スリランカとインド   9日間の旅行記

期間: 2014年(平成26年)  4月13日(日) 〜 4月21日(月) 

第2日目: 2014年(平成26年)  4月14日(月)  

 スリランカ の アヌラーダプラ観光、シギリア へ

前へ  次へ

ネゴンボ から アヌラーダプラ、シギリア へ
 
◎ 本 日 の ス ケ ジ ュ ール
 場 所  概 要
起床 06:00 *ネゴンボのホテル:ペガサス・リーフ・ホテル
朝食 07:00  New
ネゴンボのホテル:ペガサス・リーフ・ホテル のビュッフェ
ホテル 発 08:00 *アヌラーダプラ へ
 陸路にてアヌラーダプラ へ。(約170km、約4時間)。途中、トイレ休憩
アヌラーダプラ 着  12:00  
昼食 12:20 12:20 New
スリランカ・カレー料理
アヌラーダプラ 観光 

 (約2時間)
13:10〜 【世界遺産】 聖地アヌラーダプラ観光 
ルワンウェリ・サーヤ大塔
スリー・マハー菩提樹
イスルムニヤ精舎

 ☆木彫り工房にてショッピング(40分)が予定されていたが、4月15日に変更
アヌラーダプラ 発 15:45  *シギリヤへ
 (約100km、約2時間)
 途中、シルク工房へ。トイレ休憩
シギリヤ 着 17:30 *シギリヤのホテル:シギリア・ビレッジ
夕食 19:30  New
シギリヤのホテル:シギリア・ビレッジ で
インターナショナル・ビユッフエ
宿泊   Newホテル:シギリア・ビレッジ (明日も連泊)
  ◎スリランカの基本情報 
*正式国名:スリランカ民主社会主義共和国(英語表示:Democratic Socialist Republic of Sri Lanka)

●スりランカというよりは、私には、紅茶で有名なセイロンの方が馴染んでいますが、スリランカはシンハラ語で、正確にはシュリー・ランカー。
  シュリーは「聖なる」という意味の接頭辞であり「光り輝く」とか「高貴な」といった意味合いを含む。
  ランカーは古くからこの島を示す固有名詞であり、正確な語源は判明していない。一説には「美しいこと」を意味する単語アランカーワからとも言われる。

 多くの国民はインドから渡来した仏教を信じている。
 ポルトガル、オランダそして、イギリスの植民地時代を経て、第二次世界大戦後、イギリスの自治領として独立する。
 1980年頃から、スリランカ北部や東部では、少数派タミル人の反政府武装勢力である「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」が,北・東部の分離独立を目指して活動し,政府側との間で内戦状態が続いたが,2009年5月に政府軍がLTTEを制圧し内戦が終結した。
なお,この内戦で7万人以上が犠牲となったといわれている。
 
スリランカ 概要
項目 内容
面積: 65、607平方Km(北海道の約 0.8倍)
人口: 約 20,330、000人(2012年)
首都: スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
民族構成: シンハラ人(72.9%),タミル人(18.0%),スリランカ・ムーア人(8.0%)
言語: 公用語(シンハラ語,タミル語),連結語(英語)
宗教: 仏教徒(70.0%),ヒンズー教徒(10.0%),イスラム教徒(8.5%),ローマン・カトリック教徒(11.3%)
主要産業: 農業(紅茶,ゴム,ココナツ,米作),繊維業
通貨: スリランカ・ルピー 1ルピー=0.78円(2014年3月値)
時差: 日本より、3時間30分 遅い。 夏時間は採用していない。
気候: 平均25度〜30度。 5月と10月頃が雨季。

●略史  
スリランカ 略史
年月 解 説
紀元前483年 ヴィジャヤ王子(シンハラ族の祖といわれる)スリランカ上陸。シンハラ王朝建設
紀元前250年 インドより仏教伝来
紀元1505年 ポルトガル人来航(海岸地帯を植民地化)
1658年 オランダ人来航(海岸地帯を植民地化)
1802年 アミアン条約によりスリランカはイギリスの植民地となる
1815年 キャンディー王朝が滅亡し,全島がイギリスの植民地化
1948年2月 イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立
1972年 国名をスリランカ共和国に改称(英連邦内自治領セイロンから完全独立)
1978年9月 国名をスリランカ民主社会主義共和国に改称
1983年7月 大騒擾事件,タミル・イーラム解放の虎(LTTE)との内戦本格化
2002年2月 政府とLTTEとの停戦合意成立
2009年5月 政府軍,北部LTTE支配地域を全て奪取。内戦終結。

