オーストリア、スロバキア、ハンガリー、チェコ そして ドイツ   10日間の旅行記

第4日目: 2012年(平成24年)  5月15日(火)  

スロバキアのブラチスラヴァ
ハンガリーのパンノンハルマ、ブダペスト へ

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ウィーンからスロバキアのブラチスラヴァ、そしてハンガリーのパンノンハルマ、ブダペスト へ

 

◎ 本 日 の ス ケ ジ ュ ール
 場 所  概 要
起床 06:30 ウィーンのホテル:アイロ・タワー
朝食 07:15 New
ホテル:アイロ・タワーのビュッフェ
ホテル 発 08:45 スロバキアの首都:ブラチスラヴァ へ
ブラチスラヴァ 着  09:40~ ブラチスラヴァ城
ブラチスラヴァ旧市街
昼食 11:30 New
ビーフ料理
ブラチスラヴァ 発 12:30 ハンガリーのパンノンハルマ大修道院へ
パンノンハルマ大修道院 着 14:00~ パンノンハルマ大修道院 
パンノンハルマ大修道院 発 14:55 ハンガリーの首都:ブダペスト へ
ブダペスト 着 17:05 ゲッレールトの丘へ
夕食 18:00 New
ハンガリアン・グヤーシュ(牛肉とジャガイモの煮込み)料理
宿泊 19:15  New
ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダ

 

訪  問  地 詳    細
ホテル:アイロ・タワー    
06:30

*起床
  
  5月13日(日)から、泊まっているウィーン市の南にあるホテル:アイロ・タワー(Airo Tower Hotel)、5階の314号室での朝です。

  朝はモーニング・コールが、6:30にありますが、4時頃この、ホテル:アイロ・タワーの裏が公園で、鳥のさえずりで目が覚めました。

ホテル:アイロ・タワー 07:10
*朝食New
 

 昨日と同じように、ホテル:アイロ・タワーの1階にあるレストランで、好きなものを選んで食べるビュッフェ形式で朝食をとります。

 メニューとしては、昨日とほぼ同じ内容です。
 パン、生ハム、スクランブル・エッグ、ソーセージ。
 飲み物としては、コーヒーとオレンジ・ジュースですが、いつもは食べないヨーグルトも食べました。これが、朝の舌には、案外さわやかでいい。 


 もう、このホテル:アイロ・タワーには泊まりませんので、朝食をとると、部屋に戻り、移動用に荷造りをします。(と言っても、旅に慣れているので、ほとんどの衣服や大物はもうすでに、買ったばかりのスーツ・ケースに入っていますが。)
ウィーン~ブラチスラヴァ  へ 08:45 *ブラチスラヴァ へ向けて出発

 これから、ウィーンの東に位置する、スロバキアの首都:ブラチスラヴァ へ向けてバスの旅です。
 距離は、約70Kmといいますから、混んでいなければ、1時間もしないで着きそうです。
 
 朝からいい天気です。でも、気温は、13°C ぐらいで、かなり涼しいので、長袖とヴェストを着ます。

 乗るバスは、ドイツのミュンヘンから乗ってきているバスです。ハンガリー人の運転手も変わりません。
09:14 *高速道路の左右に、風力発電の巨大なプロペラが多くある。

 片側2車線の高速道路です。

 今日(5月15日)は、火曜日なので、祭日と異なり高速道路にもかなりトラックも走っています。
 
  この辺り(具体的には不明ですが)は、丘陵地帯で、風の通りもいいようで、あちらこちらに風力発電の巨大なプロペラが目立ちます。

 
09:26 *オーストリアとスロバキアの国境

 高速道路もすいていて、バスに乗ってから、40分程度で、オーストリアとスロバキアの国境に着きました。

 オーストリアとスロバキアは共にヨーロッパ連合(EU=European Union)に加盟していますから、別に国境での検問もなく、我々の乗ったバスは、そのままノン・ストップで国境を通過します。

 (でも、トラックは停められていたが。)
●スロバキア 基本情報  
 
 国名:スロバキア共和国。正式名称は Slovenská Republika
 面積:約4.9万平方キロメートル(北海道の3/5。日本の約1/7)。東西400Km,南北200Kmとそんなに広くない。
 人口:約544.5万人
 首都:ブラチスラヴァ Bratislava (人口:約42万人)
 民族:85.5%がスロバキア人。他にハンガリー人 9.5%
 言語:スロバキア語
 宗教:ローマ・カトリック約69%、プロテスタント約7%

