ヨーロッパ旅行 (その2)

スペイン・ポルトガル編
スペイン国旗
ポルトガル国旗

2008年(平成20年)

 第5日目 5月12日(月 )

スペイン・ポルトガルの旅

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◎これまでの旅行地とグラナダまで

 

◎ 本 日 の 予 定
 場 所  概 要
マドリッド 朝食 ホテル: プラガのビュッフェ
ラ・マンチャ地方へ移動 ラ・マンチャ地方まで約110Km(約1時間45分)
ラ・マンチャ地方 観光 (約1時間) 風車を見物
コルドバへ移動 コルドバまで約285Km(約4時間)
コルドバ 昼食 レストランでタパス料理
観光(約2時間30分) 【世界遺産】イスラム教寺院メスキータ
花の小道
グラナダへ移動 グラナダまで約171Km(約3時間)
グラナダ 夕食 ホテル:アリサレスにてヴァイキング
洞窟フラメンコ・ショー 約1時間30分
宿泊ホテル ホテル:アリサレス

  

◎ラ・マンチャ地方  豆 知 識

*地形
中央山系
 イベリア半島南部の広大な一角を占めるカスティーヤ-ラ・マンチャ州。南メセタの準高原地帯に広がり、北はマドリッドとカスティーヤ・イ・レオン、東はアラゴン、バレンシア、南はムルシア、アンダルシア、そして西はエクストレマドゥーラの各自治州に境界を接しています。
カスティーヤ-ラ・マンチャの州土は主に二つの部分に分けることができます。一つ目はメセタと呼ばれる起伏の少ない平坦な台地です。その平坦な台地にビユ・エルカス山(Villuercas)(1,601 m)やロシガルゴ山(Rocigalgo)(1,447 m)といった山々を含むトレド山脈が起伏を与えています。もう一方は州の周辺部で台地を囲むように広がる山岳地帯で、中央山系の山塊やイベリア山脈、モレナ山脈などの周辺に広がる山々が含まれます。このほか、グレドス山脈南麓の山々、イベリア山脈から延びたクエンカ山地、モレナ山脈に向かって広がるシウダ・レアルの丘陵地帯、アルバセテ山脈の南部の山々などがカスティーヤ-ラ・マンチャの州土に見られます。またカスティーヤ-ラ・マンチャにはスペインの主要河川のいくつかが流れています。最も重要な河川に数えられるタホ川(Tajo)とグアディアナ川(Guadiana)の2河川は、州を横断して西に流れています。また第3の河川であるフーカル川(Jucar)は東に向かって流れています。またクエンカの山中には侵食により形成された奇岩地形が見られ、シウダッド・エンカンターダ (La Ciudad Encantada)、カイェホネス・デ・ラス・マハダス(Los Callejones de las Majadas)、ラス・トルカス(Las Torcas)といった場所が知られています。

*料理
 カスティーヤ-ラ・マンチャ地方の料理は内陸特有の肉類を主体にしたものです。
仔羊が喜ばれ、ローストシチュー、ソテーなど調理に工夫がなされていますが、食通には仔羊の足先き、しっぽ、舌、腎蔵などが珍重されています。狩猟が盛んな土地ですので、狩りをしてとった鳥獣類、たとえば野うさぎ、うずら、しゃこ、野鴨のような料理に特色があります。ピスト(pisto)はトマトと青瓜をベースにした野菜のいためもので、ポピュラーな家庭料理の1つです。フーカル川やセグラ川でとれる紅ますはワインに浸したハトロン紙にくるんで蒸し焼きにしたものが美味です。デザートとしては、羊の乳てつくるラ・マンチャ・チーズ(queso manchego)とトレドのアーモンド菓子マサパン(mazapan)があります。ワインはバルデペニャス、トメヨソ、マンサナレス産が食卓を賑わします。スーラ(zurra)または、クエルバ(cuerva)はワインに果物(レモンやバナナ)と炭酸水を入れた飲みものです。グアダラハラのアルカリア地方のハチミツは天下一品です。

 

訪  問  地 詳    細
ホテル:ブラガ

6:00
起床

7:00
朝食

*朝が早い。
 今日は、マドリッドから南に下る。

ラ・マンチャで風車をみて、コルドバではメスキータ寺院を見、さらに一気にグラナダまで行って、夜はフラメンコと多彩で移動が長い。

でも、ビュッフェは昨日より量を少なくしてます。(昨日の朝からゆで卵2個は食べすぎでした。反省!)