●世界遺産:8ヶ所
 *文化遺産:6ヵ所
  聖地アヌラーダプラ -
(1982年)、古都ポロンナルワ - (1982年)、古都シギリヤ - (1982年)、聖地キャンディ - (1988年)、ゴールの旧市街と要塞 - (1988年)、ダンブッラの黄金寺院 - (1991年)
 *自然遺産:2ヶ所
   シンハラジャ森林保護区 - (1988年)、スリランカの中央高地 - (2010年)
   太字は、今回訪問した5つの世界遺産
 

訪  問  地   詳    細  
ネゴンボ
06:00 起床

  飛行機は、昨夜(4月13日)日本の成田空港からスリランカに到着し、、一応、コロンボ国際空港に来ましたが、泊まったのは、ネゴンボ(ニゴンボとも)の海岸沿いにあるホテル:ペガサス・リーフ・ホテル です。


 添乗員さんからの直接、部屋のノックによる「モーニング・コール」がある前にもう起きていて、朝食前に、ホテルの周りを徘徊しています。
ネゴンボ  
ネゴンボ ホテル *ペガサス・リーフ・ホテル
 確かに、リーフ・ホテルというだけに、ホテルの前には砂浜と海があります。
 3階建てです。 

 海岸沿いのリゾート・ホテルとして、部屋数が140室とはかなり大きなホテルです。
 私が泊まったのは、この3階の335号室です。

 昨夜から、エア・コンは止めて寝ましたが、暑くはありませんでした。
ネゴンボ 06:30 New
朝食
 ペガサス・リーフ・ホテルの庭に面したレストランで、ビュッフェ形式(日本式にいえば、ヴァイキング方式の、好きなメニューを選んで取る方式です)での朝食です。

 正式には、朝食は7時から開始ですが、海岸の散歩からホテルに戻ったらもう食べられるとのことで、食事をしています。

 オレンジ・ジュースは美味い。
 スリランカに来たのですから、当然、コーヒーではなくて、セイロン紅茶を飲みます。

 でも、煮すぎで、うまくない!
 オムレツは、辛味の香辛料を入れてもらいました。
 これは、いい味でした。

*庭からカラスが、食べ物をつっつく!
 庭には、カラスが多くいて、隙があれば、食べ物を狙っていますので気をつけましょう!
ネゴンボ〜プッタラマ 08:00 ネゴンボのホテル:ペガサス・リーフ・ホテル 発
 陸路にてアヌラーダプラへ。(約170km、約4時間)。途中、トイレ休憩。

 予定では、ネコンボのホテルを出るのは、07:30でしたが、道が空いていそうなので、30分遅くなりました。

 これからの、スリランカの旅で利用する専用バスです。
 20人程度は乗れますから、12人のツアーではどこに座ってもかまいません。

 私は、特に座席の指定もないので、写真を撮りやすい前の方に座っています。

 服装としては、余り暑くないので、長袖です。
ネゴンボ〜プッタラマ   *左にインド洋の海岸を見ながら、北へ向かう。

 道路では、車は左側通行です。これは、イギリスの植民地であったなごりです。

 一応、道の舗装はされていますが、このホテルの近辺は、かなり田舎のようで、道幅は狭い。

 今日の目的地、アヌラーダプラまでの道順は、途中の プッタラマ まではインド洋の海岸沿いに北を目指して走り、そこから、北東の山の方に入って アヌラーダプラ へ行きます。