 地理:国土の東西に山脈が連なり、1/3は森林。北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。
      
 略史:古くは、ハンガリー王国の北部の1地方として、ハンガリーの支配下にあり、1526年にハンガリー王国がオーストリアのハプスブルグ家の統治下に入る。第1次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、現在のチョコと合併したチェコ=スロバキア共和国として独立した。第2次世界大戦中は、ナチス・ドイツに占領されるが、大戦後の1945年にチェコ=スロバキアとして独立を回復し、共産主義国となる。
 1989年の民主革命(ビロード革命)により、共産主義体制は終わる。そして、1993年1月にチェコとの連邦が平和的に解消され、スロバキア共和国となった。
 2004年5月からヨーロッパ連合(EU)に加盟。
 
 通貨:2009年1月よりユーロを導入。 1ユーロ=¥107  (交換レートです。)
 時差:日本よりマイナス7時間(現在、サマータイム中。他の時は、マイナス8時間)


 世界遺産:文化遺産:ヴルコリニェツ、 バンスカー・シュチャヴニツァ 、 レヴォチャ・スピシュスキー城とその関連文化財 、 バルデヨフ市街保護区、 カルパティア山脈地域のスロバキア側の木造教会群
 自然遺産:アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群(ハンガリーと共同)、 カルパティア山脈のブナ原生林(ウクライナと共同)
ブラチスラヴァ 09:40 *ブラチスラヴァ(Bratislava) 着

 いい天気のなか、道路も混んでいなくて、ウィーンから約1時間で、スロバキアの首都:ブラチスラヴァに着きました。

 ドナウ川を望む丘の上に、ブラチスラヴァ城があります。

 (どうして、このドナウ川のそばで写真撮影ができているかというと、この場所で、現地の案内人をまっているためです。)
新橋   *新橋 (Nový most

 1967年から1972年にかけて造られたドナウ川にかかるつり橋ですが、橋をつっている塔の80mのところにエレベーターで登れる展望台があり、お茶も飲めるそうです。

 (誰か、UFOみたいだと言っていましたが、そんな感じですね。)

 でも、この橋げたの塔は、やや斜めになっていて、エレベーターも、斜めに上がるようです。
 (斜めになっているので、故障が多いとも?)
ブラチスラヴァ   *ドナウ川を船で旅する手もある。

 昨日のオーストリアのウィーンもドナウ川の側にあり、このブラチスラヴァも同じドナウ川の側にあります。
また、これから行く、ハンガリーのブダペストもドナウ川の側にあります。

 そこで、観光船として、橋げたにぶつからないように、高さはないのですが、長い立派な宿泊できる部屋もある豪華な船も停泊しています。
ブラチスラヴァ   *路面電車も多い。

 広い道路だけでなく、坂道の狭い道路でも、路面電車も多く走っています。

 なお、ブラチスラヴァには、地下鉄は走っていない。
ブラチスラヴァ   *フリオ・イグレシアスのコンサートの看板も。

 スペインが生んだ有名なポピュラー歌手:フリオ・イグレシアスも6月にここ、ブラチスラヴァでコンサートを開くとのことです。

 「黒い瞳のナタリー」や「ビギン・ザ・ビギン」。そして、ウィリー・ネルソンとのデュエット曲「かつて愛した女性へ」などは有名ですね。
ブラチスラヴァ 10:15 *ブラチスラヴァ城へ

 ブラチスラヴァ城は、ドナウ川を見下ろす小高い山の上にあります。

 観光用にこんなバスも走っていました。
ブラチスラヴァ 10:19 *スロバキアの国会議事堂

 ブラチスラヴァ城の入口に、スロバキアの国会議事堂もあります。

 
ブラチスラヴァ城 10:20 ブラチスラヴァ城 (Bratislavský hrad

 ●ウンチク:もとの城は、18世紀には、ハプスブルグ家のマリア・テレジアも使用していた豪華なものだったが、1811年に焼失し、共産党政権の1945年~1968年に再建された。

 城内には歴史博物館や音楽博物館がある。

 城の4つ角には、塔があり、その塔がテーブルの脚のようで、上下を逆にするとまるで「テーブルをひっくりかえしたような形」なので、「ひっくり返ったテーブル」の愛称がある。

ブラチスラヴァ城   *ブラチスラヴァ城 (Bratislavský hrad )の4つの塔

 この位置からは、真後ろの塔が見えないのですが、上の案内図のように、ブラチスラヴァ城は中庭を取り囲んで、四角形をしており、おのおのの角に、テーブルの脚のような塔が4つあり、そこで、このブラチスラヴァ城は「ひっくり返ったテーブル」の愛称で呼ばれています。


