オーストリア、スロバキア、ハンガリー、チェコ そして ドイツ 10日間の旅行記
第3日目: 2012年(平成24年) 5月14日(月)
オーストリアの首都:ウィーン 散策
シェーンブルン宮殿の位置 |
◎ 本 日 の ス ケ ジ ュ ール | ||
場 所 | 概 要 | |
起床 | 06:30 | ホテル:アイロ・タワー |
朝食 | 07:15 | ホテル:アイロ・タワーのビュッフェ |
ホテル 発 | 08:15 | ウィーン観光へ |
シェーンブルン宮殿 着 | 09:06 | シェーンブルン宮殿 観光 |
ウィーン市内 観光 | 10:00~ | お土産屋 王宮(ホ-フブルグ) シュテファン大聖堂 |
昼食 | 12:05 | 魚料理 |
自由行動 | 12:50~ | ウィーン市街の東側を歩く ●ドナウ運河 ●市立公園 ●ベルヴェデーレ宮殿 |
集合 | 18:15 | ウィーン国立歌劇場(オペラ座)の旗の下 |
夕食 | 18:40 | シュニッツエル料理 |
宿泊 | ホテル:アイロ・タワー(連泊) |
訪 問 地 | 詳 細 | |||
ホテル:アイロ・タワー | 06:30 |
*起床 |
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ホテル:アイロ・タワー | 06:50 |
*朝食 -ビュッフェ形式で- 添乗員さんから、指定されている朝食の時間は、07:15~ですが、もう朝から気分はすっきりしていますので、ホテル:アイロ・タワー1階にあるレストランに行くともう朝食の準備ができていましたので、食べます。 朝食のスタイルは、日本風にいうなら、ヴァイキング・スタイルですが、こちらでは、ビュッフェと呼ばれる、好きなものを好きなだけ小皿に取って、好きなテーブルで食べるやり方です。 ジュース、パン、ケーキ、チーズ、卵、ソーセージなどがあります。 私の朝は、コーヒーから始まりますので、コーヒーは必須です。 通常、ヨーロッパのコーヒーの煎れ方は、濃くて苦いのですが、ここの味は、それほどではありませんでした。 |
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ホテル:アイロ・タワー | *ホテル:アイロ・タワーからの眺め 北側です。 はるか彼方に、ウィーンの市街があります。 |
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ホテル:アイロ・タワー | *ホテル:アイロ・タワーからの眺め 西側です。 こちら側に、温泉とスポーツ・ジムがあります。 路面電車もここが終点のようです。 |
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ホテル:アイロ・タワー | *ホテル:アイロ・タワーからの眺め ホテルの正面にあたる、南側です。 鉄道の線路もあります。 これで、ホテル:アイロ・タワーが、かなり、ウィーン市街から離れた場所にあるのか、分かりました。 |
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ホテル:アイロ・タワー | 08:18 発 |
*ウィーン観光に向けて、出発。 外は、やや曇っていて、少し涼しいので、長袖を着ます。 |
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ウィーンの基本情報 ドイツ語表示:Wien。英語表示:Vienna。人口:約173万人。 都市であって、1つの連邦州。 ヨーロッパ大陸とアジアからの東西南北の交通の要所である、ドナウ川に面する現在のオーストリアの首都:ウィーンの歴史は、12世紀にバーベンブルグ家が、この町に宮廷を移した時から始まる。 続くハプスブルグ家のルドルフ一世が1273年に神聖ローマ帝国の皇帝について以来、第一次世界大戦でドイツ・オーストリアが敗北し、1918年のカール一世の亡命まで、約650年に渡って、ドイツ連邦や神聖ローマ帝国の帝都として、ヨーロッパにおける政治・文化の中心の都として繁栄してきた。 特に繁栄をみたのは、マリア・テレジアが神聖ローマ帝国の皇后となった、1740年から1780年頃で、マリア・テレジアは、フランス革命で断頭台におくられたマリー・アントワネットなど16人の子供を産み、スペイン・フランス・イタリアなどヨーロッパの王族との姻戚関係をもとに、国力を蓄え、ウィーンを繁栄させた。 ●音楽の都 ウィーンは、ヨーロッパにおける政治・経済の中心地だけでなく、宮廷音楽家として、モーツアルトやハイドン、ヨハン・シュトラウス、またベートーヴェンなど数多くの音楽家が活動の拠点としていたので、クラシック音楽の中心地となった。 そして、現在も、「音楽の都」として繁栄している。日本の小澤征爾もウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めていたこともある。 ●街並み リングと呼ばれる旧ウィーンの城壁や堀を9年もかけて取り壊し、今は、幅56m、全長4Kmに及ぶ環状道路に改装した内側に、歴代の君主たちが次々と建て増しをしたホーフブルグ(王宮)やモザイク屋根のシュテファン大聖堂、ウィーン国立歌劇場(オペラ座)など、多くの歴史的な建物がある。 またリングの外側には、市の南西にハプスブルグ家の夏の離宮だった「シェーンブルン宮殿」があり、クリムトの絵などがあるベルヴェデール宮殿は、市の南の丘にある。 ●映画との関係 「映画・演劇 評論」を書いています私としては、一応、映画にも触れましょう。 ウィーンを舞台にした映画としては、戦後の名作でオーソン・ウェルズが出ていた「第三の男」や、それよりも古い映画では、ナポレオン・ボナパルト後のヨーロッパをどうするかを描いた「会議は踊る」などが有名ですが、日本の「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」でも、マドンナ役でツアーガイドの竹下景子と渥美清がロケをしています。 |
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ウィーン市街 | 08:50 | *まずは、ウィーン市街から、南西にある、ハプスブルグ家の夏の離宮だった「シェーンブルン宮殿」に向かいます。 街並みは、歩道には、必ず自転車道路もあり、どこかの都市のような、無秩序で、けばけばした建物はありません。 |
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シェーンブルン宮殿 | 08:55 着 |
*シェーンブルン宮殿(Schloss Schönbrunn)到着です。 【世界遺産】1996年に登録。 ●宮殿見学料(Imperial Tour) 22室を、 大人:10.50ユーロ(約1,100円) 子供(6歳から18歳まで):7.50ユーロ(約800円) (入場料は、ほかにも Grand Tour 40室 めぐり などもある。) |
