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    第9日目 2006年8月7日(月) イタリア(2日目)  

      

   

本 日 の ス ケ ジ ュ ー ル (一日中 バス移動)

◎朝:蘇えった遺跡:ポンペイへ (ローマからバスにて約3時間30分の旅)

ポンペイ観光           
◎昼食:シーフード                           
ナポリ観光  車窓にて (ローマへ戻り)
◎夕食:スパゲティカルボーナーラ (ローマ)
◎ローマ  ホテル:フォー ポインツ シェラトン ウェスト 泊

 
訪  問  地 詳     細
ロ|マ〜ポンペイ 6時起床
6時45分朝食
昨日は夕方からのスケジュールがゆっくりしていたので、6時起床でも楽だ。
朝食は、フォー・ポインツ・シェラトン・ウエストのビュフェ形式。
他のホテルと違っているのは、ベーコンが軟骨だったこと。タマゴ(スクランブル)も美味しい。
7時30分出発
ローマからバスで、南へ250Kmのポンペイへナポリを通って向かう。
約3時間30分の乗車時間だ。
  天気は快晴。気温は25度ぐらい。陽射しがかなり眩しい
高速道路は片側3車線、感じとしてはトラックが多い。
乗用車は1、500ccぐらいまでが中心。(これも日本と同じように、小さい車ほど乗っている人数が多い?)

山並みが日本のように火山の山並み。
建物の屋根の勾配が、ドイツやスイスと比べて、穏やかです。
それだけ、雪が降らない南国です。
  また、教会も屋根が丸型です。

ドイツやフランスでは見られなかった民家で洗濯物を干している風景が、イタリアに来たという印象を深くしました。
  ポンペイ遺跡は高速道路の出入り口のすぐ側にある。
ポンペイ観光 11時着 ポンペイ(Pompei)観光

紀元79年、休火山だった「ヴエスヴィオ」が噴火して、2万人ほどいた街が火山灰や噴火物により埋もれてしまった。
  1800年代に発掘が本格化して、劇場や神殿のほかに、逃げられなかった人や当時の人々の生活が明らかになってきた。

長い間埋もれて、忘れられた存在であったので、レンガや大理石など建物だけでなく生活用品も当時の雰囲気で生々しく存在している。

馬車が通ってできた轍、道の側の水道管など「歴史が今語りかける」。
  埋もれたのは広大な地域で、この丘の上だけでも、区域を分けて、まだ発掘は続いている。
  歴史的な建物は、後世の人たちによって、変更されるが、ポンペイの遺跡は、浴場の跡や売春宿など時代によって変更されたものでは無いので、ここを歩いていると、2,000年前の人たちが、今でもそこから呼びかけてくる気分になる。

眠っていた街がまた目覚めた感覚だ。

約2時間、ここはイタリア人女性ガイドが説明してくれます。(売春宿の説明は、ありません。これは別のルートからの説明です。)

眩しい陽射しなので、サングラスもあればいいです。日傘もあるといい。
  ポンペイ遺跡の入口には、お土産屋さんのテントが一杯あり、おにいさんたちが日本語で話しかけてきます。
昼食 13時頃 昼食は、ポンペイ遺跡の近くのレストランです。
シーフードでした。
  パスタ、海老のから揚げ、イカリングとまた量が豊富。

味は? まあまあ。
ナポリ 14時30頃 ナポリ(Napoli)に来ました。

予定では、ナポリの海岸通りもバスの車窓観光でしたが、時間があり、サンタ・ルチア港に突き出た「卵城(Castel dell’Ove)」で下車して、写真を撮りました。

砂浜はありません。防波堤で日光浴をしてます。

  大理石を防波堤にしています。

地中海の海の青さとまばゆい陽射しです。

歌の「サンタ・ルチア」「帰れ、ソレントへ」などはここが題材だ。

カプリ(Capri)島」も浮かぶ。
  ナポリを見てしね!」のことわざはこの「卵城」付近から、ナポリ市街を見た景色が素晴らしかったのが由来とか。


でも、今では「江ノ島の海岸通り」「熱海の海岸通り」のイメージと言ったら言い過ぎかな?
  ウエディング・ドレスを着た新婚さんが「卵城」にいました。

ウンチク:卵城の言われ:ノルマン人がこの城を築くにあたって、基礎の中に卵を埋め込み、「卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう」と呪文をかけたことが城の名前の由来とか。
  豪華客船が一杯。

ヨーロッパのヴァカンス・シーズンで船着場には、各国の豪華客船が7,8隻も泊っています。
  18時40分 ◎夕食。

ナポリから、また3時間30分ぐらいかけて、ローマに戻って来ました。

夕食です。

このレストランは地下2階に在るのですが、地下でも屋根瓦をデザインした洒落た雰囲気です。
    今夜のメニューは、スパゲッティ・カルボナーラサルティンポッカ(牛のベーコンのせ)です。

今夜もスパゲッティと肉で量が多い。
今日は、バスに乗っていただけで、昼食から余り動いていない内に夕食で、ご婦人たちには、残す人もいました。味はよかったですよ。
    レストランのピザ職人です。

かなり陽気で、私たちが「ピザの生地を頭の上で廻して作って」といったら(ゼスチャーと日本語ですが、通じていました。)やりましたが、失敗しました。

私達のメニューには、ピザは入っていませんでしたが、添乗員さんのポケット・マネーで1枚買っていただき、熱々を一切れ頂きました。結構でした
  ホテル:フォー・ポインツ・シェラトン・エウスト 泊 (2泊目)
8月7日は終わり。

◎ポンペイ、ナポリ雑感;
  ポンペイでは今から2,000年も前に道と街並みの整備がなされ、劇場、水道、浴場など公共施設も整っていることに驚かされる。
  集合して人々が生活してきた年数が日本とは基本的に違う。
  
  ヴェスヴィオ火山が爆発しても、逃げる時間はあり、多くの人は船などで避難している。
  火山灰に覆われた死人の再現は、生きて焼かれたような印象を受けたが、元々病人や建物の下敷きになった人だった。

   すこしばかり衝撃的なので、上には載せませんでした。

 ●ナポリを見てしね(See Naples and die)。
   地中海は本当に青い海だった。
   同じイタリアでも、北のローマとは違った風土と習慣で暮らしているようだ。(陽気に?)
   もう、ナポリを見たので、死んでもいい?
   余談;日本の同じようなことわざ;「日光を見ないで、結構というな。」

 ●ナポリ民謡
   イタリアの歌は随分と日本に馴染みがある。
   「帰れソレントへ」、「サンタ・ルチア」、「フニクリ・フニクラ」など歌ったものだ。
   青い海に向かって、テノールで思いっきり歌うのも気持ちがよさそう。
 
 ●石畳の道路は乗り心地が悪い!
   ナポリにしても、ローマにしても道路が昔の石畳のままがかなりある。
   これは、見た目には風情があっていいが、バスの乗客としては、ガタガタと揺れて乗り心地が悪かった。
   自動車道路は、アスファルト舗装がいい。

 ●ヨーロッパの観光ガイドさん
   旅行会社の添乗員さんも、現地の観光ガイドさんと同じ程度の観光地の知識を持っているけど、現地ではガイドをしてはいけない規則になっているようだ。
   イギリスやフランスでは、現地在住の日本人。イタリヤのローマ観光では日本にいたことのあるイタリア人。
   ポンペイでは、少し日本語のあやしいイタリア女性でした。

 


 

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