  そばの建物の黄色は? (ウィーンでよく見る「マリア・テレジャ・イエロー」です。)
ブラチスラヴァ城   *ドナウ川と新橋の眺め

 ブラチスラヴァ城はドナウ川の側の高台にあるので、これから行く旧市街や、ドナウ川などの眺めが良い場所です。

 上で紹介した新橋 (Nový most)は、橋の中央で吊られているのではなく、片方で全体を吊っています。

ブラチスラヴァ城   *素朴なブラチスラヴァ城のお土産屋

 簡単な出来の人形や紙細工、板切れでできたお土産がありました。
旧市街へ 10:40 *旧市街へ

 ブラチスラヴァ城を後にして、これから旧市街へ行きます。

  まったくいい天気です。

  気温は、20度Cぐらいで、上着は不要です。
ミハエル門 10:53 ミハエル門 (Michalská brána

 まずは、旧市街の北側に来ました。

 もともと、旧市街はヨーロッパの古い城塞都市のように、城壁に囲まれていたのですが、18世紀にマリア・テレジアが街の発展を考えて、このミハエル門 (Michalská brána )を除いて、古い城壁を全部撤去したそうです。

 そして、18世紀に、現在のような玉ねぎのような形に改装されました。

 塔の先端には、大天使ミハエルが竜と戦う銅像があり、武器庫として使われていました。

 この、ミハエル門の5階は見晴台で、ここからの旧市街の眺めもいいようです。
ミハエル門 10:53 *ミハエル門の時計があっていない!

 細かいことですが、編集で写真をよく見ていたら、この写真をとった時間は、10:53 でしたが、ミハエル門の塔の時計は、左側が9時を示し、右側は10:30 を指していました。


(これが、日本なら、すぐに修理するのでしょうが...)
ミハエル門   *ミハエル門から、南に向かう。

 これから旧市街の中心の中央広場 =フラヴェネー広場 (Hlavné námestie)に行きます。

 ミハエル門と言うのに、門ではなく塔ばかり目立つのですが、確かに、塔の下は、通り抜けられます。

旧市街 10:56 *赤いザリガニ (Červený rak) の薬学博物館

 ミハエル門の近くに、ザリガニを看板にした建物がありました。

 もとは、赤いザリガニ (Červený rak) を屋号にしていた薬局の跡を薬物博物館にしたようです。
  
      
 *近くのレストランの看板も、ザリガニでした。
旧市街   *ミハルスカ通り (Michalská 

 この旧市街の中心の通りは、ミハルスカ通りといって、歩行者天国です。

 オープン・カフェもでています。観光客で一杯です。
旧市街   *洒落たオブジェが多い。

 *パリまで1094Kmなどと世界各地までの距離を示す、道の埋めものもありますから、上や下も見るところはあります。













*鷲はスロバキアのシンボルです。
フラヴネー広場 11:05 *中央広場=フラヴネー広場 (Hlavné námestie

 市の中心地として集会や処刑が行われ、市場も立った場所です。

 広場の中心にある「ロランド噴水」は、1572年に作られた古い公共の水汲み場でした。

 写真の左にある、旗が出ている旧市庁舎は、今は博物館で、この広場に面して、写真の右側の建物には日本の大使館も入っています。他には、フランスなどの大使館もあり、政府の迎賓館もあり、今でも、市の中心です。

 また、旧市庁舎には、ワインの博物館もあり、栽培方法を示した模型や農機具、農民の衣服、また奥の部屋にはブドウ種のアルコール漬の標本があるそうですが、何しろ建物中には入る時間がなくて、話だけです。
フラヴネー広場   *ナポレオン?と記念写真

 このフラヴネー広場にきたら、まずは、この人(ナポレオンと言われている)との記念撮影は必須でしょう?


 *ついでに、ベンチに座っていたカップルの邪魔をしてみました。
旧市街 11:15 *マンホール・マン

 そして、ブラチスラヴァに来たら、このマンホールから顔を出している人とも対面しましょう。

 *こんな、オブジェもある。(右側の女性は、生の人間です。念のため。)
旧市街 11:18 *スロバキア国立劇場=オペラ座 (Slovenské národné divadlo