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●シェーンブルンとは、美しい(schön)泉(Brunn)のことで、17世紀に神聖ローマ帝国のマティアス皇帝が狩りに来た時に、美しい泉をみて名づけたとのこと。 ●左右にかなり長い! 部屋の数は、なんと、1,441室もあり、左右の長さは、180mもある。 普通のカメラでは、かなり後ろに下がっても左右まで入れての全景は撮れませんでした。 |
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* この宮殿の裏側には、広大な庭園があるが、私たちは、宮殿の中には入りましたが、庭園は見ていません。 ●シェーンブルン宮殿のウンチク もともと、「美しの泉」と名付けられた時にあった17世紀の城は、その後オスマン・トルコ軍の侵攻で壊され、1696年にレオポルト一世が、フランスのヴェルサイユ宮殿をしのぐものとして、建築家:フィッシャー・フォン・エアラッハに命じて着工した。 その後、最終完成までには、18世紀半ばのマリア・テレジアの代までかかる。 歴代ハプスブルグ王朝の離宮として使われてきた。 ●6歳のモーツアルトが演奏した! 1762年に当時、6歳のモーツアルトが神童としてこのシェーンブルン宮殿に招かれて演奏し、マリア・テレジアの娘で後にフランスのルイ16世の王妃となったマリー・アントワネットと遊んだらしい。 ●ウィーン会議の舞台だった! ウィーンはフランスのナポレオン・ボナパルトに1805年に占拠されたが、フランスでナポレオン・ボナパルトが失脚したので、時のオーストリアの宰相:ミッテルニヒは、1815年に、ロシアのアレクサンダー大公などヨーロッパの君主達を、このシェーンブルグ宮殿に集めて今後のヨーロッパをどうするかを話し合うために「ウィーン会議」が開かれた。しかし、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄されたように、連日、舞踏会は開催されたが、ナポレオン・ボナパルトが流されていたエルバ島から脱出したので、ウィーン会議は何も決まらないまま終わった。 ●日本庭園があった! 動物園とバラの境目あたりに、日本庭園が発見されて修復されているようだ。 ●3階は公務員の宿舎とか! 日本では考えられない話ですが、宮殿の3階部分の部屋は、公務員がアパートとして住んでいるとか! |
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*古い建物の見物には、馬車が似合う? ●建物の外壁が黄色いのは、もともと金箔にする話が財政難で、マリア・テレジアの案で黄色にしたとか(そこで、この黄色は、テレジア・イエローと呼ばれる。) |
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09:06 | *入場 宮殿の向かって左側から入場します。 見物できるのは、皇帝の執務室、化粧室、鏡の間、寝室、大ギャラリー、磁器の間などがある、2階の部分です。 さすがに、絢爛・豪華な装飾です。 シャンデリアや天井の絵もきれいです。 だけど、残念ながら、宮殿内では写真撮影が禁止です。 ●といっても、納得できないでしょう! そこで、懸命に、シェーンブルン宮殿の内部の写真を、NETで探しました。 下の写真ぐらいしかありませんでした。 雰囲気だけですが、あとは、現地に行って確認してください。 |
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シェーンブルン宮殿 | |
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*マリア・テレジアの絵 *皇帝:フランツ・ヨーゼフと王妃:エリザベートの絵 |
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ウィーン市街へ | 10:00 発 |
*ウィーン市街へ向けて出発 シェーンブルン宮殿の外に出ると、皇帝フランツ・ヨーゼフの王妃エリザベート(愛称シシー(Sissi))の展覧会や、マリア・テレジアの展覧会の看板が出ていた。 ちなみに、入場料は、大人:23.50ユーロ(約2,500円) 子供:14.00ユーロ(約1,500円) 団体:49.90ユーロ(約5,400円) とあります。 ●失礼しました。 街のパンフレットを読んでいたら、写真の「Sisi Ticket Vienna」 とは、①シェーンブルン宮殿と、ウィーン市街にある、A.宮廷家具調度コレクション と B.ホ-フブルグ王宮 の入場券をコンビにした入場券とのことでした。 展覧会ではありませんでした。 |
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ウィーン市内図 | ||||
ウィーン市内 | 10:10 | *ウィーン市内に来た。 シェーンブルン宮殿からバスで10分ほどで、リング(環状道路)に囲まれたウィーン市内に到着です。 |
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*お土産屋 「Waltz」 まあ、お土産を買う気のない私にとっては、まったく興味がないのですが、阪急交通社とタイアップしている、免税店「Waltz」が、ウィーンの繁華街「ケルントナー通り」のウィーン国立歌劇場(オペラ座)の南側の近くにあり、ここで、約50分の時間があります。 |
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カールスプラッツ | *街の散策 買い物にあてられた時間を利用して、近くをぶらついてみました。 |
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*路面電車=トラム(Strassenbahn)が多く走っている。 ほとんどの大きな通りには、今の東京では珍しい存在になった路面電車が走っています。 車両は新しいものや古いものもありました。 |
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*地下鉄(U-Bahn)が3路線交わっている。 ここには、地下鉄のカールスプラッツ(Karlsplatz)駅があり、地上の路面電車もすぐに次の電車がくる、かなりの繁華街です。 地下鉄のマークは”U”で、これは、”U-Bahn”からきているようです。 U1,U2、U4の3路線が地下にあるようです。 |
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*地下鉄 カールスプラッツ(Karlsplatz)駅入口 地下鉄を覗いてみましょう。 |
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*地下のホームまではエスカレーターで。 これは、日本の地下鉄と同じですが... |