ラ・マンチャ地方へ
8:00
出発

*どうやら、雨も止みました。気温は13度と半袖では少しばかり涼しいのですが、多分これから南に行けば、気温も上がると予想し、半袖です。

*朝の通勤ラッシュはマドリッドも同じ。
 今日は月曜日で、マドリッドの郊外から市内へ向かう我々とは反対の道路は通勤の車で渋滞を起してます。

 

*スペインの乗用車
 殆どが小型車(1300cc〜1500cc)です。日本製は少なく、プジョー、アウディなどが目だっていました。因みにヨーロッパでは、軽油で動くディーゼル・エンジンが中心です。

 

*高速道路の近辺には、宣伝看板は禁止です?

 どうも、高速道路の周辺が日本と比べてスッキリしていると思ったら、宣伝の看板が禁止されているとのことだった。(でも、別の高速道路の付近では、宣伝があったけど)

 ただし、この黒い牛の看板だけは許されている。
 これは元々酒の会社の看板で今は黒く塗りつぶされているが、会社の宣伝文が入っていて、スペイン各地にあるようだ。
 当初は、これも取り外そうとしたようだけど、スペインと牛のイメージがあうので、黒く塗りつぶして、各地にのこっている。

 実際、あちらこちらの丘の上などにあります。注意してみてください。

ラ・マンチャ
9時半頃

*ラ・マンチャ地方

 マドリッドから左右は、まったく平らな感じの丘陵地帯を1時間ほど走り、どうやら遠くに小高い丘が見えて来ました。
  この間、全然、人や家畜など動いているものはいませんでした。土は赤土で、水気もなく、農作物の栽培はできない貧しい地方のようです。

9:45

*風車の丘に着きました。
 天気は快晴で、気温も24度近くになり、半袖でも暑いくらいです。

 風もなく、今は幌が張られていない風車ですが、幌がついていても、この風では風車も回らない感じです。

 

*ラ・マンチャの風車と、セルバンテスの「ドン・キホーテ」

スペインの作家:セルバンテス(Miguel de Cervantes Saavedra)は、若い頃、無敵艦隊に入り捕虜となり苦労する。1605年に小説「ドン・キホーテ」を発表するが、版権は安く生活は生涯貧しかった。

小説「ドン・キホーテ」は、スペインのラ・マンチャ地方を舞台に、 当時ヨーロッパで、はやっていた騎士道にとりつかれ、現実と小説の世界の区別が出来なくなった下級貴族のドン・キホーテが汚い馬のロシナンテに乗り、ちょっとお馬鹿なサンチョ・パンサを従えて旅をする物語。
 この中で、ドン・キホーテが風車を巨人と間違えて突進するシーンがでてくる。

*参考までに、ミュージカル、「ラ・マンチャの男」もあります。

 

  *風車も今は観光用に残されているだけで、現実にはこのような風車になっています。
10:30

*トイレ休憩

 風車の丘のふもとにある、小さな村のお土産屋さんです。

 ここに旅籠には、セルバンテスも泊ったとか。

 

 

*スペインでは、タイルが多用されています。

 タイルに絵をかいたり、道の案内をだしています。

 

 
11時頃

*次の観光地、コルドバへ向けて出発です。
  ここから、また南に約285Km,4時間程度のバスの長旅です。

*信じられないオリーブの木だけの丘、またオリーブの畑が続く!
 高速道路の左右は、きれいに植えられたオリーブの木が、山や畑の下から上まで続いています。
 でも、人家はまったくありません。川もありません。
 どうやって、これだけのオリーブを収穫するのやら。

コルドバ 

◎コルドバ(Cordoba) 豆知識

スペイン南部、アンダルシア地方の中央に位置するコルドバの礎が築かれたのは紀元前2世紀の半ば、ローマ時代のこと。哲学者セネカを輩出したことでも知られる町だ。
8世紀初めにイスラム教徒によって征服され、やがてウマイヤ朝が成立すると、コルドバはイスラム王国の首都として発展。10世紀にカリフ王朝が誕生すると、黄金時代を迎える。
当時の人口はなんと100万人。モスクの数は1600以上にもなり、バグダッドやコンスタンティノープル(現イスタンブール)と並ぶ世界の文化や芸術の中心地となり、「西方の真珠」と称された。