 170Kmとは、かなりの距離です。

 なお、ネコンポからアヌラーダプラまでには、高速道路はありません。
ネゴンボ   *魚をあげている

 ネゴンボの海岸です。
 
 丁度、朝の漁が終わったようで、インド洋に面した海岸では、小さな船が集まって、多くの人が集まって魚をあげていました。

 
ネゴンボ   *教会もある

 スリランカでは、国民の70%程度は仏教徒ですが、内10%程度は、キリスト教徒です。

ネゴンボ 08:30 *ネゴンボの朝の市場

 朝から魚だけでなく、果物などを売っている市場が盛況です。
  
プッタラマ

08:42 *ヒンズー教の寺院もある

 スリランカでは、国民の10%程度は、ヒンズー教徒だそうです。

 こちらも、朝から賑わっています。

 それにしても、派手な装飾です。
 
プッタラマ

08:51 *漁舟は小さい

 まだ、専用バスの左側にはインド洋が続いています。
 
 小さな帆を張り、アウト・リガーと呼ばれる支持棒を舟の横に付けた、昔ながらの舟で魚を獲っています。
プッタラマ〜アヌラーダプラ 10:25 *トイレ休憩

 北へ走っていたバスは、海岸沿いのブッタラマから今度は、東北の山中にある、アヌラーダプラ へ向かっています。

 途中のトイレ休憩です。

 素朴な、鶏小屋がトイレ休憩をしたところにありました。
アヌラーダプラ へ 10:26 *線路もある

 トイレ休憩をした場所の側には、線路がありました。

 単線です。 日本の鉄道より線路幅が広いようです。

 枕木がコンクリート製で、まだ新しいのが印象的です。

アヌラーダプラ へ 11:00 *すいている道をアヌラーダプラ へ向かう

 左右を林に囲まれた道を北東にある、アヌラーダプラ に向かって走ります。

 後、アヌラーダプラ まで、74Kmだそうです。
 今までの約100Kmは、2時間程度で来ましたから、後1時間程度でアヌラーダプラ に着けそうです。

 道にある黄色のギザギザ線は、この先に横断歩道がある印です。

*500スリランカ・ルピーをガイドに集められる。
 スリランカのお寺に入る時には、入口で履物を預けたり、またトイレではチップを払います。
そこで、現地人のガイドさんが我々の代わりにまとめて、チップを払ってくれるとのことで、500スリランカ・ルピー(約390円)を渡しました。

アヌラーダプラ へ 11:20
*沼地には、水牛がいる

 登りの山道が続くとのかと思っていたら、案外、平野もありで、沼地もありました。

 黒いのは、草を食べている牛の群れです。

*道にトラックがいない!
  道路がすいていて、またトラックなどが走っていないのは、訳がありました。
 今日までは、シンハラ人の年末で、多くの人は、年末・新年の休暇に入っているとのことです。
アヌラーダプラ 12:10 *アヌラーダプラ 着

 街の賑わいから、どうやら、街に入ってきたようです。
 朝の8時にネゴンポのホテルを出発して、途中トイレ休憩も含めて、約4時間で、アヌラーダプラ に着きました。

 これまでの道路には、信号機もなく、かなりすいていましたので、また年末・年始休みで交通渋滞もなく、予定の5時間よりは随分と早めに着いています。

アヌラーダプラ 12:20 *昼食

 腹が減っては、戦が出来ません(何のイクサ?)から、先ずは、食事でもしましょう。

 昼食をとったレストラン「Randiya」です。

 方向が分かりませんが場所は、もうアヌラーダプラ遺跡に近いところにあるようです。

 
昼食 12:30 *スリランカ料理

 阪急交通社から貰った日程表では、今日の昼食は「スリランカ料理」とあります。

 なんてことはない、スリランカのカレー料理です。

 このレストランでも、好きなメニューをとって食べるビュッフェ方式です。

 インゲン豆(ボーンチ)は辛いが他はそれほど辛くはありません。
 ジャック・フルーツという果物も煮込んでいます。

 紅茶とコーヒーはサービスとして無料で付いています。(ただし、コーヒーはインスタントで、紅茶は紙パックです。)

 米は、当然、パサパサです。
 デザートとして、ムースを食べました。
昼食   *昼食

 スリランカのカレー料理がメインですが、揚げ物(パパダン)を食べています。
 パパダンは、細かく砕いて、カレーと一緒に食べるようですが、酒のおつまみとしてもよさそうです。

 デザートのケーキも食べて、もう充分に腹ごしらへはできました。


 外は、気温36度ほど。でも蒸し暑さはない。
 足元の履物にご注意ください。
 これから行く、寺院では、度々靴を脱ぎますから、100円ショップで買った青いサンダルが活躍します。
ルワンウェリ・サーヤ大塔 13:10 *ルワンウェリ・サーヤ大塔 着