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*エスカレーターを降りると、すぐに電車に乗れる! なんと、ウィーンの地下鉄には、日本のような改札がありません! ●切符を買わないでも電車に乗れる。 そうです。ウィーンの地下鉄では、トラム(路面電車)もそうですが、改札がないのです。 全然、気が付かなかったのですが、エスカレーターに乗る地階の壁に自動券売機があったようで、ここで乗車券を買って、すぐに乗るなら「刻印」をしてから、地下にもぐり、電車に乗ります。 ●不正乗車の罰金は30ユーロ(約3,200円)です! 改札がないから、その気なら、無賃乗車は可能です。 でも、時々検札があり、その際に切符に刻印がないと、問答無用で、30ユーロの罰金だそうです。 |
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街並み | *日本料理は、世界的? 地下から上に戻ります。 日本料理屋があり、寿司の弁当も売っていました。 ちなみに、代金は、 弁当で、9.8ユーロ(約1,000円)から 巻きずしなら、4.8ユーロ(約500円)から というものです。 |
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*切手屋さん さすがに、音楽の都で切手の絵柄は、モーツアルトなどの音楽家の肖像画もあります。 |
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*喫煙場所 ウィーンでも建物内では、禁煙のようで、外でタバコを吸っています。 |
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王宮 | 11:00 発 |
*王宮(ホーフブルグ=Hofburg)へ つまらないお土産屋から、少し北西側にある王宮へ移動です。 |
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*王宮(ホーフブルグ=Hofburg) ハプスブルグ家の王宮は、1220年に最初の館が建てられ、その後、歴代の君主により建て増しがなされ、神聖ローマ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝の宮殿として使用されました。 部屋数は、2,500以上で、旧王宮と新王宮が繋がっています。 正面の像は、マリア・テレジアです。 |
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*外観を見ただけ! 当然、王宮ですから元の皇帝の居室や、貯めてきた食器のコレクションだけでなく、王宮宝物殿、国立図書館、民族博物館などもあります。 でも、入口で写真を撮っただけで、大きさも雰囲気も分からないうちに移動です。 |
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●シシー(ドイツ語:Sissi=エリザベート皇妃の愛称)博物館だけでも見たかった。 フランツ・ヨーゼフ皇帝の妃で、1898年にスイスのレマン湖でイタリア人に暗殺されたエリザベートについては、日本で公開されて評判になったミュージカル「エリザベート」もあり、見たいところでした。 |
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*馬車よりもいい? こんな乗り物で回っているグループもいました。 |
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シュテファン大聖堂 | 11:35 着 |
*シュテファン大聖堂(Stephansdom)に来ました。 バスを降りて、狭い路を入ってくると、目の前に、高い教会がありました。 これが、歴代のハプスブルグ家の皇帝が死んだあと内臓を納めているシュテファン大聖堂(Stephansdom)でした。 写真右側の波打っているような屋根がモザイクで、これが有名です。 塔に登ると、このモザイクでできたハプスブルグ家の双頭の鷲の紋章も見えるようです。 入口正門。 この入口から見て左にあるのが北塔。 右の高い塔が南塔。 このシュテファン大聖堂は多くの教会と違って左右対称の塔ではない。 なぜ? 本当は、北塔も高くしたかったようだけど、財政が...? |
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*塔が高くて、建物全体が入らない。 シュテファン大聖堂の入口の前には、広場があるのですが、らせん階段で登ることもできる南の塔は高さ137mあるとかで、広場の端にいっても、シュテファン大聖堂の全体が写せません。 広場が狭いのは、このシュテファン大聖堂は、今では繁華街の中にあり、近くまで街並みが迫っているということです。 |
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*シュテファン大聖堂のウンチク もとの小さな教会は、12世紀頃に建てられたのを、14世紀にルドルフ四世によって、ゴシック様式に建て替えをした。 地下のカタコンベと呼ばれる納骨堂に、歴代のハブスブルグ家の皇帝の内臓が納められている。 なお、シュテファン大聖堂で皇帝の公式の葬儀が終わると、内臓以外の心臓や骨はシュテファン大聖堂とは別々の教会に納められる。 ●入口の左にあるエレベーターで昇れる北塔にあるオーストリア最大の大きな鐘は、「ブンメリン」と呼ばれ、もともとは、トルコ軍がおいて行った180の大砲を溶かして造ったものだったのですが、火災で壊れて、1957年に再造されたものです。 ●モーツアルトの結婚式も葬儀も行われた。 歴代のハプスブルグ家の葬儀だけでく、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(モーツアルトの正式名)の結婚式と葬儀も行われています。 ●ここも外観だけです。 教会の内部に入るのは、無料ですが、地下のカタコンベや塔に登るのは、有料のようです。 ここでは、外からの写真だけです。 |
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*切符売りです。 最初は、いったい何をしている人たちか分からなかったのですが、シュテファン大聖堂前でこんな古典的な格好をして、チケットを売っています。 何のチケットか? あちらこちらの音楽会のようです。 声をかけるとしつこくチケットを売りつけられるので、遠くから見てるだけですから詳細は不明です。 |
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ケルントナー通り | 11:50 | *ケルントナー通り(Kärntner Straße) シュテファン大聖堂のあるシュテファン広場から南のウィーン国立歌劇場(オペラ座)付近までが、ウィーンで最も賑やかな「ケルントナー通り」です。 かなり道幅が広いのですが、歩行者天国になっていて、「ZARA」や「FOREVER 21」、「SWAROVSKI]などの有名なお店があります。 |