 もとは、1886年に建てられた、シティ劇場とも呼ばれていた建物です。

 オペラやバレエ、演劇が上演されます。
旧市街 11:25 *旧市街をさらに南へ

 ブラチスラヴァの旧市街はそれほど広くありませんので、約1時間もあれば見物は終わります。

 旧市街を北のミハエル門から、ドナウ川のある南に向かっています。

旧市街   *スロバキア国立美術館 (Slovenská národná galéria

 写真の左側の垂れ幕がある建物が、1948年に開館したスロバキア国立美術館 (Slovenská národná galéria)です。

 13世紀頃からの手工芸品や、ルーベンスやゴーギャンの作品もある。

 といっても、館内には入っていません。表だけを、速足で歩いているだけです。
旧市街 11:29 *ブルガリアの倒れたパルチザンの記念碑 ? ( Kto Padne V Boji Za Slobodu Nezomiera


 スロバキア国立美術館から、ドナウ川に沿って、東に歩いていると、小さな公園の中にこんな記念像がありました。

  像に書かれているスロバキア語?での文章:Kto Padne V Boji Za Slobodu Nezomiera をネットで調べると、ブルガリアの倒れたパルチザンの記念碑が出てきた。

 「自由のための闘争で死ぬ人は、死ぬことはない」という意味らしい。
旧市街 11:30 *スロバキア国立博物館 (Slovenské národné múzeum


 写真の右側は、もうドナウ川です。スロバキア国立博物館 (Slovenské národné múzeum)はそんな場所にあります。

 ここでは、主にスロバキア国内に見られる植物、動物やそれをとりまく環境がどのような変遷をたどってきたかというテーマに沿って、およそ 240万点にも及ぶコレクションが展示されています。
昼食 11:30 *昼食New

 スロバキア国立博物館の隣にある、ドナウ川に面したオソブニー桟橋 (Osobný prístav)の中にあるレストランで今日の昼食です。

 桟橋には、ウィーンやブダベストからきたドナウ川クルーズの船が停まっています。

昼食   *桟橋のレストラン内

  ドナウ川を眺められる、なかなか、洒落たレストランでした。

   

 *前菜のたよりないサラダ。

  ドレッシングが、オリーブ・オイルだけでは、味がねっ。
昼食 *ビーフ料理New
 
 といっても、ご覧のようなビーフの汁で、他はポテトと小麦粉の料理では、物足りなすぎる。

 ●ビールが安い!

  あまりアルコールが好きでない私ですが、ビールの小グラスが、他のジュースより安い 1ユーロ(約¥100)だったので、つい飲んでしまいました。

 
 
パンノンハルマへ  
パンノンハルマへ 12:30 *パンノンハルマ へ向けて出発

  昼食も終わり、チェコのブラチスラヴァともお別れです。
 
 これから、ハンガリーに入り、約100Km先のパンノンハルマ大修道院へ向かいます。

●スロバキアのブラチュスラヴァから、ハンガリーの国境は近い。
  ブラチュスラヴァからバスで高速道路を南に向かうと、20分程度で、ハンガリーとの国境でした。
  勿論、この検問所もいまは、ノン・ストップでバスは通過します。
●ハンガリー 基本情報  

 国名:ハンガリー共和国(Magyar Köztársaság)。英語表示:Hungary。 
 面積:約9.3万平方キロメートル(日本の約1/4。北海道より少し大きい。)
 人口:約996万人
 首都:ブダペスト(ブダペシュト) (Budapest) (人口:約170万人)
 民族:95%がハンガリー(マジャール=マジャル)人。
 言語:公用語はハンガリー(マジャール=マジャル)語
 宗教:ローマ・カトリック約52%、カルヴァン派約16%

 地理:ヨーロッパの東の中央部に位置する。オーストリア、スロベキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニアと7つの国と国境を接している。
     国土は、山脈に囲まれたなだらかな丘陵地帯で、東にはハンガリー大平原がある。国の中央部は、首都:ブダベストが面するドナウ川が流れ、肥沃な農地である。
 また、温泉量が豊富で、ブダペストを始めとして、温泉場がある。
      
 略史:896年にハンガリー民族が定住し、1,000年にアールパード家のイシュトヴァーン1世によるハンガリー王国ができる。その後、東から蒙古軍の攻撃をうけ、また、1526年から1699年までオスマントルコ帝国に占領される。
 王位継承者の関係から1699年から1918年までハプスブルグ家により統治され、オーストリア皇帝のハプスブルグ家がハンガリーの国王を兼ねるオーストリア・ハンガリー二重帝国だった。
 しかし、第1次世界大戦でオーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊し、1920年から1944年までは、ホルティ摂政によるハンガリー王国があった。
第2次世界大戦が終わった1946年2月にソビエト連邦の占領から独立して、ハンガリー共和国となったが、1948年8月ハンガリー人民共和国となるなどの変転を経て1989年10月にまたハンガリー共和国となり、2004年5月にヨーロッパ連合(EU)に加盟した。東西の冷戦時代には、共産圏にあったが、ソビエト連邦に対しては反抗的であった。