イスラム教の伝来とともに、コルドバには古代ギリシャやローマ時代の多くの文献が伝来した。町にはこれらを学ぶため、ヨーロッパ各地から留学生が集まり、医学や天文学など多くの学問が花開いた。宗教的にもイスラム教、ユダヤ教、キリスト教が共存し、みごとに融合しながら独特の文化を築き上げたのである。
しかし、13世紀にキリスト教徒がレコンキスタの進展で街を奪回。イスラム文化の中心は、南のグラナダへと移ったが、当時の繁栄の面影は現在の歴史地区に残るモスク(スペイン語ではメスキータ)などに見ることができる。

歴史地区の見どころの中心となっているのが、メスキータ。元々は785年にイスラム教王アブドゥル・ラフマーンによって建てられたモスク(イスラム教寺院)だ。後に3回の大規模な増築が行われ、その規模は世界第三を誇る。かつてはここで、2万5000人もの信者たちが祈りを捧げていたという。
建物の大きな特徴が、「円柱の森」とも称される内部の柱だ。高い天井を支えるため、円柱の上部が馬蹄形と半円の二層構造になったアーチを大理石の円柱が支えている。アーチは赤いレンガと白い切石を組んだ優雅な造りだ。かつて円柱は1000本以上あったが、16世紀、キリスト教徒によってそのうちの一部が取り払われカトリックの大聖堂が作られた。その様子を見た当時の国王カルロス5世は、「どこにでもあるものを造るために、どこにもないものを壊した」と嘆いたという。
負の遺産とはいえ、イスラム建築の芸術とコルドバの歴史を今に伝える重要な建物のひとつである。

その他、コルドバに唯一現存するシナゴガ(ユダヤ人教会)のあるユダヤ人街や、ローマ時代の遺構であるローマ橋、イスラム教徒時代に要塞として築かれたカラオラの塔などが残る「コルドバ歴史地区」は、1984年、ユネスコの世界文化遺産として登録された。

コルドバ
14時頃

*コルドバの市内に入って来ました。

  道路は混んでなくて、ラ・マンチャの丘から、3時間程で着きました。

 

*ローマ時代の橋

昼食
 

*とりあえず、昼食を。

*タパス料理です。サラダや、パンとおつまみ的なイカリング、マッシュルーム、ポークなど6種ほど出ました。
味はパンを除いて、まあまあです。
  

*ややバスの長旅(3時間)のせいか、食事内容が悪かったのか、皆さん食欲がない。
  ほとんどの人(他のツアーの人も)が、一緒に出された、バンを残していました。

メスキータ
14:40

*それでは、【世界遺産】 コルドバ (Cordoba) の メスキータ (Mezquita)観光の開始です.

*正式な名称は、コルドバ大聖堂(Catedral de Cordoba)。

 

*入館料:8ユーロ(約1,300円)

*メスキータ(Mezquita)とは、スペイン語でイスラム教の寺院のモスクという意味です。

*気温は24度と暖かくなって来ました。半袖シャツが正解です。朝の読みが当たりました。

 

*ここ、コルドバは、8世紀から11世紀初めまでは、イスラムの王朝が支配し、当時としては、大きくて、壮大なイスラム教の寺院(モスク)を建てました。
  その後はキリスト教国が支配し、以前のイスラム教徒が建てた教会を改築・増築して使用して来ました。

 そのため、イスラム教とキリスト教の2つの文化が融合(私は合体の言葉を選びますが)した、独特の建築物となっていることです。

*例えば、この鐘塔(高さ93m)の内部は元々イスラム教でも使用された塔で、上と幅を追加して鐘や尖端をキリスト教会風にしています。

 

 

メスキータ (Mezquita)寺院では写真撮影は、自由です。

*これが、普通のキリスト教会にはない、色使いと馬蹄形のアーチです。
 内部を支える柱やアーチも元々イスラム教会で使用していた時代の物を残したり、追加していますので、このような幻想的な構造が印象的です。

 この場所は、円柱がたくさん立ち並んでいますので、「円柱の森」と呼ばれています。(イスラム教のモスクの時には、900本ぐらいの柱があり、今でも856本が使われている。)

 

*イスラム教の時代には、開放されていた外側に壁を設け、上部にはステンド・グラスが嵌め込まれているというように、改装されています。

  *キリストの十字架も、こんな状態で見られます。
  *天井も、独特の設計となっています。
 

*新発見!? 日本人も、メスキータの改装に参加していた!?