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昼食 | 12:05 | *昼食 シュテファン大聖堂に近い、メインの通りから少し入ったレストランで、昼食です。 *サラダ 少し、酢も入っています。 |
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*メインは、魚料理 前菜のサラダが出て、今日の昼のメインは、魚です。 味は? この程度では、味を評価するほどではありません。 店は、地下にあり、なかなか洒落た感じで、団体でくるには勿体無い雰囲気でした。 |
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*おじさんは、店の料理よりも、可愛いウエイトレスの方が気になる? 本当は、ウエイトレスと二人での写真を撮りたかったのに! 右のウエイターも強引に入ってきました。 *デザートは、ケーキでした。 |
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シュテファン広場 | 12:50~ | *自由行動へ。 昼食が終わると、自由行動です。 そして、集合時間は、18:15 に国立歌劇場(オペラ座)の正門・旗の前です。 ●オプショナル・ツアーとして、「ウィーンの森とバーデン観光」が、¥8,000-で組まれていますが、私は、自由行動で、ウィーン市外の東側を歩いてみようと思っています。 ●スタートは、シュテファン広場からです。 ケルントナー通りにあるシュテファン広場から、ケルントナー通りを北の運河に向かい、そこから右に折れ、リングに沿って東の市立公園から、南のベルヴェデール宮殿まで、どのくらい時間がかかるかわかりませんがとにかく歩いてみましょう。 |
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シュテファン広場 | *路上パフォーマンスは多い。 顔だけでなく、服や帽子まで、銀色や金色などに塗りこんで、彫刻のイメージで少しも動かず頑張っています。 (夏は、衣装を変えないと、暑い?) *切符売りも多い。 この、モーツアルトの時代を思い出させる衣装の売り子は、あちらこちらにいます。 |
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シュテファン広場 | *サンドイッチの値段 おいしそうなサンドイッチが、2.99ユーロ(約320円)、や3.49ユーロ(約370円)で売られています。 |
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マリーエン橋 | 13:23 | *マリーエン橋(Marienbrücke) シェテファン広場から、北に向かい、ドナウ運河にかかる、マリーエン橋(Marienbrücke)に来ました。 ドナウ川は、オーストリアの西にあるドイツから流れてきて、東のスロヴァキアへと流れていきます。 ドナウ運河は、そのドナウ川を、北からウィーンの市内に引き込んで、また東のドナウ川へ合流させています。 |
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マリーエン橋 | *スロヴァキアの首都:ブラチスラヴァまで行く観光船もかなり出ています。 | |||
東側のリング | *東側のリング(環状道路) 道幅は、56mとかで、ここらは、一方通行のようです。 中央が車道で、左右に歩行者道路があり、歩行者道路には、自転車道路も併設されています。 ここでは、トラム(路面電車)も道路の端を走っています。 電車の本数が多い! すぐに、次の電車が来ます。 |
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東側のリング | *貸自転車のパーキング場も多い。 ウィーンの道路のあちらこちらに、こんな、自転車置き場があります。 ツーリストなども、事前にNETなどで登録してあると、1日 2ユーロ(約200円)で空いている自転車を借りて、他の自転車置き場に返せばいい仕組みです。 |
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東側のリング | *ウィーン市内に80ヶ所以上の貸自転車のパーキング場がある。 これなら、あちらこちらに、乗り捨てができて、便利です。 ちなみに、自転車についている、 のマークは、オーストリアでも大手の銀行:ライファイゼン(Raiffeisen)銀行のマークです。 |
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東側のリング | 13:30 | *ドナウ運河に沿って東へ。 マリーエン橋から、ドナウ運河に沿って、東に向かっています。 ここは、たぶんアスベルン橋(Aspernbrücke)だと思います。 ぶら、ぶらしていたら、サイレンがなって、写真の中央に写っている救急車が過ぎていきました。 |
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シュトウーベンリング | 13:40 | *シュトウーベンリング(Stubenring)の郵便貯金局へ ウィーンでは、もとあった外壁を壊して道路にした「リング」と呼ばれる環状道路も、ブロックごとに「xxxリング」と細かく呼ばれています。 アスベルン橋から南の市立公園までのリングのブロックは、シュトウーベンリング(Stubenring)です。 ここのリングの内側には、比較的に新しい感じの建物がありました。 郵便貯金局(Postsparkasse)です。 でも、この建物でも、1906年の建築だそうです。 この郵便貯金局のリングの向かい側には、政府庁舎など古い建物もあります。 |
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シュトウーベンリング | 13:50 | *銅像が多い! アスベルン橋から、リングに沿って、南にある市立公園(Stadtpark)へ来ました。 市立公園は、リングの向かい側ですが、内側に、Dr.Karl Lueger の銅像がありました。 この人も、有名なようですが、通常の旅行案内にはありません。 そこで、カール・ルーエガー=カール・ルエーガー(Karl Lueger)を調べると、Dr. とあるので医者かと思っていたら、法学”博士”の方の Dr. で、元は弁護士で、1897年から1910年まで、ウィーンの市長を務めた。 路面電車の設置、ガス管の地下化などウィーンの近代化に貢献した。反ユダヤ主義者だったようで、ドイツのヒットラーにも影響を与えたとされる。このDr.Karl Luegerの像に対しては、物議があったようだ。 |
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市立公園 | ||||