 さて、これから、スリランカ観光の開始です。
 まずは、【世界遺産】アヌラーダプラ にある遺跡:ルワンウェリ・サーヤ大塔からです。

 その前に、無線イヤーホン「耳太郎」をツアー期間中貸してくれる。  阪急交通社ではお馴染みの無線で説明がきけるイヤーホンの「耳太郎」を耳に装着します。
 この「耳太郎」は、説明をするガイドからかなり離れていても、説明を聞くことができますから、写真を撮ったりするのにいたって便利なものです。
 なお、失くすと、賠償金として ¥5,000−(税別)を取られます。
 ◎【世界遺産】アヌラーダプラ (Anuradhapura) 観光の前に
アヌラーダプラ
 
 ◎【世界遺産】アヌラーダプラ (Anuradhapura)

 アヌラーダプラは、スリランカ中央部にある文化三角地帯の最北の一角を成す大遺跡群の拠点で、今から約2,500年前にスリランカで最古の都として北部を根拠地としたシンハラ人のパンドゥーカバヤ王によって築かれた場所です。
その後、この地は約1,400年に渡り政治、そして仏教の中心地として栄えました。

*スリランカにインドから仏教が伝来したのは紀元前3世紀のことで、当時の王たちは積極的に仏教文化を推進しました。
そのため、アヌラーダブラには、歴代の王たちによって建てられた寺院・精舎・仏塔などの仏教遺跡が町のいたるところに残っています。

 アヌラーダブラのもう一つの特徴として、数多くの人造湖や池があります。これらは農業用水や生活用水として使用されているもので、湖には、歴代の王たちの名前がつけられています。
古くから「水を治めるもの、天下を治める」という言葉の通り、仏教同様、治水事業の推進は当時の政権にとって大きな課題となっていました。

 アヌラーダプラは1017年に南インドからきたタミル系のチョーラ朝の侵入によって崩壊し、王都は南部のローハナに移りました。
 その後、ウィジャヤバーフ1世が1070年にインド系のチョーラ朝の勢力を駆逐し、再度、繁栄期を迎えました。

 アヌラーダプラの町は、大きく新市街、旧市街、遺跡地区の3つのエリアに分かれています。

*代表的な3箇所を観光する。
  アヌラーダプラの遺跡地区には、宮殿の跡、仏歯寺跡などがありますが、今回は、ルワンウェリ・サーヤ大塔、スリー・マハー菩提樹、イスルムニア精舎の3箇所を見ます。
◎ルワンウェリ・サーヤ大塔 (Ruwanweli Seya Dagoba) 観光の前に ◎ルワンウェリ・サーヤ大塔 (Ruwanweli Seya Dagoba)

 アヌラーダプラの遺跡地区の中心的な存在である「ルワンウェリ・サーヤ大塔(Ruwanweli Seya Dagoba)」は、紀元前2世紀、時の王ドゥッダガーマニー王によって建築されたもので、上座部仏教の象徴となった場所です。

 ダーガバ(Dagoba)とは、仏塔のことです。
ルワンウェリ・サーヤ大塔

13:20 *各地からの巡礼が大きな木の下で涼んでいる

 揃いの白い巡礼服を着た集団が、あちらこちらの木の下で、休んでいます。

 いつも、ルワンウェリ・サーヤ大塔は仏教の聖地として参拝者が多く、混んでいるとのことですが、丁度、新年を迎えるので、特に今は巡礼の姿が多いようです。

ルワンウェリ・サーヤ大塔 13:30 ルワンウェリ・サーヤ大塔 (Ruwanweli Seya Dagoba)

 白い巨大な仏塔(ダーガバ Dagoba)が見えてきました。
 ルワンウェリ・サーヤ大塔 (Ruwanweli Seya Dagoba) です。

 塔の高さは100メートル、幅77メートル、直径90メートルとなっています。
ルワンウェリ・サーヤ大塔 13:35 *寺院に入るには、裸足になります。

 この意味は?

 ガイド・ブックでは、スリランカの寺院を参拝する際には、入口で靴を脱いで裸足になりますとあります。
 それは、当然でしょう。
 そこで、私は、青いサンダルを100円ショップで新しく購入して準備しました。

 しかし...

