ヴェトナムとアンコール・ワット   7日間の旅行記

2010年(平成22年)  7月 8日(木) 第1日目 

成田(日本)からヴェトナムのハノイ、ハロン湾へ
 

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成田からハノイ(ヴェトナム)へ

 

●ヴェトナム基本情報
ヴェトナム社会主義共和国、通称ヴェトナムは、東アジア・東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和制国家。国土は南北に長く、北で中華人民共和国と、西でラオス、カンボジアと国境を接し、東は南シナ海に面し、フィリピンと対する。首都はハノイ。
国名 ヴェトナム社会主義共和国 (Socialist Republic of Viet Nam)
面積 32万9,241ukm(日本の0.9倍)
人口 約8,579万人(2009年4月1日時点)
首都 ハノイ
民族 キン族(越人)約86%、他に53の少数民族
言語 ヴェトナム語
宗教 仏教(主に大乗仏教80%)、カトリック、カオダイ教他
略史 1884年    ヴェトナムがフランスの保護国となる
1940年9月 日本軍の北部仏印進駐(1941年南部仏印進駐)
1945年9月2日 ヴェトナム共産党ホーチミン主席、「ヴェトナム民主共和国」独立宣言
1946年12月  フランスとの(第一次)インドシナ戦争始まる。
1949年     フランスはサイゴンにバオダイを復位させ、ヴェトナム国として独立を認める。中国、ソ連は、ベトナム民主共和国を承認
1962年2月   アメリカはサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入、ヴェトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まる。
1965年2月   アメリカ軍による北爆開始
1973年1月   パリ和平協定、アメリカ軍の撤退
1975年4月30日 北ヴェトナムと解放戦線は春の大攻勢を行い、南ヴェトナムのズオン・バン・ミン大統領は全面降伏、サイゴンは陥落、ヴェトナム共和国崩壊。南ヴェトナム共和国の名の下に北ヴェトナムが実権を掌握。ヴェトナム戦争終結。
1976年7月2日 ヴェトナム民主共和国をヴェトナム社会主義共和国に改名。
1978年12月  カンボジア侵攻を開始(第三次インドシナ戦争の始まり)。
1986年     第6回党大会においてドイモイ(刷新)政策が打ち出される
1991年10月  カンボジア和平パリ協定
主要産業 農林水産業、鉱業、軽工業
コーヒーの生産は、ブラジルに次ぎ世界第二位。多くはロブスタ種。
石炭は北部のハロンから産出する露天掘りの上質な無煙炭。
石油も輸出している。
通貨 ヴェトナム ドン(VND) 1,000ドン=4.9円、ただし、アメリカのドルが通用しています。
時差 日本より マイナス2時間
気候 南北に長いため北部(ハノイ)と南部(ホーチミン)とでは違う。
北部は四季がある。7月は雨季。ハノイで最高33度(C)程度。湿度は高い。
南部は年間を通じて暑い。7月は雨季。ホーチミンで最高32度(C)程度。時々スコールがある。湿度が高いのはハノイと同じ。

 

◎ 本 日 の 予 定
 場 所  概 要
成田(日本) 発 11:00 空路、ハノイへ(約5時間20分のフライト)
ハノイ(ヴェトナム) 着 (16:20)
14:20 

現地時間(日本よりマイナス2時間)
ハノイ 発  15:10 バスでハロン湾へ
約200Km(約3時間20分) 
ハロン湾 着 18:30
夕食 19:00 ホテル:サイゴン・ハロン・ホテル 14階にて
ヴェトナム料理
宿泊 ホテル:サイゴン・ハロン・ホテル

 

訪  問  地 詳    細
成田

ハノイ
9:00
集合






9:20
再集合

*成田国際空港 第2旅客ターミナルビル3階
  北団体カウンター 5番〜9番 阪急交通社 受付カウンター
  ここで、航空券を貰い、乗るヴェトナム航空のカウンターに荷物を持っていき、荷物を預け、搭乗券をもらいます。

  ちなみに、窓際の席を希望する時は、WINDOW SEAT(ウインドウ・シート)といいます。
  なお、通路側を希望するなら、AISLE SEAT(アイル・シート)といいます。

  この搭乗券のリクエストで、空いている場所とか、窓側とか通路側とか希望があればします。(混んでいれば、聞いてもらえませんが。)


*今回の参加者は、18人+添乗員の合計 19名の旅です。
  単独参加は2名で、若い女性の組もいましたが、夫婦での参加者が殆どです。

 

