ヨーロッパ旅行 (その2)

スペイン・ポルトガル編
スペイン国旗
ポルトガル国旗

2008年(平成20年)

 5月8日(木)〜5月17日(土)まで

スペイン・ポルトガルの旅

10日間の旅のまとめ

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 * スペイン・ポルトガル の 10日間の旅を振り返って
  ◎やっばり、「百聞は一見にしかず」だった。
    平凡だけど、この一言はどこを見物しても真理を表している。
  これだけ、テレビ・映画など映像での情報提供機関が発展し、知っているつもりのスペイン・ポルトガルであったが、どこまでも続くオリーブ畑を筆頭に自分の眼で見て、自分の肌で気温を感じ、味を自分の舌で確認することは、いかなる情報手段でも出来ないことである。

  こんな年齢になってから経験するのではなく、もっと若いうちに世界を旅すれば、また違った自分が成長していた? 

*現地での風景を眼にすることによって、また疑問が生じる。
 そう、山の上まで続くオリーブ畑があるなら、それを植えさせたのは、誰か。
 権力者がこの不毛の地をどのようにして開墾してきたのか。
 オリーブの実が実った時の収穫方法と、タイミングはどうなのか。人手はどこから集めるのか。
 不作になった時の影響は、どうなるのか。
 
 様々な問いが生まれてくる。
  ◎大陸の終わりは、旅の終わり? −ヨーロッパを制覇した−
   2006年の「イギリスからイタリア」までの旅も、有名な観光地を強行に乗物で回る「点と線」の旅であったが、今回の「スペイン・ポルトガル」もほぼ似たような内容であった。

  まあ、それは旅行会社のスケジュールを読んだ時に、分かっていたことであるけど。
  でも、前回は、その国の1点だけの観光であったが、今回は、少しはスペインの内部に入っている気がする。

  このスペインとポルトガル、また前回のヨーロッパの旅とを合わせて、ヨーロッパと言われている国々が持っている、表面だけかも知れないが、雰囲気は掴めた。

*現地の人々に会っていない!
  いつも、我々ツアーの塊だけで動いているので、まったく地元の人と会話をしていない。
  記憶にあるのは、レストランのウエイターとお土産屋さんの店員だけです。特に若い人とは全然話していません。

*これで、ユーラシア大陸は、東からドイツ・フランス・スペイン・ポルトガルと来て最西端のロカ岬まで訪問したわけで、ロカ岬に立った時には、私もヨーロッパを制覇した気分で感慨がひとしおであった。
  まさしく「ここで、大地が終わり、あとは、海に落ち込む」断崖であった。気分も少しばかり、落ち込んでいます。
   ◎雨が多かった。
   10日間の内、移動日を除くと、実質観光は7日間で、その内、3日が雨だったわけで、ちょとばかり残念。

 それも、観光初日のバルセロナと締めくくりのロカ岬が雨だったので、雨が多かったと印象に残る。

 写真も雨では、きれいに撮れてなく、ホーム・ページに載せるのを選ぶのに苦労してます。
  ◎イスラム教とキリスト教(カトリック)の戦いは続いている。
   スペインを旅して、歴史上からもよく出てくるのが、以前はイスラム教に支配されていたイベリア半島を、キリスト教国が奪いとった戦いの歴史である。

  西暦718年から1492年にグラナダを落とすまでなんと、700年以上もかけて、レコンキスタ(再征服運動 Reconquista)と呼ばれる戦いが続いていたわけで、このイスラム教とキリスト教の戦いは一応、表面的にはイベリア半島からイスラム教徒がいなくなっているが、それは見せかけで、依然としてスペインにもイスラム教徒はいる。
  また、今日でもご存知のように、イスラムがテロ行為と言われるが、キリスト教と闘っている。

 時の権力者が、宗教の力を借りたのか、宗教家が権力者を利用したのか。
「眼には目を。歯には歯を」ではいつまたっても争いは終わらないことを、人類は学ぶべきだ。
  ◎ユダヤ人を追い出すとその国は衰えていく
  ヨーロッパ大陸では、大きな宗教戦争までには至っていないが、ドイツにおけるように、自国民族とユダヤ人の対立もある。
 それは、スペインでも同様で、国内統一の1つのやり方として、ユダヤ人を度々迫害していた歴史もあるようだ。

 ユダヤ人の特徴として商売上手があげられるが、世界の海を制覇していたスペインやポルトガルが衰えていったのは、商売の上手いユダヤ人を追い出してしまったことも一因のようだ。

 たとえば、スペインの繁華街であったセビージャを追われたユダヤ人の多くはイギリスに渡り、イギリスの繁栄に繋がり、第二次世界大戦では、多くのユダヤ人がアメリカ合衆国に逃れ、それがアメリカの繁栄をもたらしている。
   ◎戦国時代の日本とスペイン・ポルトガルの関係 
   日本の戦国時代(織田信長が本能寺で殺されるころ)には、まだキリスト教は禁止されておらず、日本にきた宣教師によって計画された「天正の遣欧少年使節」は、今回のスペインとポルトガルの旅で得た興味深い話だった。

 ポルトガルのリスボンに上陸した、地球の東の果ての日本からきた少年たちは「日本の王子」としてもてなしを受け、その後スペインからイタリアはローマまで旅をして、また、苦労の船旅を続け、日本に戻ることができたわけだが、戻ってみれば、秀吉によってキリスト教は禁止され、少年たちには過酷な後年がまっていた。

