スリランカとインド 9日間の旅行記
期間: 2014年(平成26年) 4月13日(日) 〜 4月21日(月)
第6日目: 2014年(平成26年) 4月18日(金)
インド の ジャイプール市内観光 へ
デリー から ジャイプール へ |
◎ 本 日 の ス ケ ジ ュ ール | ||
場 所 | 概 要 | |
起床 | 05:45 | *デリーのホテル:アショカ・カントリー・リゾート |
朝食 | 06:30 | デリーのホテル:アショカ・カントリー・リゾート のビュッフェ |
ホテル 発 | 07:20 | *陸路にて≪ジャイプールへ(約260km、約6時間)≫ 途中、【世界遺産】≪クトゥブ・ミナール観光≫が予定されていたが、交通渋滞を考えて、これは、4月20日に変更になる。) |
昼食 | 13:30 | インド・カレー料理 |
レストラン 発 | 14:10 | *アンベール城 へ |
アンベール城 着 | 14:20 | 【世界遺産】アンベール城観光 |
アンベール城 観光 (約1時間) |
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アンベール城 発 | 15:30 | *ジャイプール市内へ |
ジャイプール 着 | 16:00 | ≪ジャイプール市内観光≫ シティ・パレス 【世界遺産】ジャンタルマンタル(天文台) (「風の宮殿」も予定されていたが、明日(4月19日)になる) |
ジャイプール市内観光 (約1時間) |
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シティ・パレス 発 | 17:15 | *ホテル へ 途中、染物屋へ寄る。 |
ホテル 着 | 18:40 | *ジャイプールのホテル:クラークス・アメール |
夕食 | 19:30 | ジャイプールのホテル:クラークス・アメール で インターナショナル・ビユッフエ |
宿泊 | ジャイプールのホテル:クラークス・アメール |
◎インドの基本情報 | |||||||||||||||||||||||||
*正式国名:インド共和国(英語表示: Republic of India) ●人口は約12億人と多い。また多様な民族と言語、宗教がある、本当に混沌とした国。 ヒンドゥー教に基づく身分制度(カースト制度)はまだ残っていて、貧困も深刻な問題の国。 最近は、英語を活かしたIT産業も活発になってきた。 映画の製作件数も多い。
●略史 大きな国土を有する国なので、詳細に述べるのは、やめにして、今回訪問したインドの北部を中心に概要だけです。 紀元前2600年頃のインダス川流域に栄えたインダス文明にまで遡るのは省略して、インドの北部は、西暦1世紀頃から中国とヨーロッパを結ぶ貿易で栄えた。 4世紀から5世紀には、グプタ朝によって、ヒンドゥー教が確立され、仏教も大きく勢力を伸ばす。 6世紀からは分裂の時代で、13世紀にデリーが奴隷王朝の都となり、これから約300年デリーが中心となる。また、イスラム教も普及しだす。 16世紀中央アジアからモンゴル(ティムール)の血を引くバーブルが北インドに攻め入り、1526年、デリーにムガル帝国を樹立した。 ムガル帝国2代目のフマユーンを経て、3代目のアクバル皇帝は領土を拡大し、都をデリーの南のアグラに移した。 ムガル帝国5代目で、タージ・マハルを建築したことでも知られるシャー・ジャハーンの時代(1628年〜1657年)に帝国はもっとも繁栄し、また都は、アグラからデリーに戻された。 17世紀に入ると、ムガル帝国内でも反乱が多くなり、イギリス・オランダ戦争で勝利を得たイギリスがインドでも勢力を伸ばしてきた。 そして、1858年、イギリス軍に鎮圧されてムガル帝国は壊滅し、インドはイギリスの殖民地となった。 第1次世界大戦後、マハトマ・ガンディーが表われ、彼は、ネルーと共にイギリスから独立を求める民族運動の指導者となり、第2次世界大戦の1947年インドは、独立しインド連邦が誕生した。 しかし、インド国内では、イスラム教を中心とするパキスタンが独立を求め、ガンディーは暗殺される。インドとパキスタンとの紛争は、現在も続いている。 また、中華人民共和国が核武装したことに対抗して、インドも核を保有している。 政治的な混乱はあるが、21世紀に入るとIT技術を中心にした経済の発展は目覚しい。 ●世界遺産:29ヶ所 *文化遺産:29ヵ所 アジャンター石窟群 - (1983年)、エローラ石窟群 - (1983年)、アーグラ城塞 - (1983年)、タージ・マハル - (1983年)、コナーラクのスーリヤ寺院 - (1984年)、マハーバリプラムの建造物群 - (1984年)、ゴアの教会群と修道院群 - (1986年)、カジュラーホーの建造物群 - (1986年)、ハンピの建造物群 - (1986年)、ファテープル・シークリー - (1986年)、パッタダカルの建造物群 - (1987年)、エレファンタ石窟群 - (1987年)、大チョーラ朝寺院群 - (1987年、2004年拡張)、サーンチーの仏教建造物群 - (1989年)、デリーのフマーユーン廟 - (1993年)、デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群 - (1993年)、インドの山岳鉄道群 -(1999年、2005年)、ブッダガヤの大菩提寺 -(2002年)、ビンベットカの岩陰遺跡群 -(2003年)、チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧ヴィクトリア・ターミナス駅) -(2004年)、チャンパネール=パーヴァガドゥ遺跡公園 -(2004年)、赤い城(レッド・フォート)の建造物群 - (2007年)、ジャイプルのジャンタル・マンタル - (2010年、文化遺産)、アンベール城 - (2013年)、チットールガル砦- (2013年)、ガングロ・ フォート- (2013年)、ジャイサルメール城- (2013年) 、クンバルガル- (2013年)、ランタンボール城塞- (2013年) *自然遺産:6ヶ所 カジランガ(カージランガー)国立公園 - (1985年)、マナス(マーナス)野生生物保護区 - (1985年)、ケオラデオ(ケーオラーデーオ)国立公園 - (1985年)、スンダルバンス国立公園 - (1987年)、ナンダ・デヴィ(ナンダー・デーヴィー)国立公園及び花の谷国立公園 - (1988年、2005年拡張)、西ガーツ山脈 - (2012年) 太字は、今回訪問した世界遺産。 |
訪 問 地 | 詳 細 | ||
アショカ・カントリー・リゾート | 05:45 | 起床 スリランカからインドへ到着した昨日(4月17日)の夕方にチェック・インした、デリーのホテル:アショカ・カントリー・リゾート、2階216号室の朝です。 *朝方には、かなりの雨が降っていましたが、やんだようです。 *蚊がいた! 朝の2,3時ごろ、蚊に刺されて眼がさめました。 かなり蒸すので、クーラーを入れました。 *猫の鳴き声(?)で眼を覚ます? 窓の外で、ミャー、ミャーという鳴き声で眼が覚めました。 後で、現地のガイドに聞くと、このミャー、ミャーという鳴き声は、孔雀の鳴き声でした。 |
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アショカ・カントリー・リゾート | ホテル | *ホテル:アショカ・カントリー・リゾート ホテル:アショカ・カントリー・リゾートの側には、広い道路がないのですが、朝から(昨夜も)、車のクラクションの音がしています。 *今まで宿泊したホテルには、プールが付いていますが、たいてい、到着が夜遅くて、プールには入ったことが無い。 |
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朝食 |
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06:30 | 朝食 デリーのホテル:アショカ・カントリー・リゾート のビュッフェ形式の朝食です。 *いつもの朝にしては、量が少ない? 別に、気分が悪いわけではありません。 この、ホテル:アショカ・カントリー・リゾートのメニューが少なく、選べなかっただけです。 ジュースもマンゴーだけでした。 |
ジャイプール へ |
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07:20 | デリーのホテル:アショカ・カントリー・リゾート 発 今日の予定は、デリーから南西にあるをジャイプールを目指します。 デリーからジャイプールまでの距離は、約260kmで約6時間を予定しています。 途中、【世界遺産】≪クトゥブ・ミナール観光≫が予定されていましたが、交通渋滞を考えて、クトゥブ・ミナール観光は、インドでの最終日の4月20日に変更になりました。 また、予定では、7:30にホテルを出ることになっていましたが、これも10分早まりました。 *バス 利用していますバスは、昨夜デリーに着いた時から乗っている、前の運転席と乗客席との間に仕切りがある、外観はきれいですが、座席も狭くてまた古くて、乗り心地の悪いバスです。 |
ジャイプール へ |
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07:24 | *雨は上がったが、半袖で。 朝がた降っていた雨は上がっていますが、天気は曇りです。 暑い国:インドということで、今日は半袖を着ています。 気温は、ホテルからすぐ冷房の効いたバスに乗り込んでいるので、分かりませんが、半袖で寒くはありません。 道路は、すぐに、ジャイプールへの幹線道路に入ります。 道幅は広いのですが、日本のように全部がきれいに舗装されていません。 高速道路の料金は取られません。 |
ジャイプール へ |