 通貨:フォリント。 1フォリント=¥0.37  (でも、ユーロも使えます)
 時差:日本よりマイナス7時間(現在、サマータイム中。他の時は、マイナス8時間)


 世界遺産
 文化遺産ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り - (1987年、2002年拡大)、ホッローケーの古い集落とその周辺 - (1987年)、パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会大修道院とその自然環境 - (1996年)、ホルトバージ国立公園 - プスタ - (1999年)、ペーチ(ソピアネ)の初期キリスト教墓地遺跡 - (2000年)、フェルテー湖・ノイジードラーゼー湖の文化的景観 - (2001年、オーストリアと共同)、トカイのワイン産地の歴史的・文化的景観 - (2002年)
 自然遺産:アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群 - (1995年、2000年追加、スロバキアと共同)
 (太字は、今回訪れた場所です。)
パンノンハルマ へ 13:01 *パンノンハルマ へ

 ハンガリーでも、他のヨーロッパの国と同じように風車での発電は盛んなようでした。
パンノンハルマ へ 13:37 *パンノンハルマ へ

 高速道路を降りて、田舎の道を走ります。

 パンノンハルマ大修道院は、正面の小山(聖マントルの丘)の上にあります。
パンノンハルマ大修道院 13:51  【世界遺産】 パンノンハルマ大修道院 (The Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma


 ブラチスラヴァを出てから、100kmを約1時間20分で、パンノンハルマ大修道院に着きました。

 ここの建物の黄色も、マリア・テレジア・イエローです。

*世界遺産を示す案内板が、入口に掲げてありました。
パンノンハルマ大修道院   *見晴しがいい。

 パンノンハルマ大修道院は、小高い聖マントルの丘(Márton-hegy)(282m)と呼ばれる場所にあるので、麓の村など遠くまで見渡せます。


 *パンノンハルマ大修道院の建物の前にある方位像です。
パンノンハルマ大修道院   *パンノンハルマ大修道院に入れない!

 信じられない!
 なんてことでしょう。こんな片田舎にあるパンノンハルマまで来たのに、阪急交通社の手落ちでパンノンハルマ大修道院に入れないのです。
 仕方なく、入口からの写真を撮って、建物側にある無料のお土産屋へ行き、時間を過ごし、バスの待つ山道を下ってきました。
 

*別の阪急交通社のツアーの人は入れていたのに、正しく「門前払い」でした。(入るには、前もって予約が必要らしい。)
パンノンハルマ大修道院   *パンノンハルマ大修道院のウンチク

 イシュトヴァーン1世の時代に、ゲーザ大公がボヘミヤ地方(現在のチェコの西部・中部)から修道僧を招いて、996年に創立したのが始まりで、ベネディクト会の布教の中心となった。その後、何度も増改築をしている。
ハンガリーで唯一残っているベネディクト派の修道院で、現在も修道士が暮らしています。

 ここ、パンノンハルマ大修道院の見どころとしては、バシリカ式聖堂や回廊、聖母礼拝堂などがありますが、最高の目玉は、1830年頃に完成したとされる付属の図書館です。

 書棚には、36万冊以上の蔵書が収められていて、現在もその数は増えていて、壁を埋め尽くす本、本、本で、圧巻だということですが、入口だけしか見ていないので、ここまで来ていて、と愚痴が出ます。

 下の図書館内部の写真は、ハンガリー政府観光局からの借用です。

ブダペスト へ 14:40 *パンノンハルマからブダペスト へ

 中に入れず、大いに不満の残るパンノンハルマ大修道院を後にして、これから、ハンガリーの首都:ブダペスト へ向かいます。

  高速道路は、空いていますから、パンノンハルマからブダペストの距離:約130Kmも2時間程度で、着きそうです。

  高速道路の左右は、丘陵で麦畑が広がります。

  遠くに、風力発電の大きなプロベラが、この付近でもあちらこちらに見えました。
ブダペスト へ 16:30 *トイレ休憩

 ブダペストまで、あと34Km程度です。

 ハンガリーは、ヨーロッパ連合(EU)に加盟していますが、通貨としてはユーロは使えないことになっています。

 通貨の単位は、フォリント(HUF)で 1フォリントは、0.37円ですが、このサービス・ステーションだけでなく、だいたいユーロは使えました。
 ただし、お釣りとして戻ってくる硬貨は、フィリントとなっていましたが、ツアーの女性が、「ユーロ・カムバック」と言ったら、小銭もユーロ・コインでした。
ブダペスト へ   *価格の表示は、フォリントです。

