オーストリア、スロバキア、ハンガリー、チェコ そして ドイツ   10日間の旅行記

2012年(平成24年) 5月12日(土)~5月21日(月)  

旅を終えて

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オーストリア、スロバキア、ハンンガリー、チェコそしてドイツで訪れた都市

 

◎中欧の5ヵ国:オーストリア、スロバキア、ハンンガリー、チェコそしてドイツの旅を終えて
*2012年 5月12日から 5月21日まで、ヨーロッパの中心にあたる、オーストリア、スロバキア、ハンンガリー、チェコそしてドイツの各都市を観てきた感想です。
◎ハプスブルグ家なしには、中欧は語れない。
 今回の旅では、オーストリアのウィーン、ハンガリーのブダペスト、スロバキアのブラチスヴァ そして、チェコのプラハが各々の国の首都ですが、これらの都市だけでなく中欧ヨーロッパの繁栄においてハプスブルグ家の支配があったことは欠かせません。

 1273年にドイツ王となったルドルフに端を発するハプスブルグ家は、その後、神聖ローマ帝国の皇帝を承継し、ウィーンを首都にします。カール5世(在位:1519年~1556年)の時には、姻戚関係を含め、オーストリアだけでなくスペイン・ナポリ・ボヘミア(今のチェコ)・ハンガリーへとその支配地を拡大して行き、ヨーロッパ最高の名門としての地位を確立しました。


 一時、フランス革命の影響で台頭した、フランスのナポレオン軍に敗ける(1805年)ものの、ナポレオンはすぐに失脚したため、その後もハプスブルグ家のオーストリアを中心にした帝国は続いていましたが、民族主義を抑えようとして第一次世界大戦を引き起こし、1918年の敗戦により、ついにハプスブルグ家は、約650年間に及んだヨーロッパの君主の座を降りますが、現在でも、その影響力は残っています。

 
長い間、ハプスブルグ家が居城としてきたウィーンを始めとして、ブダペストやプラハの街を眺めると、その街の美しさには、どうしても、ハプスブルグ家のマリア・テレジァやエリザベート、また断頭台に消えた悲運のマリー・アントワネットなどの顔が浮かぶということです。
    
◎共産主義と資本主義の対立した場所  
 第2次世界大戦後、オーストリアは、永世中立国となりましたが、チェコやハンガリーはソ連を中心にした共産圏に組み込まれ、言論や集会の自由が奪われた過去があります。

 第2次世界大戦でナチス・ドイツに蹂躙されたチェコやポーランドなど東欧諸国は、主にソ連軍によって解放されたため、共産主義の国となったのですが、言論の統制や反体制者の粛清で、民衆の自由が奪われる状況となり、反共産主義の運動も、軍隊の出動で封じ込めらる状況となっていました。

 この状態は、1989年のソ連の共産党支配の崩壊まで続き、現在は、中欧の諸国も、民主主義国家となっています。
そこで、第2次世界大戦後には、解放してくれたソ連を讃える像や記念碑が多く建てられたのですが、今日では、それらの像や記念碑は、壊されたり、倉庫に移されています。

 日本では、当然にある言論・集会・結社などの自由を奪われていた人々がいたことを、プラハでは特に感じました。
◎中欧は多民族が集まり争いが絶えない地域だった。
  中欧は、古くから、東からはオスマン、北からはヴァイキング・ロシア、西からはフランス・ドイツ、南からはイタリアというように、地理的にもいつも民族の動きがあり、それに伴い変動を余儀なくさせられた地域です。
 そこで、古くからこの地区では争いは絶えることなく起き、近年には、多くの国々と民衆を巻き込んだ第1次世界大戦も発生し、さらに第1次世界大戦よりも多くの人々を犠牲にした第2次世界大戦となったのです。
◎戦争から学んだもの → 欧州の統合へ
 この2つの戦争から、ヨーロッパの人々は学んだのです。もう、2度と多くの人々を殺戮する悲惨な戦争を起こしてはならないと。
 
 そのためには、何が必要か?