市立公園 | 14:00 | 市立公園(シュタットパーク Stadtpark)入口の花屋さん。 パークリング(Parkring)の北側から、市立公園(Stadtpark)に入ってみましょう。 *同じく市立公園(Stadtpark)入口のお土産屋さん。 コーヒー・カップや銅像のミニチュアを売っていました。 |
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*市立公園は、ウィーン市街の外壁を撤去する1862年に計画され、イギリス風の公園の真ん中に池を配し、ドナウ運河からウィーン川(WienFluss)が流れる。 公園の面積は、65,000㎡で、黄金の像で有名になっている「ワルツ王」ヨハン・シュトラウスⅡだけでなく、多くの音楽家や有名人の像があります。 |
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市立公園 | *市立公園を北側から入ると、この市立公園を作る時のウィーン市長だったアンドレアス・ツェリンカ(Andreas Zelinka)の像が目立ちます。 *この市立公園にあるいくつかの像から、ウィーンの芸術に少しだけでも、触れてみましょうか。 公園で仲のいい鳥。 |
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市立公園 | *フランツ・シューベルト(Franz Schubert) 1798年1月31日 - 1828年11月19日 *音楽家:主な作品としては、「未完成交響曲」や「鱒」、歌曲「冬の旅」、「野ばら」などがある。 ゲーテや、シラー、ハイネなどの詩に作曲している。 |
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市立公園 | *フリードリッヒ・フォン・アメリング(Friedrich Von Amerling) 1803年4月14日 - 1887年1月14日 *画家:ウィーンの宮廷で活躍した肖像画家。 作品としては、例えば、「マリー・フランチスカ・リヒテンシュタイン侯女 2歳の肖像」は、超可愛い! |
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市立公園 | *ハンス・マカルト(Hans Makart) 1840年5月28日 - 1884年10月3日 *画家:ウィーンの宮廷で歴史画を描いている。 作曲家のワグナーとは親友で、「色の魔術師」とも呼ばれる。 クリムトなどに影響を与えた。 |
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市立公園 | *ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner) 1824年9月4日 - 1896年10月11日 *作曲家:交響曲第四番変ホ長調「ロマンティック」など交響曲と合唱曲で有名。 ワーグナーを崇拝していた。 (この像は、いつも鳥に好かれているようで、他の写真を見ても、頭には鳥の糞が目立つ。) |
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市立公園 | *ヤコブ・エミール・シンドラー(Jakob Emil Schindler) 1842年4月27日 - 1892年8月9日 *風景画家:ウィーンは近くに森があり、ドナウ川もありで、ヤコブ・エミール・シンドラー(エミール・ヤコブ・シンドラーとも)は、多くの風景画を描いている。「雰囲気の印象派」と呼ばれる。 下の絵のタイトルは、「二月の気配」 |
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市立公園 | *ヨハン・シュトラウス Ⅱ(Johann Strauss Sohn) 1825年10月25日 - 1899年6月3日 *作曲家:ワルツ王として名高い。代表作には「皇帝円舞曲」、「美しき青きドナウ」、「アンネン・ポルカ」、「雷鳴と稲妻」などがある。1854年には、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート王妃の結婚式の舞踏会で指揮をした。 通常、ヨハン・シュトラウスというと、2世の方をさす。 父親も音楽家で、ヨハン・シュトラウス 1世と呼ばれる。 ドイツ語の「Sohn」は、子供の意味です。 |
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市立公園 | *ウィーンの市立公園に来たならば、この黄金のヴァイオリンを弾くヨハン・シュトラウス像の写真は必須です。 確かに観光的には、派手で目立つ。でも何でこんな金色にしたのかなあ? 私の趣味とは、かなり違っています。 そこで調べました。 1921年に作られた時の、もともとの色は、金色で、途中で贅沢との批判を受けて黒にし、また1991年からこの金色になったようです。 *市立公園の北側から入り、南側にあるこのヨハン・シュトラウス像で大体の像は終わりです。 他にここで、私が撮れなかった芸術家の像としては、 ●フランツ・レハール(Franz Lehár) 1870年4月30日 - 1948年10月24日 作曲家:主な作品オペレッタ「メリー・ウィドウ」、ワルツ「金と銀」 ●ロベルト・シュトルツ(Robert Stolz) 1880年8月25日 - 1975年6月27日 作曲家・指揮者 もありますから、市立公園の端から端まで歩いて探してください。 |
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市立公園 | 14:30 | *市立公園を流れる「ウィーン川(WienFluss)」 川底もコンクリートでできていました。 公園ですから、緑も豊富です。 この写真を撮った5月14日は月曜日で、前日の日曜日まで公園で催し物があったようで、あちらこちらで後片付けをしていました。 |
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市立公園 | *市立公園の南側にある建物 ここでは、コンサートも開かれ、お茶も飲めるようです。 黄金のヨハン・シュトラウス像の前で写真を撮っていたら、切符の売り子に「日本語」で、今夜のコンサートの券を買わないかと誘われました。 ●他の観光客がいない? 黄金のヨハン・シュトラウス像は、確かに、有名な観光名所だけど、人がまったくいなかった。 私の記念写真を撮ってくれた人だけだった。ツアー客は、午前中に動くのか? |