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07:25 | *通行税を取られる インドでは、多くの州があり、その州境を超える際には、旅行客と物品には税が課せられています。 さっそく、私たちのバスは、デリーから隣のハリヤーナー州(Haryama州)に入り、運転手さんが書類を持って、道路脇にある税の徴収所へ行っていました。 *でも、徴収する人も、道を厳重に見張っている訳でもなく、これでは、税を払わない車もいるようですが。 |
ジャイプール へ | 07:39 | *道路に水が溜まる。 道が汚い! *道はかなり広いのですが、朝方降った雨が、道路のあちらこちらに溜まっています。 そして、道には生ゴミなどが多く捨てられています。 それを野放しの牛が食べています。 汚い街です。 |
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ジャイプール へ |
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08:55 | *強引な車の割り込み *この混沌とした国:インドでは、とにかく自分の車を他の車の前に走らせることが、運転免許証取得の条件のようです。 少しでも空いていると、うるさくクラクションを鳴らして、割り込んできます。 まったく教育が行き届いてない、酷い発想です。 |
ジャイプール へ | 09:43 | *また、通行税の徴収 デリーからハリヤーナー州(Haryama州)を抜け、次の州は、ジャイプールのあるラージャスターン州(Rajasthan)に入ってきたようです。 そこで、また、通行税を払います。 税を徴収する建物もこんなみすぼらしい小屋でした。 税は観光バスと大型トラックが対象のようです。 |
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ジャイプール へ | 10:10 | *トイレ休憩 New Ganpati Resort 丁度、デリーと今日の目的地のジャイプールとの中間地点にあるらしい場所で宿泊施設もあるお土産さんで、トイレ休憩です。 デリーからここまでは、130Km、ジャイプールまでは、あと135Kmとのことです。 デリーからここまで、約2時間かかっています。 通ってきた道の左右は平地が続いていました。 |
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ジャイプール へ | *トイレ休憩 New Ganpati Resort トイレ休憩をしたNew Ganpati Resortは、庭も広くて、リスや小鳥も多く見られる所でした。 |
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ジャイプール へ | 10:40 | *トイレ休憩所 発 トイレ休憩も終わり、またまたなり続ける車のクラクションでうるさい道をジャイプールへ向かいます。 |
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ジャイプール | 13:30 | 昼食 Hotel Glitz どうやら、ジャイプールの街に着いたようです。 デリーからジャイプールまで、約260Kmを途中トイレ休憩を挟んで、約5時間で来ました。 予定では、約6時間かかるつもりでしたから、朝早く出て正解でした。 そこで、昼食です。 |
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昼食 |
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昼食 Hotel Glitz 料理は、当然ながら、インド・カレーでした。 ナンに挟んで食べます。 特に辛くはありませんでした。 |
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アンベール城 |
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14:10 | *観光へ あまり代わり映えのしない、インド・カレーの昼食をすませ、これからいよいよジャイプールの観光の開始です。 |
ジャイプール (Jaipur) 市内観光の前に | |||
ジャイプール (Jaipur) ジャイプールは、インド北西部にあるラジャスタン州の州都です。西にはパキスタンがあります。 1728年にジャイ・シン2世によって造られた町で、城壁を意味する「プール」で囲まれていて、そこで、ジャイの城=ジャイプールと呼ばれます。 7つの門がある旧市街はインドの歴史的都市としては珍しく、碁盤の目状になった都市計画に基いています。 旧市街の壁や主要道路沿いの建物は赤砂岩でできているので、別名「ピンク・シティ」とも呼ばれています。 ≪ジャイプール観光≫ 【世界遺産】アンベール城観光 ≪ジャイプール市内観光≫ シティ・パレス 【世界遺産】ジャンタルマンタル(天文台) また、予定としては、 風の宮殿 も入っていましたが、これは、明日(4月19日)に伸びました。 |