 そうです。国という単位、国境を廃し、民族間の差別をなくすことです。
それには、欧州が1つに統合することです。

 そこで、まず手始めとして、経済の面から石炭と鉄鋼を通じて欧州の共同体を作り、そこに徐々に参加国が拡大していき、今日では、通貨も統一されたEU(欧州連合)という組織になっています。
◎日本人も学んだはず!
  第2次世界大戦での手段を選ばない空襲で亡くなった戦闘員でもない民間の夥しい数の死者。
 
  広島、長崎に落とされた原爆による無差別・大量殺戮とその後遺症の存在。

  これをの経験をもとに、日本人も戦争はもう二度と起こさないと誓ったはずです。

  しかし、また、最近は、戦場に行かない歳をとった政治家が、また中国や韓国との領土争いで、戦争も辞さないなんてことを言っています。
 領土がどちらの国に帰属するかの問題を出すと、これを解決するには、戦争しか無いのです。

  戦争となると、また、多くの人々が犠牲になります。
 もう、私たちは、どこが、どこの国に属するかの議論から脱却して、争いのある場所は人類のために共同で管理する地球観で行動しましょう!
◎城の内部や建物の内部も、観たい!
 ツアーに参加している以上、時間の制約や料金上の制約から、有名な城や美術館の側を通っても、内部にある宝物や美術品を見ることができません。

 でも、ハンガリーの国会議事堂にある王冠や折角行ったのに入れなかったパンノンハルマ大修道院の図書館などを見られなかったのは残念です。
 
◎ホテルにあるプールやジムなどの設備を利用していない。
 大体、ツアーでのホテルはただ寝るだけで、自分の部屋だけしか知らないのですが、後で宿泊したホテルの設備をネットで見ていたら、無料で利用できるプールは勿論のこと、ジムなどもありますから、ゆっくりと滞在される方は、私のホテルの評価だけで決めないでください。
◎日本のシャワー式トイレは世界に誇れる!
  ホテルの設備に関係した話ですが、今回のツアーでも泊ったホテルには、日本のようなシャワー式トイレは付いていません。

  このシャワー式トイレは、本当に世界のトイレに導入して欲しい、日本の技術です。TOTOさん、早く世界のホテルに売り込んでください。
◎モーツアルトとザルツブルグの大司教との関係
  
 余り、モーツアルトの音楽が好きでないので追及していなかったのですが、モーツアルトのパトロンとして、どうして、教会の大司教が出てくるのかが不可解のままでした。

  今回の旅で、ザルツブルグの領主を教会の大司教が兼ねていたことが分かり、すっきりしました。

      
◎ザルツブルグなら映画「サウンド・オブ・ミュージック」だ!
  
 クラッシック音楽が好きな人なら、ザルツブルグという街は、モーツアルトの生まれた街で、また、指揮者で帝王と言われたカラヤンに繋がるでしょうが、私にとっては、どうしても映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地の方が先になります。

 「サウンド・オブ・ミュージック」は私の青春時代に観た映画ですが、冒頭のアルプスの山で、ジュリー・アンドリュースが見習いの修道尼の衣装で登場するシーンから始まり、「ドレミの歌」、「エーデルワイス」など、実に印象深い作品でした。

 そこで、旅行から帰ってまた「サウンド・オブ・ミュージック」を観ました。確かにミラベル庭園や音楽祭の会場など、ザルツブルグで私が観た風景が出てました。(当然ですが。)

 映画って本当にいいものですね!
◎日本の料理は、世界中で一番美味い!
 このツアーでは、各地の名物料理もスケジュールに入れていて、食していますが、ヨーロッパだけでなく、アジアの料理とも比べると、本当に日本の料理の味の素晴らしさに驚嘆します。

  それは、単に値段が高い料理だけでなく、低価格の日本料理でも言えますよ。

   
これで、2012年 5月12日から5月21までの、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、チェコ そしてドイツの旅は終わりです。

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  最終作成:2012年 5月23日~ 2012年11月25日

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