 寺院の入口で青いサンダルを預けて裸足で入るまでは、いいのですが、その先にある敷石が日に焼けていて、裸足では足の裏が熱くて、熱くてまともに歩けません。

 また、寺院内には、砂地もあり、こちらは、日に焼けて熱いだけでなく、足の裏をチクチクと刺してきますから、もう裸足では耐えられません。
 特に、私のように、高貴な育ちをしてきている(?)人間の柔らかい足のうらでは、もう歩くのは、無理です。


*厚手の靴下は必需品です!
 スリランカの寺院を参拝するには、厚手の靴下を必ず用意して履いてください。
 これなら、寺院内の石や砂が日に焼けて熱くても、自由に歩くことができますから。

ルワンウェリ・サーヤ大塔   *ルワンウェリ・サーヤ大塔は多くの象が支える

 確かに、足の裏が熱くて、裸足で歩くには大変な状況ですが、折角スリランカの世界遺産に来た以上観ない訳にはいけません。

 そこで、踵をつけたり、足の親指をつけたり、飛び跳ねたり、あまり熱くはなさそうな日陰を探したりと、足の裏の接地場所を変えながら、必死の覚悟でルワンウェリ・サーヤ大塔に近づきます。
 ネットでぼんやりと見ている人には分からないでしょうが、左の数々の写真の撮影は、実にカメラマンが必死の覚悟で撮った作品です。

*土地より一段高くした建物の上に塔があります。

 塔全体を、多くの牙を持った象の壁が支えているデザインです。
ルワンウェリ・サーヤ大塔   *塔に沿って歩くと、ドゥッタガーマニー王のなど身大の像が。その先にはニッサンカ・マーラ1世(Nissankamalla I)の碑が安置されています。

 塔の完成間近で重態となったドゥッタガーマニー王を案じ、王子は竹と布を使って一夜にして塔を完成させ、この世を去る直前の父に、彼が心血を注いだ塔の完成した姿を見せたといわれています。



*塔は左回りに参拝する。
  日に焼けた敷石の上を、日陰を探しながら、無理をして足の裏を敷石につけないようにして参拝します。
ワンウェリ・サーヤ大塔     *現地の人も足の裏が焼ける?

 スリランカの人も当然裸足で参拝していますが、裸足にはなれていると思われるスリランカ人もこの敷石の熱さにはまいっているようです。

 みんな、ムシロが敷かれていて少しは熱くない場所を選んで歩いています。
スリー・マハー菩提樹 14:06 スリー・マハー菩提樹 (Sri Maha Bodhi)

  足の裏が熱い敷石にまだ耐えられる内に、ワンウェリ・サーヤ大塔の近くの南側にある、スリー・マハー菩提樹にバスを利用せず、徒歩で行きます。

*スリー・マハー菩提樹 (Sri Maha Bodhi)
 仏陀が木の下で悟りを開いたというインド・ブッダガヤの菩提樹。
 そこにあった苗木を紀元前3世紀に当時インドで栄えていたマウリヤ朝アショーカ王の王妃、サンガミッタがスリランカに運び込み、デーワナンピヤ・テイツサ王が当時の首都であったこのアヌラーダプラに植樹したと伝えられています。
 
 2300年間、枯れることのなかった菩提樹には、仏陀が宿っていると信じられています。

スリー・マハー菩提樹   *献花用に蓮の花を貰う

 スリー・マハー菩提樹がある寺院に来ました。

 入口で、ガイドさんから、献花用の蓮の花を貰い、中に入ります。

 当然、ここでも、入口で履物は脱いで裸足になります。

 ここは、砂地で足の裏が、チクチクと刺されて痛い!

スリー・マハー菩提樹 14:20
*信者が一杯

 幼い子供も両親に連れられて、かなり参拝しています。

 献花は蓮の花で、白、ピンク、赤などカラフルです。

スリー・マハー菩提樹
スリー・マハー菩提樹 14:23 *スリー・マハー菩提樹 (Sri Maha Bodhi)

 左の菩提樹が、インドの仏陀が悟りを開いたとされる菩提樹の苗木をスリランカに持ってきたものです。

 スリーは敬称(聖なる)で、マハーは偉大な(または真の)、ボーディ(菩提)は目覚めたる者の意味です。

 移植して約2300年もたっているにしては、まだ木が若い?