  そこで、面倒なユーロとの換算になりますが、概算として、このサービス・ステーションでは、値段が異なるジュースやコーヒーでも全部 1ユーロ(約280フォリント) にしていました。

 大体、ジュースやコーヒーも日本円なら、100円の感覚ですから、かなり安くなっています。本当に円高さまさまですね。


ブダペスト 17:05 *ブダペスト市内に入る

 高速道路を降りて、ブダペストの市内にはいったようで、道も渋滞してきました。

 パンノンハルマから、ブダペストまで、約130kmとのことで、トイレ休憩を入れて、2時間少しかかりました。
ゲッレールトの丘 17:15 ゲッレールトの丘 (Gellért-hegy

  予定表では、夕食後、ここゲッレールトの丘=ゲレルトの丘 (Gellért-hegy) に登り、ブダペストを一望する夜景を楽しむ筈でしたが、どうやら、予定より早く着いたので、夜景ではなく、明るい内にやってきました。

●ゲッレールトの丘の由来
 ブダ城がある王宮の丘の南側に位置する標高235mの丘。
 11世紀初半ば、ハンガリー国王イシュトヴァーン1世の王子の教育をするために、イタリアから招かれたベネディクト派の修道士:ゲッレールト=ゲレルト(ゲラルト)(Gellért)は、キリスト教の伝道もしていたが、反対する人々により、この丘から、生きたままワイン樽に詰められて、ドナウ川に投げ込まれたことに因む。(ゲッレールトは、崖から突き落とされたとの話もあります。)
ゲッレールトの丘   *ブダ側の王宮

 写真ではドナウ川の左にある、王宮です。
 ブダ側は丘陵地帯です。

 明日、この近辺を歩く予定です。


【世界遺産】「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」 に入る。

  このゲッレールトの丘も、ドナウ川右岸のブダ地区として、王宮の丘とその周辺、およびゲッレールトの丘として世界遺産の対象です。
ゲッレールトの丘   *ペスト側の街並み

 オーストリアのウィーンや、スロバキアのブラチスラヴァから来たドナウ川クルーズの船は、こちら側に停まっています。

 ペスト側は、平野が広がります。

 
ゲッレールトの丘   *自由の女神 (Szabadság -szobor)

 ゲッレールトの丘には、自由の女神=自由の像 (Szabadság -szobor) もあります。

 ドナウ川を見下ろし、高さ14m(しかし、14mにしては、高すぎる? 台座から26mとの案内もある。女神の足元から14m、台座からは26mのようです)で、第2次世界大戦後の1947年に、ハンガリーがソ連軍によりドイツから解放されたことを記念してソ連兵の慰霊碑として建てられました。しかし、その後の共産主義とソビエト連邦の横暴がひどくて、かって側にあったソ連兵の銅像などは、今は撤去されましたが、この像だけは評判が良くて残されたとのことです。その際に碑文も元の文章から、変更された。
 
*女神は何を持っているのか分からない?
  丁度逆光ですからね。
 
●それでは、デジタル・テクニックを駆使して、写真を解像してみましょう。

 女神が持っていたのは「葉」です。これはヤシの葉と旅行案内書にはありますが、どうして、ヤシの葉と女神が関連するのかと疑問を持ち、調べると月桂樹の葉とも言われているようです。
ゲッレールトの丘   *要塞の丘でもあった。

 ゲッレールトの丘には、また、ツィタデッラ=シタデラ (Citadella) と呼ばれる城塞の跡が残っています。

 これは、1848年に起きたフランスの2月革命の影響を受け、ハンガリーでも民衆の蜂起があり、統治者のハプスブルグ家が1854年に造ったものです。しかし、戦争での火器の発展で、砦の発想は当時としてもあまり役には立たなかったようです。
 現在は、展望台や博物館となっています。
 


 *このゲッレールトの丘の地下からは温泉が湧き出していて、麓には温水プールもあります。
ゲッレールトの丘   *戦いはまだ終わっていない!?