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市立公園そば | 14:40 | *ベートーヴェンの像は、市立公園内にない。 偉大な作曲家:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven) 1770年12月16日? - 1827年3月26日 *作曲家:神聖ローマ帝国時代の現ドイツのボンで生まれる。ウィーンに出てモーツアルトに弟子入りを希望するが、許可されたかは、はっきりしていない。 ウィーンでは、ハイドンに師事したが、余り仲は良くなかったようだ。後年、耳が聞こえなくなっても、作曲活動を続けたことは有名。 *主な作品:交響曲第5番「運命」、交響曲第6番「田園」、そして日本では年末に演奏される交響曲第9番「合唱付き」の「歓喜の歌」などを始めとし、「トルコ行進曲」、また協奏曲や、ピアノ・ソナタ「月光」など多数ある。 ワーグナーやブラームスだけでなく、ドヴォルザークやチャイコフスキーなどにも影響を与えている。 ●ベートーヴェンの像は、市立公園の南側を出て、リング(環状道路)のシューベルトリング(Schubertring)を歩いていると、道に案内板がでていて、見つけました。 市立公園から2ブロック南の、シューベルトリングから1ブロック東に入ったところに、余り広くない、ベートーヴェン広場(Beethovenplatz)があり、この写真の像がありました。 *撮れなかったのですが、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の像は、朝行った、王宮(ホーフブルグ)の近くにある王宮庭園内にあるそうです。 *東京は葛飾区にもヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトの像はある。 葛飾区は、ウィーンと姉妹都市で、「かつしかシンフォニーヒルズ」という建物の正面に、実はこの複製があるのですよ。 |
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市立公園そば | 14:43 | *ウィーン・コンツェルト・ハウス(Wiener Konzert Haus) ベートーヴェンの像から1ブロック南に行くと、ウィーン交響楽団の拠点。ウィーン・コンツェルト・ハウス(Wiener Konzert Haus)があります。 1913年に建てられて、大小3つのコンサート・ホールがあります。 |
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ホーホシュトラール噴水 | 14:52 | *ホーホシュトラール噴水(Hochstrahlbrunnen) リング(環状道路)も南の端です。広場があり、噴水がありました。 噴水は、暦をイメージしているようで、吹き出し口と内部の配列で、年月日が表示されるようです。 また、夜はライトアップされています。 でも、ここまでくると、人も少ない。 |
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ホーホシュトラール噴水 | *噴水の後ろの20mの高い記念碑には、ロシア語の碑文が。 何で、こんなところに、ロシア語の記念碑があるのかと思っていたら、第2次世界大戦で、ドイツ軍からウィーンを解放した際に亡くなった18,000人のソ連軍兵士を追悼したものとのことです。 |
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パレ・シュヴァルツェンベルグ | 14:58 | *パレ・シュヴァルツェンベルグ(Palais Schwarzenberg) ホーホシュトラール噴水の南側の近くに、豪華な宮殿が見えた。 地図を見ててっきり、ヴェルヴェデーレ宮殿の下宮かと思って写真を撮ったら、違っていた。 18世紀初頭に建てられ、元はシュヴァルツェンベルグ宮殿と呼ばれたが、今は、ホテル・イム・パレ・シュヴァルツェンベルグ( Hotel Im Palais Schwarzenberg)となっている。3階建てで、部屋数は、44室です。 このホテルの豪華な部屋に泊まれば、あなたも、貴族の気分が味わえます? 値段は? NETで調べてください。日本人も泊まっていますよ。 |
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ベルヴェデーレ宮殿へ | ||||
ベルヴェデーレ宮殿 | 15:04 | *ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere)へ行こう! 自由時間となった、12:50から予定していましたリング(環状道路)の東側は、これで一応歩きました。 ここまで、2時間程度かかりました。 まだ、集合時間(18:15のウィーン国立歌劇場(オペラ座)前)まで充分に時間がありますので、ここは足を伸ばして、元気に、リングの外にあるベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere)上宮(Oberes Belvedere)まで歩きましょう。 ●長い上り坂が続く! ほとんど人がいない長い登り坂です。 左側の高い壁に沿って歩きます。壁の内側は見えません。 途中で、歴史的な建物と入口が見えたので、これが、ベルヴェデーレ宮殿(上宮)の入口かと思ったら、違っていました。まだまだ単調な登り坂を歩きます。 |
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ベルヴェデーレ宮殿 | 15:13 着 |
ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere)上宮(Oberes Belvedere)入口 左の壁を見ながら、いつになったら入口があるのかと、(初めて歩く道は長い?)思いながら歩いていると、どうにか、ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere)上宮(Oberes Belvedere)入口に着きました。 坂の麓からだいたい10分ぐらいで着いたのですが、登り坂は思いのほか、疲れます。 |
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ベルヴェデーレ宮殿 | *ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere)上宮(Oberes Belvedere) 横にある入口から、正面に向かいましょう。 |
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ベルヴェデーレ宮殿 | *ベルヴェデーレ宮殿 もとはハプスブルク家に仕えた帝国軍の総司令官:プリンツ・オイゲン公が、当時の代表的な建築家であるヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントに、夏の離宮として造らせたものです。1714年から1716年にかけて下宮(Unteres Belvedere)が、1720年から1723年にかけて上宮(Oberes Belvedere)が建設されました。プリンツ・オイゲン公の死後1752年に、ハプスブルク家のマリア・テレジアが買いました。19世紀末からは、当時の王位継承者のフランツ・フェルディナントが住んでいました。現在は上宮が19世紀・20世紀オーストリア絵画館。下宮がバロック美術館になっています。オーストリアで2番目に大きな美術館です。 ●左右対称形をした美しい建物です。玄関の飾りの彫刻もきれいです。 |