 メスキータ内部の各柱には、建築担当者が、自分たちのサインを残しています。そして、その一覧が、奥の壁にあります。(決して、落書きではありません。念のため。)

*その中に、なんと、漢字で「山口」の名前がありました。どうやら、日本人の「山口さん」もこの時代にコルドバへ出稼ぎにきて働いていたのですね。(注:この事実は、私が現在研究中ですので、まだ公表しないでください。お願いします。)

  *内部の細工も立派です。
旧ユダヤ人街
 

【世界遺産】 旧ユダヤ人街 (La Juderia)

*メスキータをあとにして、メスキータの側にある、「旧ユダヤ人街」を散策します。 

*またまた、恐怖の細い迷路が続きます。

 

 

*花の小道(小径)

 ここでの、パンフレットに書いてある見所が、「花の小道」です。

 せまくて、大人が2人通るともう一杯という、突き当りのある路地です。
 路地の左右の建物から、花がきれいに飾られています。

  *花の小道の突き当たりは、こんな風になっています。
 

*美しい中庭(パティオ)とタイル細工の建物

  スペインの建物の中央には、パティオ (Patio 中庭) 呼ばれる花や噴水で囲まれた空間があります。
  暑い日の午後には、この日影でゆっくりとした時間を過ごしたようです。

   後で観光案内を読んでいたら、パティオのコンクールも開かれているそうです。

  *緑も豊富
  コルドバは川の側にある街で、水にも恵まれているようです。
 

*ジャカランダ (または「 ハカランダ:Jacalanda 」) の花が満開です。

 日本で言えば桜にあたる、スペインを代表する藤色の花「ジャカランダ」が、丁度1週間前ぐらいから咲き始め、街路樹としてスペインの各地で見られます。

*再び、スペイン語講座
 スペインでは、「Ja」の発音が、曖昧です。
 「ジャ」なのか、「ハ 」なのか、決まっていないようです。 

グラナダへ

16:30
 出発

 

*感動的なコルドバのメスキータを後にします。

  これから、南のグラナダまでバスでまた3時間ほど(約171Km)の長旅です。  

*道路の左右には、またまた整備されたオリーブの木々が繋がります。

17時半頃

*元駅のような場所で、トイレ休憩です。

  オリーブの集荷場だったようです。

  このあたりには、背の低いひまわりの花も咲いていました。

  高速道路ではなく、普通の道を南へ向かいます。

 

*シェラネバダ山脈が見えてきた。

 まだ山の上の方には雪があります。この山を南に向かって越えると、宿泊地:グラナダです。

ホテル:アリサレス
20時頃

*グラナダのホテル:アリサレス(Alixares)に着きました。

 このホテルは、アルハンブラ宮殿にも歩いていける距離にありました。

 

*夕食

 アリサレスのプールが望めるレストランで、ヴァイキング・スタイルの夕食です。

  写真は、昼間のイメージです。我々が着いた時には、暗くてプールもはっきりしませんでした。

*味は?
 朝から、7時間もの長いバスの旅で、この日の夕食は、余り記憶にありません。

フラメンコ・ショー
21時半
頃から

*洞窟のフラメンコ・ショーへ出発

  このスペイン旅行の1つの目玉である、フラメンコを見に行きます。
  

  狭い坂道にあるようで、ミニバスも入れないため途中から歩きです。

 

*崖を背にしたところに店の入口があります。

 中は、岩をくりぬいた洞窟を改造しています。

 

 

*フラメンコ・ショーの開始です。

 舞台も狭く、一人が踊るスペースしかありません。
 舞台の裏側もなく、出演者は、観客席から出入りします。

 観客席は、左右に3列、全部で60人ほどしか入れません。

 