 何も知らない、13,4才の少年たちが大人たちの思惑と、政治に巻き込まれていった切ない人生がそこにはある。
  ◎海外で迷子は多い?
  今回の「スペイン・ポルトガルの旅」での特筆(?)は、バルセロナで迷子になったことです。
何と見物の初日にツアーから外れるとは、自分でも「こんなこともあるんだ」とまるで人ごとのような思い出です。

 すでに何度も海外旅行を経験し、ツアーから少しばかり外れて自分なりの写真を撮ったりしてきた私も、ヨーロッパの要塞都市の迷路造りに嵌った訳です。
 知らない内に、まったく別の場所に行ってしまうこの小路の細工には他の民族からの侵入を恐れてきた歴史を、今はしみじみと感じています。

◎友人もアメリカはグランド・キャニオン(大峡谷)で遭難していた!

  私が迷子になった話を友人にしたところ、友人も実は私も迷子というよりは「遭難」しかかったと話してくれました。
それは、友人が恥ずかしいので今まで誰にも、家族にも話していない話で、グランド・キャニオンの夕暮れを撮っている内に、仲間が居なくなり、近所を歩き回っていると日が暮れて,辺りは真っ暗。動くこともできず、途方にくれていたら、そこへバイクに乗った若者が現れてどうにか、ツアーへ戻れたとのことです。
 同行の人々は、もう崖から落ちたと思い、明朝からの救助隊が手配されていたそうです。

 旅行会社の人も、ツアー参加の皆さんも、あまりいい思い出ではないので、隠しているようですが、こんな話はかなりありそうです。
   ◎教会の見物はあきた。
 旅行の見所が、世界遺産である教会(カテドラル)が多く入っているのが、普通のツアーであり、今回の「スペイン・ポルトガル」でも、クエンカのカテドラル、トレドのカテドラル、セビージャのカテドラルなどを見たが、こんなに教会を見せられては、食傷気味だ。

  確かに、すごい造りときれいな装飾があるが、薄暗い礼拝堂では、それもはっきりしない。
 
  キリスト教徒でない私には、単に芸術的な興味しかないが、光もおぼつかない建物の中では、観賞ができない。

*次の希望としては、観光内容に、世界遺産と古びた街並み以外の、もっと動いているものを求めています。
   ◎フラメンコ・ショーとファド・ショー
*動きのあるものとしては、スペインのフラメンコとポルトガルではファドをみたが、共に物足りない。

 それは、出演者が、観客を魅了できなかったせいだ。

 この歳になると、激しい踊りも静かな踊りも知っているし、クラシックからポピュラー、民謡まで音楽も幅広く知っている。
 この程度の演者では納得できない私でした。
   ◎予定の飛行機が遅れたらそれは、大変だ!
   帰りのポルトガルのリスボンからイギリスのロンドンへの飛行機が3時間以上も大幅に遅れた。
  今までの海外旅行でもこんなに遅れるのは初めての経験でした。
  私は、別に遅れても、特に明日からの予定も入れていませんから、日本に帰れればいいのですが、次の乗り継ぎ便に全員乗れるようにする手配は大変でした。
  今回は、たまたま、次の近い便に全員乗れることができましたが、空席がないと、便が分かれる、また、日本への直行便がないと、シンガポールなどの経由になる、添乗員が同行なしになる、などのトラブルが過去に起きています。
 特に添乗員不在での、海外での飛行機の乗り継ぎが発生した、英語に弱いツアー客は、楽しみが悲惨なものなっているようです。
  ◎ホテルについて
*ポルトガルの「コリンシア リスボア ホテル」はいいホテルだ。
  度々の海外旅行でも、大抵のホテルはもう殆ど1泊だけで、次の日には別のホテルに移動するのが常で、壁の薄さや、広さなどは我慢してますが、ポルトガルのリスボンで泊まった「コリンシア リスボア ホテル」はお勧めです。

  ゆったりとした部屋とバスルームなど快適です。

  朝食のビュツフェも品数が豊富で、朝から超満腹となります。
  ◎デジカメ用の電池はどうした? −各国対応のプラグがある−
  今回のスペイン・ポルトガルの旅では、写真を700枚近く撮っています。
 そこで、電池はどうしたかを載せます。

  前回の、ヨーロッパ旅行では、デジカメ用の乾電池を16本も用意していましたが、途中で全部使い切り、充電器を同行の人から借りて、どうにか凌いでいました。
 そこで、今回は、ヨーロッパ各国対応のプラグを購入(¥1,940)し、乾電池は充電式を購入して対応しました。
 
 寝ている間に充電をし、翌日に備えています。

 しかし、途中で電池が無くなることもありますので、必ず、予備の電池も携帯してください。
   ◎スペインの太陽海岸(Costa del Sol)は移住に適さない
 
  今回訪問した、地中海に面した町 ミハス(Mijas)を始めとする、太陽海岸は、15,6年前から日本のリタイヤーした人々の海外移住地として紹介されていた場所です。

  しかし、行ってみると、暑い所でした。

  また、ここ10年ほどのうちに、海外の金持ちが別荘を構えて、住居費などの物価も随分と上がっています。

  もう、年金で暮らすのは無理なようです。
◎これで、全部終わりです。

  長らく、読んでいただき、ありがとうございます。
  私の旅日記が、皆様の一助になれば幸いです。

  感想などがございましたら、掲示板をご利用ください。お待ちしています。
  (2008年8月2日)

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