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ベルヴェデーレ宮殿 | 15:21 | *庭が実にきれい! ベルヴェデーレ宮殿の上宮と下宮の間のきれいに手入れされた庭です。 この写真で、かなりの丘を登ってきたのが分かるでしょう。 写真の中央が、下宮でその先にウィーンの旧市街があります。 中央の左の方に見える高い塔が、朝行ったシュテファン大聖堂です。 |
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ベルヴェデーレ宮殿 | *ベルヴェデーレ宮殿の庭です。 下の方からでは、この庭園のきれいさは、分かりません。 上宮の3階からなら、こんなに美しく手入れされた模様が見られます。 庭の彫像も美しい。 |
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19世紀・20世紀の絵画館 | *上宮の19世紀・20世紀の絵画館に入る。 折角ここまで来たのですから、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレの絵画があるので有名ですから、中を覗いてみましょう。 *入場料は、11ユーロ(約1,100円)です。 入場券には2種類があり、この11ユーロでは、下宮には入れませんが、16ユーロを出すと上宮と下宮の入場がコンビになっていて入れます。 |
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19世紀・20世紀の絵画館 クリムト | *グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の作品 チケットを飾るやたら金箔を使用した左の写真 「接吻=Kuss(Kiss)」(制作:1907年~1908年)や下の「ユーディット(Judith)」(制作:1901年)が有名です。 といっても、この館内では、撮影が禁止されていますので、ベルヴェデーレ宮殿のホームページからの借用です。 「ユーディット(Judith)」 この他にも、クリムトの金色に輝かない普通の(?)作品も展示されています。 ●金箔の使用は、日本の絵画の影響を感じますが、まとまりのない絵です。 |
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19世紀・20世紀の絵画館 エゴン・シーレ | *エゴン・シーレ(Egon Schiele)の作品 家族=Familie (Kauerndes Menschenpaar)制作:1918年 エゴン・シーレの作品の多くは、目つき、表情が寂しくて、これらを1日中見ていると、陰気になります。 |
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19世紀・20世紀の絵画館 | *この他にも、キリスト教の絵画や、彫刻、左のルノアールなど、戦前・戦後から現代までの絵画も展示されています。 *このナポレオンの乗馬の絵は、他の美術館にもある? *表情が豊かです。 |
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カールスプラッツ へ | 16:20 発 |
*ベルヴェデーレ宮殿の上宮から出て、カールスプラッツ(Karlsplatz)へ。 ベルヴェデーレ宮殿も見物しましたので、これからは、北の集合場所のウィーン国立歌劇場(オペラ座)へ戻ります。 ベルヴェデーレ宮殿へ来たのと同じ道を歩いても、面白くないので脇の道を歩いて行きます。 このベルヴェデーレ宮殿があるリング(環状道路)の南側の丘の住宅街は、どことなく、お金持ちが多く住んでいる雰囲気がします。 (不動産屋の勘ですが。) ●コンビニや自動販売機がない! 歩きぱなしで喉が渇いたので、飲み物を買おうと思い、コンビニ・ストアか自動販売機を探します。 しかし、コンビニのような商店が全然見当たらない住宅街でした。また、自動販売機も、まったく、この街:ウィーンではありませんでした。 だいたい、店の看板が、日本のように、壁にネオンをつけたり派手な色を使ってないので、目立たないので探すのが大変です。 どうにか、「SPAR」という小さなスーパーのような店を探し出し、ペット・ボトルのオレジジュースを買いました。 0.89ユーロ(約100円)でした。 これなら、日本と同じ価格です。 |
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カールス教会 | 16:52 | *カールス教会(Karlskirche) ベルヴェデーレ宮殿上宮から、今度は、坂をだらだらと、30分程度歩いてきて、リング(環状道路)の南側にある、ドームと2本の塔がある建物のそばに到着です。 この教会の前には、緑も豊富で、噴水もあります。 さすがに、昼から歩きばかりで疲れたので、噴水の端に座って、さっき買ったペット・ボトルのジュースを飲んで一休みです。 |
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地下鉄の切符売り場 | 17:19 | *地下鉄の切符売り場 少し休んだので、また歩きの再開です。 朝のカールス広場(Karlsplatz)の地下鉄の写真では、切符売り場がなかったので、地下鉄の駅に寄って、切符売り場を撮りました。 なんと、切符売り場は、タッチ・パネル方式の最新式ではありませんか! ドイツ語の表示だけでなく、英語の表示も選べます。 なお、私は地下鉄には乗らずに、集合場所の「ウィーン国立歌劇場(オペラ座)」まで歩きます。 |
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ウィーン国立歌劇場(オペラ座) | 18:00 着 |
*ウィーン国立歌劇場(オペラ座)(Wiener Staatsoper)到着 12:50にシュテファン大聖堂前を歩き出して、調度18時に、集合場所の「ウィーン国立歌劇場(オペラ座)=Wiener Staatsoper)」に着きました。 約5時間でリング(環状道路)の東側にある「市立公園」や、リングの外の南側にある「ベルヴェデーレ宮殿」まで歩いて戻ってきたと言うわけです。 多くの観光案内書では、ウィーン市街の観光では地下鉄やトラム(路面電車)を利用するコース案内もありますが、歩くのも一案ですよ。 リング(環状道路)に沿って歩いても、思ったほど長くなく、時間はかからないようです。 *近くのお土産屋 |