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アンベール城 | 14:20 | 【世界遺産】 アンベール城 (Amber Palace)観光 北のデリーから移動してきた私たちは、ジャイプールの市内に入る前に、ジャイプールから北東約11Kmにある、アンベール城を観ます。 アンベール城は、1728年に南のジャイプールへ都が遷都されるまで、カッチャワ・ラージプート族の首都がアンベールでした。 丘陵に他民族からの侵入に備えて中国の万里の長城のような強固な城砦を築きました。 イスラムとラージプート族文化の混合様式で建てられており、北側から一列に4つの中庭が並びますが、ガネーシャ門に続く3番目の中庭はシンメトリーが美しいイスラム調に仕上がっています。 2013年、日本の富士山と同じ時に、【世界遺産】 に登録されました。 |
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アンベール城 | 【世界遺産】 アンベール城 (Amber Palace) |
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アンベール城 | 14:24 | 【世界遺産】 アンベール城 (Amber Palace)観光 象に乗っても丘の上の城まで登ることができるらしいのですが、私たちは、4人乗りの専用ジープに乗って、城まで行きます。 ジープで来ると東の太陽門から入りますが、象タクシーでは、ジープの乗り降り場とは逆の西側の月門から入るようです。 |
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アンベール城 | 【世界遺産】 アンベール城 (Amber Palace) 丘の上にある、アンベール城に来ました。 このアンベール城を中心に山稜には、中国の万里の長城のような、砦があちらこちらにあります。 |
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アンベール城 | 14:35 | 【世界遺産】 アンベール城 (Amber Palace) |
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アンベール城 | 14:44 | 【世界遺産】 アンベール城 (Amber Palace) 鏡の間です。 *細かな鏡をちりばめて、さまざまな模様を描いていてきれいです。 |
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アンベール城 | 14:58 | 【世界遺産】 アンベール城 (Amber Palace) |
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アンベール城 | 【世界遺産】 アンベール城 (Amber Palace) *いかにもインドらしい、コブラ使いです。 でも、写真を撮ると、チップを要求されますよ。 |
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アンベール城 | 15:22 | 【世界遺産】 アンベール城 (Amber Palace) アンベール城で1時間ほど過ごして、登ってきた時と同じように、専用の小型ジープに乗って麓へおります。 このジープの運転手の運転ははかなり荒い走行でした。 *ジープでなく、象で登る方法もあります。 でも、時間がかかりそうですが。 |
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ジャイプール市内へ | 15:30 | *ジャイプール市内へ 湖に浮かぶ宮殿を見ながら、これから、ジャイプール市内へ向かいます。 |
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ジャイプール市内へ | 15:44 |
*ジャイプール市内へ |
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ジャイプール市内 | 15:47 | *ジャイプール市内 −ピンク・シティ− ジャイプールの旧市街は、高さ6m、総延長10Kmに及ぶ城壁で囲まれており、城壁には7つの主要な門が設けられています。 多くの古い建物は、赤みの色で塗られています。 これは、1876年に、当時インドを支配していたイギリスのヴィクトリア女王の息子、アルバート王子がこの地を訪れマハラジャ一家の歓待を受けた時に市街の建物をピンク色に塗ったのをきっかけとして、伝統的に建物にピンク色の塗装が施されるようになり、現在でも「ピンク・シティー」と呼ばれる景観を作っています。 なお、アルバート王子は、この翌年(1877年)にインド皇帝となっています。 |
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ジャイプール市内 | *ジャイプール市内 インドの民族衣装のサリーを着て、女性たちも颯爽と歩いていました。 |