9:30
出国へ 
*手荷物・身体検査
  全身が透けて見える検査方法も試験的にやっているとのことでしたが、今回はゲート式です。

  おかしな物は、ピーと音がして、再検査です。

*出国審査(Immigration)
  まだ朝が早いせいか、出国審査のカウンターにも我々のグループだけで、身元が確かで犯罪にも関係していない私は、問題なく(?)パスです。
  *搭乗ゲート

  成田第2ターミナル、ゲート85から飛行機は出ます。
  そこで、シャトル電車に乗って行きます。
  乗るといっても、1分程度の近さですが。
11:00
成田 発 
*乗ったのは、ヴェトナム航空 VN-955 便です。

  この機種は、AIRBUS社のA330−200です。
  機内の座席の構成は、当然エコノミーですが、左右の窓際に2座席ごと、中央に4座席があります。
  1列に6座席があります。

  私の席番号は、34Aで、翼の後ろの窓際です。
  この便は比較的にすいていて、私の隣も通路側も空席です。ラッキー!!
  *千葉県の成田上空です。

  下は、ゴルフ場です。
  房総半島は、上から見るとゴルフ場だらけです。

  飛行ルートは、伊豆半島をかすめ、瀬戸内海、中国大陸では上海の上空など内陸寄りから、ヴェトナムはハノイに向かいます。

  高度は、1万メーター、速度は、時速1千キロメーターとは、何回ジェット機に乗っても、この速度には驚かされます。

*座席のモニターが壊れている!
 各座席の前には、モニターがついていて、映画とか飛行状況などが普通なら観られるのですが、私の近辺の座席ではこのモニターを観ている人がいません。
 そこで、私は、そういったサービスがない飛行機なのだと思っていたら、トイレに立つ際に、他の席をみると、映画を観ている人もいます。

 そうです。私の座席の近辺のモニターが壊れていたのです。それも、かなりの数で壊れています。

 JALなら、モニターの故障を放置しているなんてありえません。
 ヴェトナム航空は、さすがに航空運賃が安い訳です。
12:15頃 *機内食
  メインの食事が出る前にも、一応飛行機が安定した、11:45頃に、飲み物とあられが出ています。

 機内食には、ひじき・トンカツ等の和食とエビのサラダ・肉等の洋食がありどちらかを選べます。
  私は、洋食を食べました。

  味は?
  ケーキは美味しかった。
15:45頃 *飛行機も減速して、ハノイが近くなりました。

 13:45頃には、中国の上海、14:55には、香港の上空などを通り、ヴェトナムに入って来ました。

 途中大きな揺れもなく、乗り物に弱い私でも、酔わずにしっかりとしています。
 
 緑の濃い大地が広がります。
 ハノイ近郊には、大きな濁った河が見えました。
ハノイ 16:20
ハノイ 着
(日本時間)

現地時間
14:20
*ヴェトナムは、ハノイ国際空港に来ました。

 といっても、日本の成田や羽田ほど飛行機も停まっていません。

 管制塔やビルなど空港の設備も質素で全体的にローカルな感じの空港です。

 日本の成田から、約5時間20分で、ハノイに到着です。

 到着の16:20は日本時間です。
 ヴェトナムと日本との時差は、マイナス2時間、つまり現地、ヴェトナムでは、14:20となります。
 これからの時間表示は、現地時間です。
  *ヴェトナムへ入国
 特に容姿に問題のない私は、入国の審査も、簡単に済んで、無事ヴェトナムへ入国出来ました。

 ヴェトナムへの滞在が、到着 2010年7月8日で、2010年7月23日まで許されます。
  *ヴェトナム空港での第一声は?
 「暑い!」です。
 確かに日本より湿度も高いようです。

 ヴェトナムは、元フランス領でした。
 そこで、トイレも下が空いている形式です。
 
ハロン湾へ 15:10
ハノイ 発
*ハロン湾へ
 これから、ハノイから東へ約200Km先の、景勝地ハロン湾へ向かいます。

 飛行機から我々グループの荷物が出てくるのが、一番最後で空港を出るのにかなり時間がかかっています。

 バスは、エアコンの効いた一列が3席。左側に2席、右は1席というゆったりとしたつくりで、今日の宿泊地、ハロン湾へ向かいます。

 ヴェトナムの道路は、元フランス領だったため、フランスと同じで、日本と違う右側通行です。

 今日の元々の予定としては、ハノイからハロン湾へ向かう途中で、陶器の村:バッチャンへ立ち寄るコースでしたが、空港を出るのに時間がかかったので、バッチャンへの立ち寄りは、3日目に変更されました。

  *家に窓がない!
  間口が狭い2階建、3階建ての民家があるのですが、道路に面している玄関や2階のテラスは一見豪華な造りです。

  しかし、窓がありません!
  ガイドさんの話では、確かに風が入らず暑いとのことですが、ヴェトナム様式の建て方です。
    *田んぼばかりだ!
 ハノイ近辺は、紅河のデルタ地帯に発展した地域でどこまで行っても平です。