 まあ、信仰の対象ですから、そんな固い事は言わずにおきましょう。

 現在は近所にいるサルなど野生動物からの保護のために石台や鉄柵によって取り囲まれています。

 確かに、野生の猿は多い。
イスルムニヤ精舎 14:35 イスルムニヤ精舎 (Isurumuniya Vihara)

 ルワンウェリ・サーヤ大塔とスリー・マハー菩提樹から少し離れた、南側にあるイスルムニヤ精舎は、バスで5分程度の場所にあります。

 ここでも、入口で履物は脱いで、本堂までの日に焼けて熱い砂地を裸足で歩きますから、もう足の裏は火膨れができそうで大変です。

 
イスルムニヤ精舎    *イスルムニヤ精舎 (Isurumuniya Vihara)

 イスルムニヤ精舎は通称「ロック・テンプル (石の寺院)」と言われ、天然の小さな岩山を利用してつくられたものです。
 
 紀元前3世紀ごろ、当時の王デーワーナンピヤ・ティッサ王が仏教の保護を目的にこの地に建設したものです。
 岩肌に彫られた数々の仏教彫刻から、当時の生活や文化を知ることが出来ます。

 近くの岩肌には御堂が造られている他、数多くの神々をモチーフにした仏教彫刻を見ることができます。また本堂の脇の展示館には寺院の北にある王宮庭園から発見された古い像が展示されています。

 愛をテーマにした、石仏が展示されていました。展示場での写真撮影は禁止です。
 
イスルムニヤ精舎
イスルムニヤ精舎 14:50 *イスルムニヤ精舎(Isurumuniya Vihara)

 本堂には横たわった巨大な仏像(涅槃)がいます。
 その鮮やかな色は日本の浅草寺による援助で塗り替えを行っているようです。
イスルムニヤ精舎   *もう足の裏が熱くて、歩けない!

 本堂を見た後、現地人の熱さに慣れているガイドさんやツアー参加者で厚手の靴下を用意している一部の人は、裏山に登って行きましたが、私の足の裏は限界です。

 もう熱さに我慢できません。残念ながら、裏山には登らずに、日陰で休んでいました。

 外の温度は、38度程度でしょうか。でも、日陰は、涼しい。
イスルムニヤ精舎   *向かいの祠にお賽銭が入れば、願いが叶う!?

 イスルムニヤ精舎の本堂の右側の岩に祠があります。
 
 この祠に願い事をした後、お賽銭を投げて、うまく入れば、願い事が叶うとのことです。

 そこで、私も「願い事」をして、投げ入れました。

 ◎結果は?
 見事、祠に入って下の池には落ちませんでした。

 その願い事は?
 勿論、争いのない世界の平和です。
 
イスルムニヤ精舎〜シギリヤ  へ 15:10 *イスルムニヤ精舎 発

 これで、【世界遺産】 聖地アヌラーダプラ観光 の目玉である、
 ルワンウェリ・サーヤ大塔
 スリー・マハー菩提樹
 イスルムニヤ精舎 
  の観光は終わりましたので、今夜の宿泊地:シギリヤ へ向かいます。

 アヌラーダプラから少し南ある、シギリヤまでは、約100Km で 約3時間かかるようです。

  イスルムニヤ精舎の近くの木の下で、木の実の殻をむいていました。
シギリヤ  へ
シギリヤ  へ 16:05 *シギリヤ へ

 のどかな感じの畑が道の左右に広がっています。

 道路の舗装状態は、いいです。
シギリヤ 17:02 *シギリヤ・ロックが見えてきた

 途中、トイレ休憩を挟んで、イスルムニヤ精舎から約100Kmを、予定の3時間よりも1時間早く、2時間で今夜の宿泊ホテル:シギリヤ・ビレッジの近くに来ました。

 明日、このシギリヤ・ロックに登ります。
ホテル:シギリヤ・ビレッジ 17:30 *ホテル:シギリヤ・ビレッジ 着

 ホテルから、はるかにシギリヤ・ロックを望むことの出来る、今夜と明日の晩も泊まる、ホテル:シギリヤ・ビレッジに到着しました。

 この ホテル:シギリヤ・ビレッジは、2部屋が1つの建物になったコテージ・タイプが敷地内に点在しています。

 *ホテルのHPより:
 ロケーション :空港近くのシーギリヤ・ ビレッジはシギリア (中央スリランカ周辺) に位置し、3km 以内にはシギリヤ遺跡、シギリヤ博物館, シギリヤがあります。その他周辺エリアの見所として、ダンブッラ石窟寺院も 20km 以内にあります。

