕日が落ちます。

 これから、約1時間で、ドナウ川の夜景を堪能します。

 マルギット橋、くさり橋、エルジェーベト橋、そして、自由橋へ行って、そこから戻ってきます。
マルギット橋 20:25 *マルギット橋 Margit híd 【世界遺産】

 まだ、20時25分ではライト・アップにはなっていません。
マルギット橋 20:28 *マルギット橋 (Margit híd)

 それが、振り返ると、点灯が始まりました!
国会議事堂 20:29 *国会議事堂 (Országház) 

 昼間見た国会議事堂も、点灯されてきました。

 ドナウ川からみると、こんなにきれいです!

●豊富な写真を用意しましたので、ブダペストはドナウ川の夜景を、夕暮れ時から暗くなるまで堪能してください。
くさり橋と王宮 20:32 *くさり橋(Széchenyi Lánchíd)と王宮(Budavári Palota

 まだ、少しばかり明るさがあるので、くさり橋の構造や王宮もはっきり見えています。

ドナウ川ナイト・クルーズ
ドナウ川ナイト・クルーズ
ドナウ川ナイト・クルーズ 20:40
*乗船してから20分程度で、マルギット橋からくさり橋、エルジェーベト橋の下をくぐり、最下流にある自由橋まで来ました。

 大分、暗くなっています。
ドナウ川ナイト・クルーズ 20:52 *自由橋を過ぎて、戻ります。
*乗船した頃からみると、かなり空が暗くなってきています。
ドナウ川ナイト・クルーズ
ドナウ川ナイト・クルーズ
ドナウ川ナイト・クルーズ
ドナウ川ナイト・クルーズ
ドナウ川ナイト・クルーズ 21:30 *20:20から開始したドナウ川ナイト・クルーズも終わりです。
 約1時間で、マルギット橋の近くから乗った船が、また戻ってきました。
宿泊 21:45 *お休み New
 
  昨夜(5月15日)から泊まっています、ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダに戻って来ました。

 今日(5月16日)は、ブダペストを良く歩き回ったので、風呂に入ると、バタンキューとお休みです。 
◎ 2012年 5月16日(水 )は終わりです。
★第5日目は、ハンガリーの首都:ブダペストの1日です。
 

 朝から、 バスでくさり橋を中心に観光をしているし、なんといっても、自分の足で、王宮の丘・エルジェーベト橋・ヴァーツィ通り・聖イシュトヴァーン大聖堂・国会議事堂・くさり橋と歩いているので、かなりブダペストには詳しくなった。

●ホーム・ページの作成に時間がかかる!
  観光用の地図を探してきたり、ウンチクも入れたりで、時間がかかっている。
 また、ブダペストのナイト・クルーズに参加して、写真をたくさん撮ったので、ホーム・ページにどれを載せるか、選択にも時間がかかった。

●ハンガリー語は難しい!
  旅の思い出として、地名や人名は、カタカナ表示の他に、できるだけ現地語であるハンガリー語でも表示をしようと心がけているが、アンドラーシ通り( Andrássy út)
 ヴェレシュマルティ広場 (Vörösmarty tér)、英雄広場 (Hősök tere)など、読み方が難しい。

  また、カタカナ表示にすると”ヴァ”と”バ”や”マーチャーシュ教会 (Mátyás templom)”か”マチャーシュ教会”と伸ばさないのかなど、旅行ガイドでも統一が取れていなくて、このホーム・ページでも度々読み直して、できるだけ統一するようにしていますが、お気づきの点があれば、下の掲示板に連絡ください。

●豚がペストに(ブダペスト)?
  子供の頃、冗談でブダペストの地名を豚がペストに罹った都市と覚えていたが、本当に”ブダ側”と”ペスト側”の両方の地名を合わせて新しい地名にしたとは、面白い。

●交通機関と罰金
  ネットでブダペストのバスや地下鉄の乗車賃を調べていると、刻印が無かったりして罰金を取られている観光客や地元の人も多いようだ。
 車内での検札の人もかなり多いようで、それなら、日本のように改札口を設置したらいいのでは?