  ほっぺたの赤い男の子が的当で遊んでいました。

 

*さすがに、ブダペストを一望できる絶景ポイントで観光客も多くて、お土産の店も多く出ています。
夕食へ 17:40 *夕食へ

 ゲッレールトの丘を下り、市街に入ります。これから夕食です。
夕食 18:00 *レストラン

 まだ、まだ写真のように、現地時間の夜6時は明るいのですが、夕食です。

*ホテル・ブダペストの側にある。

 このレストランは、円形のホテル・ブダペストのすぐそばにありました。
夕食   *レストランの中

 こんな感じです。
夕食   *楽団の演奏付でした。

  映画「第三の男」のテーマ曲の演奏でも使われた民族楽器の「チター」で日本の曲「上を向いて歩こう(スキヤキ・ソング)」などが、食事中も流れます。
夕食 18:25 New
まずは、スープとサラダです。

  スープは、豆ときのこが入っていました。味は、かなり薄味です。


 *ピクルスでした。
夕食   New
メインは、ハンガリアン・グヤーシュです。

 ハンガリアン・グヤーシュは、パプリカでポークとジャガイモを煮込んだものです。

 味は? ぱっとしませんでした。 と言いながら、残すことはなく、デザートまで食べ切りますが。

    
夕食   *今日も誕生日の人がいました。

 昨日に続いて、今日もツアー参加者の中に誕生日を迎えた人がいて、阪急交通社から「爪切り」のプレゼントがありました。

  また、楽団から特別に曲の演奏もあり、誕生日と共にいい思い出となったようです。

 (ついでに、この楽団のオリジナルCDも買って(買わされて?)いましたけど。)
ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダ 19:15 *ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダ着

 華やかな楽団の演奏付の夕食を終えて、そのレストランから5分ほどの距離にある、今夜と明日も泊まるホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダに来ました。

 英語での表示は、 Merucure Buda
             41-43 kristina Kpt H-1013 Budapest Hungary です。

 泊った部屋は、134号室で、1階(日本風なら2階)のこの写真の正面で、通りに面していますが、前の小山(王宮の丘だった)が邪魔して見晴しはよくありません。

 *部屋全体としては、狭い。
  部屋に入りテレビのスイッチを入れると、テレビから、自分の名前が出ていて、驚きました。

 
 
ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダ   *ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダ

 ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダの設備としては、
 ●キー:カード式
 ●ヘヤー・ドライヤーは、付いています。
  このヘヤー・ドライヤーのコンセントは、日本と同じ電気の仕様で、電池の充電器のプラグが直接差し込めます。
 ●小型冷蔵庫はありましたが、金庫はありません。
 ●浴室:バス・タブは深いが、風呂場の付近が狭くて、この部屋では、体をふけない。
 ●スリッパ:付いていない。
 ●ロッカー:ドアの作り着けが悪くて、開け閉めが不便。
 ●水道:押すタイプと引っ張るタイプがあり、慣れるまで面倒。

 でも、ウィーンで泊まっていた、アイロ・タワー・ホテルよりは、きれいです。

ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダの近辺 20:45 *ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダの近辺

 まだ、寝るのには少し早いので、ホテルの近くを歩いてみましょう。

  泊ったホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダは、ドナウ川の方向から見るとブダ側の王宮の丘の裏側になります。

 近くには、プダペスト南駅(Déli pályaudvar)が歩いても、2,3分の距離にあります。
この南駅からは、バラトン湖などハンガリー南部への列車が発着しています。

 地下鉄2号線の駅でもあります。
 
 *買い物情報
  ホテルの隣の駅に近いビル内に、スーパー・マーケットがあります。ここで、食品も買えますよ。ただし、お金は、現地のフィリントしか使えませんので、ご注意ください。
ホテル:メルキュール・ブダペスト・ブダの近辺 21:00 *地上は寂しい。

 このプダペスト南駅の側には、大きな通りがあり、路面電車が走っていていますが、人が歩いていません。
ちょと、ぶらつくのには危険な感じがしたので、ホテルに戻ります。

*いたずら書きの多い公衆電話でした。

*お休みなさいNew
◎ 2012年 5月15日(火)は終わりです。
★第4日目は、オーストリアのウィーンを出て、スロバキアの首都:ブラチスラヴァを見物し、また国境を越えて、南のハンガリーに入り、パンノンハルマの大修道院へ寄り、東のハンガリーの首都:ブダペストに到着までです。
 
  天候も良くて、全行程、約300Kmのバスの旅でしたが、「パンノンハルマ大修道院に入れない」を除いて、無事に過ごせました。

●パンノンハルマ大修道院に入れない!
  わざわざ、パンノンハルマ大修道院しか存在しない片田舎のパンノンハルマまで足を伸ばしたのに、そのパンノンハルマ大修道院に入れず、壁の外だけしか見れないとは、まったく阪急交通社の連絡ミスの手落ちでした。
  そんな時にどう対応するのかが添乗員の腕の見せ所ですが、ここは、ツアー参加者に訳を話し、別料金でも一時的に徴収して、中にはいる方法も考えられた。