 リゾートの特徴:シーギリヤ・ ビレッジには、屋外テニスコート、屋外プール、子供用プールがあります。スパ・サービス、庭園もご利用いただけます。

 客室 :部屋には、バルコニーがあります。シーギリヤ ビレッジの120室あるエアコン付き客室にはミニバーとシーリングファンがあります。
ホテル:シギリヤ・ビレッジ *ホテル:シギリヤ・ビレッジ のプール

 このプールから、シギリヤ・ロックが見えます。

 逆に、シギリヤ・ロックの頂上からもこのホテルのプールが見えます。

 ホテル:シギリヤ・ビレッジはシギリヤでは高級ホテルです。
 1980年に建てられ、1995年に改修したようです。
 ホテル自体はやや古い感じですが、客室はスリランカの村落をイメージしたコテージタイプで、広い庭も手入れが行き届いていました。同じ敷地内にはアーユルヴェーダ・センターがあり、滞在時は心身ともにリラックスできるホテルとのこと。


 Sigiriya Village
 住所:P.O.BOX 1、 Sigiriya, SriLanka
ホテル:シギリヤ・ビレッジ    
ホテル:シギリヤ・ビレッジ *ホテル:シギリヤ・ビレッジの設備

 泊まった部屋番号は、196号室です。
 以前はエアコンがないとか、水の出が悪いとかの話もあったようですが、私たちが泊まった一画は室内の改造があったようで、エアコンもありますし、シャワーの出も充分でした。

 ・ヘアー・ドライヤー:有、ここに110Vのコンセント有。
 ・湯沸しポット:無、これは問題でした。 スリランカでは、水道水は飲まないように注意してますので。
  幸い、添乗員さんが、湯沸し器を持ってきてましたので、お借りして、湯沸し後のお湯をペット・ボトルに詰めています。
   なお、飲料水として、宿泊客数分は、毎日、ミネラル・ウオータの入ったペット・ボトルをくれます。
 ・冷蔵庫:無。
 ・小型金庫:有

 シャワー・ルームは写真のように広いのですが、バス・タブはありません。
 
ホテル:シギリヤ・ビレッジ *ホテル:シギリヤ・ビレッジ

 玄関脇には、テラスと椅子があり、夕涼みもできます。 

 以前は、窓ガラスも入っていなかったようですが、今は窓ガラスも入っていて虫や蚊も入りにくくなっています。

 
ホテル:シギリヤ・ビレッジ *ホテル:シギリヤ・ビレッジ内のアーユルヴェーダ

 インドから伝わったとされる心身を共にほぐしてくれる「アーユルヴェーダ」も、ホテル:シギリヤ・ビレッジ内にありました。

 料金体系としては、いろいろなメニューがありますが、70分のフル・コース(ボディ・マッサージ:35分、スチーム・バス:20分、頭のマッサージ:15分)で、4,500Rs(約3,600円)です。

 初めてアーユルヴェーダを受けた男性の感想:すっきりした。(なお、マッサージは、現地の男性がしたとのことです。)
 日本でもアーユルヴェーダを経験した女性の話:物足りない。日本の方が、上手くて癒されるとのこと。
ホテル:シギリヤ・ビレッジ 19:30 New
夕食

 ホテル:シギリヤ・ビレッジ内の庭に面したレストランで、夕食です。

 ここでも、自分の好きな料理を選ぶビュッフェ・スタイルです。

 
ホテル:シギリヤ・ビレッジ New
夕食

 メニューは豊富で、味付けもよかった。
 飲み物としては、ジュースやビールは別途有料ですが、紅茶とコーヒーは無料です。
 ただし、今日までは、スリランカでは年末で、アルコールは飲むことができません。
 明日からは、アルコールも飲めます。

 ただ、隣では、中国人の団体がいて、実にうるさかった。
 (どうして、中国人の団体は、どこでも声量を下げずに話あうのでしょうか。中国人の団体は海外旅行ではいつもうるさい存在です。)

音楽もついています。
ホテル:シギリヤ・ビレッジ 21:30 *空には満月が。シンハラ・タミルの新年は4月15日

 スリランカでは、満月が重要な意味を持っています。

 新年や象が練り歩くので有名な「ペラヘラ祭り」も満月(太陰暦)を基準にして設定されています。

 2014年では、年末が4月14日で元旦は、翌日の4月15日になりますが、正確には、太陽暦での時間ではなく、月を中心にしてます。そこで、元旦は、4月15日の午前 10:48 だそうです。