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ウィーン国立歌劇場(オペラ座) | *アルベルチーナ(Albertina)美術館です。 ウィーン国立歌劇場(オペラ座)に着きましたが、集合時間の18:15までまだ少し時間があるので、この近くも紹介しましょう。 ウィーン国立歌劇場(オペラ座)のすぐ裏側(西北)に、アルベルチーナ(Albertina)美術館があります。 |
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夕食 | 18:30 | *夕食 昼から、自由行動の人も、オプションの「ウィーンの森とバーデン観光」に参加(¥8,000-)した人(39人中23名とか)も無事合流して、夕食です。 まだ、現地時間で18時過ぎではかなり外は明るいですが。 |
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夕食 | *レストラン内 この夕食をとったレストランの位置は、昼食をとったシュテファン大聖堂の近くのレストランから余り遠くないところにあります。 *まずはスープ。 |
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夕食 | *メインのシュニッツエル(Wiener Schnitzel) ウィーンでの名物料理は、シュニッツエルと呼ばれる伸ばした牛を揚げたカツレツです。 ●でも、味が物足りない! 量が少ない! 写真のように、薄い牛肉とわずかなジャガイモが出るだけです。 これを、レモン汁で食べたわけですが、これだけでは、全然味付けがおいしくありません。 それに、今日は、半日歩いていますので、食欲は十分ですが、量も足りませんでした。 これは、私が特に大食漢というわけではなく、同席した女性も、量が少ないと言っていました。 |
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夕食 | *デザートのアイス これは、美味しかった。 ●阪急交通社では、誕生日を祝ってくれる。 ツアーの参加者に、本日が誕生日だった人がいて、阪急交通社から、お祝いとして、「爪切り」がプレゼントされました。 (こういう他の人にとっては些細なことが、本人にとっては、すごく旅の思い出として残る?) |
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ホテル:アイロ・タワー | 20:15 | *お休み ホテル:アイロ・タワーに連泊 昨夜(5月13日)から泊まっています、ホテル:アイロ・タワーに戻り、旧式の開け方に苦労する鍵を開けます。 ●戻って驚きです。 バスタブを洗っていない。 ベッドのシーツがそのままだ! 5月13日の旅行記でも書きましたが、本当にこのホテル:アイロ・タワーのサービスは最低です。 |
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◎ 2012年 5月14日(月)は終わりです。 | ||||
★第3日目は、ウィーンの観光でした。 ● お土産屋での時間を、観光にあてて! いつもツアーに参加して思うのですが、各地のコースでお土産屋に寄るというのが必須項目として入っています。 これは、旅行会社としては提携しているお土産屋で、お土産を購入させて、バック・マージンをとるためですが、もうこのあくどく、古い商習慣は止めにしたらどうですか。 初めてツアーに参加した人は、現地の価格を知らないため、指定のお土産屋で購入しますが、多くのツアー参加者は、この旅行会社が連れて行くお土産屋は、通常の店より値段が高いことは知っています。 このつまらないやり方をいつまでも続けている阪急交通社など多くの旅行会社は、もうこのようなバック・マージンはあてにせず、その時間を、本業の観光に振り向けるべきですね。 ● ウィーンとクラッシック音楽 市立公園にある多くの銅像にみられるように、ウィーンでは、モーツアルトやベートーヴェンなど数々のクラッシック音楽の巨匠と呼ばれる作曲家達が活動していただけでなく、小沢征爾のような指揮者もここを活躍の拠点としています。 ベートーヴェンなどの音楽家が昔のような、教会の庇護がなくても、生活できるようになったのは、まさにウィーンという都で、音楽を愛する貴族がいて、また多くの音楽を愛する民衆がいたからだとわかります。 ● ウィーン・ミュージカルについて。 クラッシック音楽の都として、ウィーンは有名ですが、最近では、アメリカのミュージカルと並ぶくらいに、ウィーンでつくられたミュージカルも盛んです。 そして、日本でもウィーン製のミュージカルは上演されています。 例えば、私の 「映画・演劇 評論」 にも載せています、 「エリザベート」 や 「モーツアルト」 ですが、今回、オーストリアを旅するうえで、ハプスブルグ家の内情などは、映画や演劇での予備知識があると良いようです。 ● 電柱がない街並みは、きれいだ! ウィーンでは、トラム(路面電車)が多く走っているので、道路の上の空に電線が張り巡らされていて、汚い感じがします。 でも、歩行者天国の「ケルントナー通り」では、電柱がなくて、道の上がすっきりとしていて、いい気持になれます。 ● 耳太郎 -無線補聴器 - 最近は阪急交通社だけでなく、ツアーでガイドさんから離れていても、無線で説明を聞くことのできる機器が使用されていますが、本当にこれは便利です。 阪急交通社では、この機器を「耳太郎」と呼んでいました。 特に私のように、いろいろと写真を撮りたい人間にとっては、いつもガイドさんの傍にいることが少ないので、「耳太郎」は優れものです。 ● 映画 「シシー(ドイツ語=Sissi、英語=Sisi)」 王妃:エリザベートで思い出したのですが、彼女は、当時オーストリアに併合されていたハンガリーを度々、訪れています。またハンガリーの人々もエリザベートが好きだったようで、エリザベートを愛称:シシー(Sissi)で呼んでいたそうです。また、ハンガリーのブダペストには、エリザベートの銅像もあり、ドナウ川にはエリザベート(現地語では、エルジェーベト)橋もあるほどです。(この話は、旅行記:5月16日(第5日目)でも取り上げる予定です。) このエリザベートの生涯を描いた映画に、1955年からつくられた、可愛いロミー・シュナイダーの主演で、「プリンセス・シシー」、「若き皇后シシー」、そして「ある皇后の運命の歳月」という3部作があります。これも当時のオーストリアの状況が分かる映画です。 ● 映画 「第三の男」 映画にこだわるなら、第2次世界大戦後の、このウィーンを舞台にした1949年製作の「第三の男」にも触れなければならないでしょうね。 アントン・カラスが奏でるチターのメロディと、白黒映画ではの、正しく影のある第三の男:オーソン・ウェルズの演技が印象的でした。 この「第三の男」での舞台になった、大観覧車があるのは、プラーター公園(Wiener Prater)で、この場所は、ウィーンの中心から東にあり、リング(環状道路)の外で、かなり離れています。 |
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