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ジャンタル・マンタル | 15:50 | 【世界遺産】ジャンタル・マンタル (Jantar Mantar) (天文台) 到着 ジャンタル・マンタルというのは、「計測器」を意味する「ヤントラ・マントラ」がなまったものだそうです。 日時計、太陽、月の観測など、かなり大型の天体観測儀が12あります。 場所は、マハラジャ(王様)の住居:シティ・パレスの一角にあります。 ジャイプールの町を造ったマハラジャ:サワイ・ジャイ・シン2世は天文学に非常に造詣が深く、ペルシャやヨーロッパの書物まで集めるほどでした。 そこで、デリー、ジャイプール、ウジャイン、ベナレス(バナーラ)、マトゥラーと計5箇所に天文台を建造しました。 そのなかでも、ジャイプールのものが最大規模を誇ります。 これらの原型は3世紀前にさかのぼるウズベキスタン・サマルカンドのものです。観測儀施設の中には、それぞれ異なった角度で12星座に向かっているものがあります。 是非ご自身の星座の観測儀を探してみてください。 |
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ジャンタル・マンタル | 16:03 | 【世界遺産】ジャンタル・マンタル (Jantar Mantar) (天文台) ここ、ジャンタル・マンタルでは、現地の解説者がいて、日本語で、日時計の仕組みなどを実に分かりやすく説明をしてくれます。 |
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ジャンタル・マンタル | |||
ジャンタル・マンタル | 16:18 | 【世界遺産】ジャンタル・マンタル (Jantar Mantar) (天文台) ジャンタル・マンタルには、12の星座観測機もあります。 当然、私の星座:おとめ座もありました。 |
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シティ・パレス | 16:22 | シティ・パレス (City Palace) 王様(マハラジャ)の居城です。 ジャンタル・マンタル(天文台)の側にあります。 ジャンタル・マンタルを居住地の側に造ったということです。 1726年に完成したムガール建築の影響を組んで造られた宮殿です。サワイ・ジャイ・シン2世が北のアンベールから移り住み、1947年のインド独立後の現在も王族の一家が暮らしています。 王族の方が住むエリアには立ち入ることができませんが、旗が揚がっている時は王族の方がいらっしゃるそうです。 いくつかの建物は現在博物館となっています。謁見の間に置かれている銀製の大きな壷2つは、世界一の大きさとしてギネスブックに登録されています。1902年、マハラジャがイギリスへ船で渡航する際に、沐浴用にガンジス川の水を入れていくために作られたものです。 |
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シティ・パレス | 16:24 | シティ・パレス (City Palace) それでは、王様の宮殿に入っていきましょう。 7階建ての塔が迫ります。 |
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シティ・パレス | 16;26 | シティ・パレス (City Palace) 元は、来賓客の宿泊施設だった建物です。 建物の中には、歴代のマハラジャが着ていた豪華なガウンなどの衣類や、宮中で使われていた楽器が展示されているようですが、中には入っていません。 *展示館の門番 一緒に撮影すると、チップは払います。 |
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シティ・パレス | 16:31 | シティ・パレス (City Palace) 奥にある高い塔には旗がひらめいていますから、今日は、王様がいるようです。 旗で在宅を示すのは、イギリスでも同じでした。でも、私の家では、在宅でも旗は出していません。貴族ではありませんので。念のため。 参考:駆け足で廻ったヨーロッパ −イギリス編− |
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シティ・パレス | 16:49 | シティ・パレス (City Palace) の銀製の壷 シティ・パレスの見ものは、大きな銀製の壷(Gangajali;Siver Jar)が2つある貴賓謁見の間(ディワーネ・カース)です。 この銀製の壷は、各々 14,000個の銀貨を溶かして、1896年に完成したもので、重さは345Kg、1つに4,091リッターの水が入ります。 その世界最大の大きさから、ギネス・ブックにも載っています。 この壷は、1902年に時のマハラジャ:サワイ・マドホ・シン2世がイギリスのエドワード7世の戴冠式に出席するために、ガンジス川の水を入れて沐浴用に使いました。 |