New お休み
◎ 2014年 4月14日(月)は終わりです。
★スリランカの第2日目から、観光の開始です。

*スリランカ第1日目の昨日(4月13日)は、夜入国し空港から直行した、ネコンボのホテルはただ宿泊しただけです。まだ、まだスリランカは、見物していません。
第2日目の4月14日から、スリランカの観光が開始されます。

 14日の行程は、まず、昨夜寝ていたネコンボから、インド洋沿いに北のブッタラマに向かい、ブッタラマからは、北東の山中に入り、アヌラーダプラの仏教遺跡を見て、夜は、シギリアに着いたという内容です。

◎熱心な仏教徒は多い。
 スリランカの住民の70%程度は、仏教徒とのことですが、丁度、今回のツアーの日程が、仏教を信じる人が多いシンハラ族の新年の4月15日と重なっていて特別な経験ができたようです。

◎シンハラ・タミルの新年は、4月15日の午前 10:48 だった。
 スリランカの暦が私たちの暦と違うとは、今回のツアーの日程をみた時点では、まったく予想もしていませんでした。
 旧正月を祝うのは、日本でもありますが、スリランカでは月を基準にした暦で、それに従い4月の満月で、新年を迎えるとは面白い経験でした。
 しかも、日が昇る朝が、元旦でなくて、午前 10:48 をもって元旦とは、これまた貴重な話でした。

◎寺院の観光では、絶対に厚手の靴下を用意してください!
 観光案内書では、スリランカの寺院を参拝する際には、履物を脱いで入るとありますから、私は、単に裸足になれば良いのだと理解して、脱ぎやすいサンダルを用意していました。
 しかし、観光案内書の「寺院では履物を脱ぐ」という説明は、肝心な箇所が抜けています!
 
 それは、履物を脱いで本堂に近づくには、参道を裸足で歩く必要があるということです。
 その参道には、敷石や砂が敷かれています。
 その敷石や砂が、太陽に焼かれて”熱い!”
 日に焼かれた敷石や砂場を、普通の日本人なら、素足で歩くことは無理です。

   

 充分に寺院を観光するなら、厚手の靴下を必ず用意してください。
 素足で日に焼けた敷石やチクチクと足の裏を刺す砂場は歩けませんから。

  そこで、今日の教訓で、明日からの寺院の観光に備えて、厚手の靴下を2枚用意しました。

◎スマトラ沖の大地震の津波の被害があった。
   


 そうです、2004年12月26日にスマトラ沖では、マグニチュード 9.1 という大地震が起き、その地震によって、大きな津波も生まれて、タイ、インド、ミャンマーなど近隣にも甚大な被害を与えました。
 
 スリランカでもこのスマトラ沖の大地震で大きな津波が押し寄せて、島の東側だけでなく、西側でも7m近くの津波に飲み込まれて多くの人が亡くなったのです。

 *被害者の正確な数字が掴めていない。
  このスマトラ沖の大地震があった2004年はまだ、スリランカの内戦が続いており、一体、何名が被害にあったのか正確な数字は分からないままだそうです。
  推定では、約20万人が亡くなったのではないかとも言われています。 

◎便利なシンハラ語を1つ ”アーユボーワン”
  スリランカの言語は、国民の多数を占めるインド・アーリア系の人々が話すシンハラ語、そして、タミル語、また英語も通じます。
  そのシンハラ語は、かなりかわいい感じのする丸文字で表されます。
  
  そのシンハラ語でよく使われのが、
   です。
  カナで表示すると、”アーユボーワン” となります。
  この”アーユボーワン”の意味は、「こんにちは、さようなら、おはよう、こんばんは」、と広く挨拶で使われますから、スリランカに行くなら、憶えておくと便利です。
  具体的な使い方としては、人と出会ったら両手を合わせて、”アーユボーワン” と言います。
  
 

前へ  次へ

イギリス、ドイツ、スイス、フランス、イタリア 編はこちら

スペインとポルトガル 編はこちら

オーストリア、スロバキア、ハンガリー、チェコ そして ドイツ 編はこちら

ヴェトナムとアンコール・ワット はこちら

掲示板へ

映画・演劇 評論へ


更新記録
2014年 5月10日