  *ギターと手拍子、そして、そう掛け声(オーレ!)に合わせて踊ります。
  *迫力のある女性でした。
  *男性も踊ります。
  *足さばきにも力が入ります。
 

*フラメンコ・ショーは、4,5人を1組とした、合計2組が出ています。

  ギターを弾く人、歌を歌う人、またリズムを取る人などで、全員が踊るわけではありまん。

 各組の持ち時間は、大体30分のようです。

 1ドリンク付いています。

 約1時間ほど本場の迫力ある踊りと、リズムを堪能しました。

泊り
23時半

ホテル:アリサレス(Alixares)に戻って来ました。

*今日は、移動も多くて、また夜もフラメンコまでありで、ぼんやりしています。

2008年 5月12日は終わりです。

◎いけども、いけどもオリーブの畑に思うこと
 こんなにオリーブの木々がスペインの丘や山まできれいに植えられているとは知らなかった。
 かなり高い山でも、等間隔に植えられている。ここまでなるには、幾年もかかっている。
 また、力をもった権力者が指導し、植えさせなければ出来ない作業だ。

◎ラ・マンチャ地方 −スペインの中央高原ー は元々不毛の地
 水がない。川がない。夏は暑い(40度を超えるとか)。また気温差もある。
 土地が痩せていて、作物が育たない。そこに適したのがオリーブの木だった。

◎スペイン語を語源とする日本の言葉
 ラ・マンチャ地方は、スペイン語では、カスティーリャ・ラ・マンチャ (Castilla-La Mancha)  です。
 カスティーリャは「城、要塞」を意味し、マンチャは元々は「乾いた土地」を指すそうです。
 それは、さておき、「カスティーリャ」って何かひっかからないですか?
 そうです、お菓子の「カステラ」です。カステラの語源はここにありました。
 他にも、「パン」( pan)、「てんぷら」(tempora)、 「ズボン」(jubon)、 「カナリア」(canaria)などがスペイン語からきています。スペイン語とポルトガル語は似ていますけど。

◎ユーロのコイン(硬貨)は、各国で独自のデザイン
 20セント・ユーロや5セント・ユーロ・コインを見ていたら、様々なデザインがあることに気がつきました。
 ユーロでは、札のデザインは統一されていますが、コインは各国が独自のデザインで作っているそうです。
 デザインは違っていても、ユーロ圏では共通に使えます。

◎朝はスキーで昼から海水浴
 ラ・マンチャ地方とグラナダ地方を大きく分ける「シェラネバダ山脈」にはスキー場がたくさんあるそうです。
 5月でもまだ雪があり、スキーができます。午前中はスキーをして、午後は地中海で泳ぐこともできます。

◎イスラム教とカトリック(キリスト教)の闘いが今も続く
 コルドバにあるメスキータを見ると宗教間の闘いが時には激しく、時には友好的であったことが分かります。
 また、権力者が宗教と一体化して戦争をしてきた歴史は、いまなお続いています。

◎またまた長いバスの旅
 今日は、スペインがあるイベリア半島の中央部から地中海の側まで、半島を半分下ってきた約570Kmの旅でした。

◎フラメンコ・ショー
 日本でも、私の友人の奥さんを始めとして、多くの人が踊っています。
 歌劇「カルメン」の影響のせいか、赤い衣裳とジプシーがもつ情熱のイメージでしたが、淡々とした踊りと歌でした。
 でも、熱気はこもっていました。
 カスタネットは、使っていません。 

◎スペインの音楽
 スペインを代表とする音楽家には、ギターのロドリーゴ(Joaquin Rodrigo Vidre)がいますね。彼の「アランフエス協奏曲」は私の好きな曲の1つです。
 また、「グラナダ」というイージー・リスニングの曲もあります。
 マランド楽団 やアルフレッド・ハウゼ楽団などの「コンチネンタル・タンゴ」というジャンルも一世を風靡しました。
 ごめんなさい。歌手では、美男子として世界中の女性をとりこにした(?) フリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)を忘れていました。(私が良い男に反感を持っているわけではありませんけど)。「黒い瞳のナタリー」や「ビギン・ザ・ビギン」は日本でもヒットしましたね。

◎スペインの映画
 かなり古いところでは、「マルセリーノの歌」で有名な「汚れなき悪戯」がありますが、「海を飛ぶ夢」(2004年)監督: アレハンドロ・アメナバール、「ボルベール/帰郷」(2006年)監督:ペドロ・アルモドバルは私も観てます。良い映画でした。
  スペインを代表する男優には、アントニオ・バンデラスとハビエル・バルデムがいます。そして、女優といえば、ペネロペ・クルスです。
 ハビエル・バルデムの「ノーカントリー」(2007年)もハリウッド製作ですが、お勧めですよ。

 

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