 この地帯では、米作が盛んで、春夏稲と夏秋稲で刈り入れりをする、年二期作が可能です。

*田に人が多い!
 7月は丁度、田植えのシーズンで、田んぼには、多くの人が出て田植えや水引の作業をしています。

 日本なら、こんなに人はいなくて、田植え機や耕作機でやっていますが、ここヴェトナムでは、まだまだ人手と牛が中心です。
  *埋め立てた工業団地には、日本企業もかなり進出している

  米作だけに頼ることなく、デルタ地帯を埋め立てて、韓国や日本の企業を誘致しています。
  写真は、キャノンの工場です。

*道路に信号が殆どない!
  舗装はされた道路ですが、交差点でも信号機がありません。

  街の中では、向かい側に渡るのもまったく大変なことです。
17時頃 *トイレ休憩の民芸店にて
 民芸店では、多くの若い人が刺繍をして、作品を売っています。

 ハロン湾を題材にしたきれいな刺繍品がかなりあります。
*刺繍のされたアオザイです。
 他にも、 
   *ハロンは、炭鉱でも有名
 昔から露天掘りで、無煙炭を産出しており、また、石灰もとれます。

*道路の側では、パイナップルやバナナ、ヤシの実などを個人で売っている光景がみられます。
ハロン湾 18:30
ハロン湾 着
*ホテル:サイゴン・ハロン・ホテルに到着しました。
 ハノイから約3時間20分かかっています。

 もう、夜の6時では、ホテルの周りは暗くて、写真は、翌朝撮ったものです。
夕食 19:00 *サイゴン・ハロン・ホテル 
 14階の展望レストランで夕食です。

 料理は、ヴェトナム料理とのことで、チャーハンの他にちんげん菜?やタコ、貝等が入った鍋料理です。

  *エビやいため物も出ます。
  
  味は?
  米は、正しく外米ですが、これはぱさぱさしていますので、チャーハンには合っています。

  他の味付けは、素朴な中華料理って感じです。
お休み   *お休み

 泊ったのは、サイゴン・ハロン・ホテルの1003号室です。

 この部屋が豪華でした!
 14階建の10階にその室はあり、当然、海側に面し、ヴェランダからハロン湾が一望できます。

 1003号室は2部屋で構成され、ドアを開けると、食事用テーブルと応接セット。そして、トイレと洗面室があり、テレビが付いています。
   次の部屋が、寝室用で大きなダブルベッドと、洗面所と浴室。シャワールームは浴室の隣に別に付いています。トイレも別構成です。
 ここにも、テレビはあります。

 そう、俗にいうスイート・ルームだったのです。

 広々とした部屋で、ゆったりと寝ました!
◎ 2010年7月8日(木)は終わりです。
★ヴェトナムへやって来ました!
 

 南北ヴェトナム戦争に関する映像で見てきたのは、資本主義国であった南ヴェトナムの首都サイゴン(今のホーチミン)を中心にした、南ヴェトナムであって、共産主義の北ヴェトナムのことはあまり知りませんでした。
 今回初めて訪れた北ヴェトナムの首都であるハノイが、紅河のデルタ地帯にあり、広大な平野の中にあることは、おぼろげには分かっていましたが、こんなに田んぼが続くデルタとは想像を超えています。
 簡単に水が引けて、年2期で米がとれては、日本の米農業はいくら美味くても勝てません。

*建設中の家がやたら多い!
  ハノイから東のハロン湾へ向かう道路の両側に間口の狭い、下がお店や普通の民家が建っているのですが、これらが2、3階建てでレンガ造りなのですが、どこでも、建てかけ中なのがやたら目につきます。
  ヴェトナムの経済が良くなってきている証拠でしょうか?
 それとも、だらだらと時間をかけて効率の悪い作業をしているだけなのでしょうか?

*ホテルの部屋が超豪華です!
  今まで、旅行代を惜しむ平凡な海外旅行をしてきて、ホテルの部屋はただ寝られればいいと思っていましたが、このサイゴン・ハロン・ホテルでは、豪華なスイート・ルームを用意してくれていました。
 でも、ここまでしなくてもいいと思った私は、結局、貧乏人根性なのでしょうか?

*掛け言葉を一つ
  掛け言葉がはやっていますので、ひとつ考えてみました。

  「ヴェトナム旅行とかけて」
  「年頃の子どもを持つ親と解きます」
  「そのこころは?」
  「どちらも、飛行機(非行期)が気になります」

  お粗末でした。おやすみなさい。
 

 

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