●ドナウ川の重要性
  ユーロッパの中央を巡る今回の旅も、これで、オーストリアからスロバキアを経て、ハンガリーのブダペストまで来たわけですが、中央ヨーロッパでは、ドナウ川(ダニューブ川)が経済的にも、政治的にも大きな位置を占めていることに気が付きました。
  ドイツに源流を発して、オーストリアのウィーン、スロバキアのブラチスラヴァ、そしてハンガリーのブダペストと主要な都市はすべて、このドナウ川の流域に沿って発展しているのです。
 ドナウ川は、ブダペストからクロアチア・セルビア・ルーマニア・ブルガリア・ウクライナを流れ最後には黒海へと注ぎます。
 全長 2,850mの大河です。



●ドナウ川をタイトルにした音楽
  そこで、「美しく青きドナウ」や「ドナウ川のさざなみ」のワルツ曲を思い出しました。

●通貨の問題
  ハンガリーは、ヨーロッパ連合(欧州連合。European Union=EU)には2004年に加盟したものの、EUの統一通貨である「ユーロ」は導入していません。
 ハンガリー独自の通貨として「フォリント」(1フォリント=0.37円)を使用していますので、公共の機関(鉄道など)や大手のスーパーなどでは、ユーロは使用出来ません。
  しかし、今回訪れたレストランでは、フォリントと同様にコインを含めてユーロも使えました。

●どうしてフォリントを嫌がるのか?
  海外の旅行では当然ながら、日本の円から現地の通貨に交換して買い物をするわけですが、通貨の交換で余った現地の通貨があれば、また日本の円に交換します。
  このような、円→現地通貨、現地通貨→円と交換の度に手数料を取られますし、通貨のレイトが毎日変動しますので大変に面倒です。
  さらに、現地通貨を持っていて円に交換する際でも、現地の札であれば銀行なども交換してくれますが、硬貨(コイン)は多くの場合交換の対象外となります。
  そこで、ハンガリー 1国だけでしか使えないフォリントを使わないで、ユーロで払い、小銭もユーロでもらいたがるのです。

●韓国の進出がすごい
  写真は撮っていないのですが、ウィーンだけでなく、ブダペストなどで走っている自動車も韓国製がかなりあります。また、街の中での大きな看板に韓国の有名な電機メーカーの商標が目立っていました。
  日本製の自動車も多く走っていますが、韓国の製品がかなりヨーロッパでも売れているようです。

●女神が持っていたのは、ヤシの葉か月桂樹の葉か?
  ブダペストのゲッレールトの丘には、ソ連軍を讃える、自由の女神=自由の像があるのですが、この像だけ共産主義が壊滅しても残された話は置いといても、女神が持っている葉が案内書やハンガリー観光局では「やしの葉」とか「シュロの葉」となっているのがどうも納得できません。
  私が、普通に考えるとどうしても南国の「やし」と女神が結びつかないからです。
  そこで、いろいろと調べたのですが、多くの旅行記には「やしの葉」となっていますが、これは「月桂樹の葉」の間違いではないでしょうか?

  分かる方は、私のブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/honki4982/ まで連絡ください。

●「バ」か「ヴァ」か、「ブダペスト」か「ブダペシュト」か
  旅行記だけでなく、一般でも、海外の地名や人名を書くときが大いに困ります。
  それは、地元の発音と日本語の「カタカナ」での表示の微妙な違いがあり、またこれに英語も絡むからです。
  例えば、日本語で表示している現地の発音を優先したウィーン(Wien)にしても、英語の発音では、「ウィーン」とは全然違う「ヴィエンナ(Vienna)」だし、スロバキア(Slovenska)やブラチスラヴァ(Bratislava)の「V」は、カナカナだと「バ」にするのか「ヴァ」にするのかなど、どちらを採用するかで、大変です。
  そこで、私なりの判断で、海外の地名や人名は、気が付く限り別の表記も出していますが、統一漏れがある場合にはご容赦ください。

●共産主義との決別
  第2次世界大戦後には、共産主義のソヴェエト連邦が戦勝国となったため、チェコやスロバキア、ハンガリーそして、ポーランドやルーマニアなどこの中央ヨーロッパや東ヨーロッパの諸国は、共産圏に取り込まれていて、言論の自由を奪われ、民衆は弾圧されていたという事実が、ブダペストのゲッレールトの丘のソ連兵の像を撤去した話などから、徐々に分かってきました。

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