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シティ・パレス | 16:51 | シティ・パレス (City Palace) 古い大砲や、馬車なども展示されています。 |
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シティ・パレス発 | 17:15 | *シティ・パレス発 インドの人形劇をやっている、シティ・パレスの出口とジャンタル・マンタル(天文台)とシティ・パレスの観光を約1時間半ほどで終えて、これから今夜の宿泊ホテル:クラークス・アメールに向かいます。 その前に、カーペット等の染物屋に寄ります。 |
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染物屋 | 17:20 | *染物屋 いろいろと染めの仕方なども丁寧に教えてくれますが、興味がありません。 |
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染物屋 | 17:40 | *染物屋 ヨーロッパ系の女性が、サリーの試着をしてはしゃいでいました。 |
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ジャイプール市街 | 17:50 | *ホテル へ、ジャイプール市街 いよいよ、今夜ジャイプールで泊まる、ホテル:クラークス・アメールに向かいます。 今夜の食事も、ホテル:クラークス・アメールでとります。 ピンク色をした旧市街から新市街に向かっているようです。 インドでは、携帯電話のVodafoneの看板が目に付きました。 |
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ジャイプール市街 | 18:15 | *ホテル へ、ジャイプール市街 ・サンジャイ・バザール ・旧市街の門から出てくるバス |
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ジャイプール市街 | 18:25 | *ホテル へ、ジャイプール市街 目指すホテル:クラークス・アメールは、市街からかなり離れた場所にあるようです。 |
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ホテル:クラークス・アメール | 18:40 | *ジャイプールのホテル:クラークス・アメール 着 ジャイプールのシティ・パレスから、バスで1時間程度かかって、本日の宿泊ホテル:クラークス・アメールに着きました。 なお、左の写真は、食後の22時過ぎに撮ったもので、到着した頃は、まだ19時前で明るかった。 ホテル:クラークス・アメールは、7階建てです。 部屋のキーは磁気カードです。 |
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ホテル:クラークス・アメール | 18:40 | *ジャイプールのホテル:クラークス・アメール 着 インドの風習で、歓迎を意味して、額に赤い印を付けられました。 ジャイプールの空港が近いようです。 |
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夕食 | 19:30 | 夕食 ホテル:クラークス・アメール内にあるレストランで夕食です。 インターナショナル・ビュッフェ・スタイルです。 ということは、もう、他でも食べて飽きている、カレー料理が中心ということです。 |
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夕食 | 19:42 | 夕食 ホテルのメニューには目新しいものはありません。 そこで(?)、ビールを飲んで味わいに変化を付けました。 ビールのブランドは、King Fisher でインドでは有名なビールのメーカーです。 小瓶で、450Rs(¥770)です。 ホテルでの飲食なら、まあビールの値段はこの程度でしょうか。 昼食でも、ビールは別途料金で飲めますが、私は、昼からアルコールをたしなむ程の酒好きではありません。 |