●中央市場で迷子?
  また、またツアー参加者で迷子が出ました。自由時間があった中央市場で、集合時間が過ぎても、一人足りません。幸い、広くない場所だったので、手分けして探してどうにか、事なきをえました。
 確かに、39人の参加者で添乗員が1名とは、北京空港内でも大変だったように、管理するのは無理かも。この状況は、ザルツブルグでも起きます。

●哲学の庭?
  ブダペストのエルジェーベト橋の近くにある標識に日本語で「哲学の庭」の案内があることをお伝えしましたが、どうしてこんな場所に日本語の案内があるのかということで調べたら、「哲学の庭」という彫刻が近くにありました。


 
 これら「哲学の庭」と名付けられた8体の像は、元はハンガリーの彫刻家で日本に帰化したワグナー・ナンドール(Wagner Nándor、日本名:和久奈 南都留。1922年10月7日 - 1997年11月15日))氏が、製作したもので、彼の死後、2001年にこのゲッレールトの丘に置かれました。
 ワグナー・ナンドール氏はスターリン時代にハンガリーで公職を追放され、スエーデンで製作活動をしていました。そこで、日本人の秋山ちよさんと結婚して、1969年日本に移住し、栃木県の益子に住み日本でも「哲学の庭」と題する像等を製作しています。
 
●一人で行動しているのに、カメラマンの写真が案外ある。
  自由時間には、一人で行動していますが、案外私が写っている写真があります。
 それは、街を歩いている現地の人をつかまえては、写真を撮ってくれるように、(身振りで?)頼んでいるからです。


●温泉があるが、場所がわからない。
  案内では、ブダペストでは広いプールのような温泉があちらこちらにあるということで、その一つがゲッレールトの丘の麓にもあると出ていたので、エルジェーベト橋の近くを探しましたが、全然わかりませんでした。後で詳細に調べると、もっと先だったようです。

 

●ドナウ川の氾濫
  ナイト・クルーズで見て分かったのですが、王宮などは高台にありますから、ドナウ川が氾濫しても水浸しにはならないでしょうが国会議事堂は、川の側にありますから、水害の危険性があるのではと調べたら、やっぱり洪水は、春の雪解け後にはよく起きているようです。特に、1997年や2009年には、川沿いの道路が水没したそうです。

●エルジェーベト橋はシンプルすぎる!
  くさり橋の手の込んだ建築方法と比べてエルジェーベト橋の構造は、ハンガリー人がエリザベートを好きだったという割には、すごく単純で歩いて渡っても写真の対象として面白くありません。
 ドイツ軍に壊される前のエルジェーベト橋は、かなりきれいな橋ですが、再建では、予算が少なかったようでこのような形になったようです。
  *破壊前のエルジェーベト橋

●予備の電池は十分に用意のこと
  用心深い私は、写真を撮るために常に代わりの電池を6本用意していましたが、今回のナイト・クルーズでは、それでも足りませんでした。
 夜景でフラッシュも大分たいたために、電池が途中で切れてしまいました。
  同行の方々も、クルーズの途中で電池切れを起こしてしまい、シャッター・チャンスを逃しています。
  ナイト・クルーズに参加されるなら、予備の電池は十分すぎるほど準備しておいてください。
  海外旅行では、当然ですが。

●ドナウ川ナイト・クルーズは参加して良かった!
  ドナウ川ナイト・クルーズは当初は、オプションで ¥7,000-もかかるため、参加しないつもりでしたが、無料になり参加しましたが、この船での夜景は、実にきれいでした。
 マルギット橋から始まり、自由橋までの夜景を歩いて眺めて行くのは大変なことです。
  ドナウ川ナイト・クルーズは、¥7,000-でも参加した方がいいかも。

(更新日:2012年 9月18日)

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