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ホテル・クラークス・アメール | お休み | *お休み *ホテル・クラークス・アメール Hotel Clarks Amer 所在地:Jawahar Lal Nehru Marg, Jaipur−302 018 アショク ネガル, ジャイプール, インド ●泊まった部屋は、7階建ての4階の431号室です。 *ホテルの案内より: ジャイプールのショッピング, ビジネス, 観光なエリアに位置するホテル クラークス アメールは、ゆったりとリラックスできる滞在先です。 エキサイティングなスポットが、ホテルからたった8 kmです。 スタチューサークル, 中央公園, サワイ マン シン スタジアム のような観光スポットから近い滞在先を探しているなら、このホテルがもってこいです。 ジャイプール滞在を満喫できるように、ホテル クラークス アメールはバラエティに富む施設を完備しています。 ホテル クラークス アメールのホテル施設には、ビジネスセンター, ベビーシッター/託児施設, ランドリーサービス, ファミリールーム, ツアーデスク などがあります。 全211室の上品に装飾された客室があります。全室に インターネット - WiFi, エグゼクティブラウンジのご利用, アイロン設備, シャワー, ミニバー が完備してあります。 一日中、ジム/フィットネス, 屋内プール, ホットタブ, サウナ, スチームルーム などでゆったりとした時間を過ごせます。 ビジネス客、レジャー客のどちらでも、ホテル クラークス アメールは滞在先としてもってこいのホテルです。 バスタブは付いています。 120Vのコンセントはありません。 |
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◎ 2014年 4月18日(金)は終わりです。 | |||
★スリランカ・インドの9日間の旅の第6日目で、インドに来て2日目の4月18日は、昨日の4月17日はただデリーに到着しただけですから、今日が、インドでの観光の初日になります。 ◎インドの首都は、ニューデリーかデリーか 学校では、インドの首都は、元はデリーだったのが、ニューデリーができたので、ニューデリーだと記憶していましたが、デリーとニューデリーの市街の区分がはっきりしていないようです。 ◎インドの道路税 インドでは、観光バスやトラックでは、州境を超えるたびに通行税を取られています。 しかし、該当の観光バスやトラックは、完全には税を支払っていないような気がします。 また、この通行税を払うために道路に車を止めるわけですが、もともと交通マナーが悪いインドで、車を止めているので、道路渋滞のもとになっています。 ◎インドの道路事情と運転マナーのなさ 昨日(4月17日)スリランカからインドのデリーに来て、一番驚いたのが、道路に車が多いことと、小さなオート・リクシャーから大型のトラックまで各車が、譲り合いとは関係なく、とにかくクラクションをけたたましく鳴らして、我先に前へ、前へと進む交通規則がない運転作法です。 このクラクションの騒音状況が、夜遅くまで、また、朝早くからあり、実に町中が一日中うるさいのには閉口です。 ◎道路が街の中心を走っているのに、信号機がない 今日は、デリーからジャイプールを目指して走って来ました。 この道は、幹線道路となっていて、時々、市場もある街の度真ん中を通過します。 そこで、道の左右からも、この道路を横断する車や人もいる訳ですが、道には、信号機が設置されていません。 これが、またまた危険な割り込みして来ますから、交通渋滞は当然おきる原因ともなっています。 ◎ハチャ、メチャの国:インド また、インドの道路で眼にしたのは、雨が降っても道路に大きく水が溜まっているという下水道の無さ。 また、道には、生活のゴミがそのまま捨てられいて、それを放し飼いの牛や犬があさっているという光景です。 ゴミを回収するシステムがまだまだ出来ていないようです。 さらの、多くの場所で道路工事をしていて、2車線が1車線になります。 それは、仕方のないことだと思いますが、工事も計画性が感じられなく、ダラダラとまたバラバラとしています。 下水道・ゴミ回収などインフラの整備がまだまだのインドですが、多くの人々が、その汚さに慣れてしまっていることに問題がある気がします。 ◎ジャンタル・マンタル(天文台)とシティ・パレスは平凡 ジャイプールに来て、アンベール城と、ジャンタル・マルタン(天文台)、そしてマハラジャ(王様)が今も住んでいるシティ・パレスを見たわけですが、 ジャンタル・マルタンは、確かに、天体観測儀としては大きいのですが、感動は薄い存在です。 また、シティ・パレスの建物もそうかというだけでした。 ◎いまだに巨大な財産をもつマハラジャ(王様) 一応、インドでも法律的には、旧藩主であったマハラジャは存在しないことになっているようですが、ジャイプールのシティ・パレスにみるように、マハラジャは依然として健在で莫大な財産を持っています。 インドの貧富の差は短まらないようです。 ◎インドの気候 今日(4月18日)は、朝方に雨が降り、服装としては半袖を着て観光をしましたが、空気も乾燥していて、暑くはありませんでした。 ◎映画「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」の舞台だった。 ジャイプールは、ここのホテルでヨーロッパからの旅行者が出会う映画「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」の舞台でした。 |
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